もう50歳にもなると、多くの医師が年下になって来る。別に年下だから、良い医師ではなく、未熟だとは思わない。しかし、何か医療の場合、医師に身を委ねる部分というのも、どこかで大切だと私は思うのだ。ただ単に自分自身の意見や考えを押し通していてだけでは、いけない気がする。そのため、その導入として、同じくらいの歳や年配の医師には、身を委ねる姿勢が私はつくりやすい。やはり、話がしやすいのだ。精神科の場合、診療の場での話し合いは、とても重要なことだと思う。なるべくなら、これから先、同年代の精神科医の診療を受けれれば、良いなあと個人的には思っている。

今日、デイケアに4週間ぶりに来た。今日は雨のせいか人が少な目。何やら活気もいつもよりない気がしないでもない。
ちょっと気になるのは、挨拶をあまりしない人が多いこと。何かよそよそしい感じがしないでもない。
回復途上だから、致し方ないのは、分っているつもりなのだが、挨拶ははじめの一步として大切なものと私は考えてしまう。
もしかすると、気軽に挨拶する文化みたいなものが、コロナ禍以降廃れたのかもしれない。

恥ずかしながら、クラシック音楽を30年以上聴いて来て、初めてマルタ・アルゲリッチのピアノを聴いた。驚きの連続だ。こんなピアニストいるんだと改めて思い知らされた感じである。
デビューリサイタルというアルバムは、私にとって、新鮮というより、ちゃぶ台をひっくり返すような演奏に聞こえた。特にラヴェルの「水の戯れ」は、次から次へときらびやかな音の変化の連続で、何か今まで聴いてきた演奏が生ぬるく感じてしまうほどである。
アルゲリッチを避けていたのは、何か期待してがっかりしたくないのが、根本にあった。クラシック音楽の世界で、私はスターダムに乗っかった演奏家にがっかりすることが割と多いからである。
しかしながら、そんなものとは、全く縁遠い、凄まじい演奏だった。アルゲリッチからは、何か音楽するパッションそのものを感じて仕方がないし、音楽することの人間の原始的な衝動や躍動を体現しているその姿に、私は心躍らせられずにはいられない。

今日は、不思議な日。普通は、ケンカになるようなレベルの話をケンカにならずにするのだから、何か関係性がきちんと日頃からできているおかげだと感じた。しかし、相手を疲れさせたか心配である。やはり関係性は時間をかけてゆっくりが原則なのだろう。

私は、くせ毛が強いので、髪を短くしているが、坊主は何故か昔の根性論を想起させて、中々できない。ラディカルさもあるのは、分っているが…

荷を脇に
  雨降る夏の
     初めかな
            ゆっくり

半ズボン
   人無き夜の
       帰り道
             ゆっくり

私の病気の回復はなだらかな勾配で回復するというより、突然カクッと段階が上がる。何をきっかけに起こるか分からない。下がったと思いきや、突然のジャンプアップ。ギアが入るのである。驚きであるのだが、今日も1段階上がったようだ。人によると、調子が変わると、声の響きも変わるそうだ。ゴールデンウィーク最終日、中々良い日和だった。

今日、仙台は夜になっても、少し暑い感じ。
7月、8月が思いやられる…

ただいまと
    ともに迎える
         初夏の風
              ゆっくり

明日は、宮城県は暑くないみたい。海に行くので、気になるが、寒くないといい。
それにもまして海は怖い。津波は最たるものだが、普通に潮に流されて、溺れかけたこともある。突然深くなるヵ所もあるから、用心しないといけない。岩場も足を切るから、大変だ。
今回は、浅瀬の波打ち際だから、大丈夫だが、やはり海は怖い。

蔵王エコーラインが開通した。雪の回廊が見物なのだが、20年ぐらい行っていない。
蔵王は頂上付近にある御釜が有名だが、ゴールデンウィークは観光シーズンの到来を意味する。
私は、今は、フリーな状態なので、あまり長い休みを恩恵としては受け取らない。
それより、病院の外来が休みになるのが、1番困ることである。
体調悪くしないように用心しないと。何か基幹病院ぐらい365日体制って取れないものかなぁ~

何気に才能どうのこうのより、文化資本の違いが大きい場合、たくさんあるような気がする。
昔は、特にそうだと思う。学生時代、ある先生が科挙が何か平等なシステムだと勘違いしない方がいいと言っていた。結局は、文化資本のある人が受かるのだからと。
とにかく、だから、教育は大切なのだろう。才能の発掘とは違い、それぞれの生き生きと出来る道を探せるように。それは、生業を見つけるというより、文字通り、生きる糧となるものなのだと思う。

大学時代にWindows95が出て、騒ぎになっていたが、普通に学校の図書館に検索システムが出来て、有り難くも、びっくりしていた私。大学のいろいろな古書を調べたりして、1人で喜んでいた。
本屋も地元の本屋が基本で、大学時代の終わり頃に、大手の本屋が進出して来た。いろいろな意味で、地域にも、文化資本の違いが色濃く出ていた。そんな時代である。

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大学時代、レポートの書き方が分からず、難渋した思いが…
当時はワープロしかなく、基本的に手書きである。書いては、手直し、書いては、手直しの連続。レポート用紙の余白には加筆の文章をたくさん付けて、最後に清書である。
こうして、今のように文章を打てるのは、無常の喜びである。編集がいろいろ出来て、楽しい🎶

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日本の教育では、日本語の文法をきちんと教えないし、基本の文章の書き方の技術を教えない。何だか、技術ではなく、センスの問題にする。他の学科も技術ではなく、センスの問題にするのは、日本の教育のいけないところだ。数学ですら、センスの問題にしていると思う。スポーツだって、センスではなく、科学的な技術の問題が先にあるのに。教育は逸材の発掘現場ではない。

明日からゴールデンウィークとは気づかなかった。テレビ全然見てないから。今、カレンダー見て思った。
そう云えば、精神の疾患と日時や日付の感覚の関係性はとても大きい。
今回入院して、カレンダーが見えるところには、病院で置いていなかったのは、いただけなかった。
日時や日付の感覚は病気の回復には、欠かせないものだと私は思っている。

確か紫外線は今の時期は結構強いのでは?
忘れてしまったが、こんだけ暑いと、冷たい飲み物欲しくなる。
コーラ飲みたい…

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