録画したまま まだ見ていない先日のNスペ、なにやら ある大学教授の方がすごい大股開きで出ていらっしゃったのですね。
わたし、個人的にあれがとても苦手で、隣の席ならこっちが小さくならなきゃなんないし、そうでなかったとしても、なんだろ、何をそんなに誇示しているわけ? と思って引いちゃうんだよね。。けどどうも、ご本人がブログで反省しているらしい。ヘルニアで、あのようにしか座れなかった、自分でも映像を見て酷い座り方だと思ったし、正直落ち込んでいると。ネットで「大股さん」などと揶揄されているらしい。
そうよね、苦手は苦手だし、めっちゃ偉そうな/態度悪そうなのは嫌ではあるけど、こちらには見えない事情があってそうなってる、または、ただ本人が気づいてないだけ、みたいなことは当然あって、頭ごなしに「なにあれ、ひっどいな」って決めつけるのはダメだよね。
まだ見てないけど、見たらきっとそういう反応してたと思うので、先に反省しておく。。ごめんなさいね。。
尊厳死
そういう「尊厳死」のことも分かってる、今はそのことについては触れなかっただけだ、とか言うのかもしれないけど、そこにちゃんと葛藤があるなら、一言でも書いておくべきだとわたしは思うな。。ただただ一方的に「尊厳死反対」だけ書いてある投稿を読んで、ああ、また死ぬまで苦しめと言われてるんだなと感じる人がいるんじゃないか、って想像してみたことないのかな。
知らなかったなら知ればいいけど、知ってて言及もせずに無視してるの?
よく「政府が能登半島を見捨ててる」とか「棄民だ」とか言うけどさ、ただ「尊厳死反対!」とだけ叫ぶ行為は、「あなたが・あなたの言葉で」直接に誰かを「見捨ててる」ことなんじゃない?
少数者の苦しみや被害や生命のことを大事にしてないって意味では、自民党のやってることとおんなじ。なにも変わらない。
当事者の目に止まるなんて思わなかったっていうなら、仲間内の悪ふざけをtwitterにあげて炎上するのとおんなじだよ。誰も見てないと思ったの?
そもそも、自分の身近な人がどんなハンディをかかえ、どんな痛みや苦しみと戦ってるのか、あなたにわかるはずもないのに。その人にとって何が「正しい」か、なぜ他人が決められると思うのよ。
BT
こうやって、問題をより正確に定義しなおすことが必要とされているんだと思う。
こういうのは極右の常套手段だけど、相手のずる賢い戦略にまんまと乗せられてしまっているうちは、いくら議論してもどこにも辿りつかないようにあらかじめ組み立てられているわけで、恣意的な議題設定に流されずに、何が問題なのかをちゃんと考えてリフレーミングしていかないといけない。
» 議論すべきは「同姓か別姓か」ではなく「強制か選択か」なのだ…同姓を強制することの理不尽さが真の問題:東京新聞 TOKYO Web
https://www.tokyo-np.co.jp/article/361486
”日本では現状、互いに姓を変えたくない男女は法的に結婚できないシステムになっています。夫婦同姓を法律で義務付けているためで、そうした国は世界でも日本だけです。
同姓と別姓のいずれが良い制度かという議論になりがちですが、真の問題は同姓を強制することの理不尽さにあります。同姓の強制に合理的な正当性は見当たらず、議論すべきは「同姓か別姓か」ではなく「強制か選択か」なのだと強調したいと思います。”
「PLAN75」(2022)の話をする人はたくさんいるのに、「空を飛ぶ夢」(2004)の話をする人は見かけない。
恵庭市「障害者虐待」隠ぺい事件のドキュメンタリー放映
テレメンタリー2024
「沈黙の搾取 見過ごされた障害者虐待」
https://www.youtube.com/watch?si=8bp92ACkQgo_E-9O&v=hwjdvpd1ym8&feature=youtu.be
北海道テレビ(HTB)
10/20(日) 深夜1:15~1:45
全国放送(テレビ朝日系)
10/19(土)早朝4:50〜5:20
tv-asahi.co.jp/telementary/
あとで読む
» 失われたリベラリズム、あるいはコーヒーを買ってきてくれるリベラリズム | 研究プログラム | 東京財団政策研究所 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=3699
» 「リベラル」という言葉の“解釈”がバラバラになった原因は冷戦にある | クーリエ・ジャポン https://courrier.jp/news/archives/218237/
リベラリズム とは:
異質な価値観を持った者同士の共存は個々人の自由を認め合い、共生することでしか解決しないという考え
https://kotobank.jp/word/リベラリズム-149354
”近代社会が不可避的に抱え込む価値対立とその克服のために構想された政治哲学原理。欧州における価値対立の問題は、宗教改革が引き起こしたカトリックとプロテスタントの宗教戦争を起源としている。異質な価値観を持った者同士の共存は個々人の自由を認め合い、共生することでしか解決しないという考えに基づき、ホッブズ、ロック、ルソー、カント、ヘーゲルといった近代哲学者は、「自由」を権利の基本原理とするリベラリズムの立場を深めてきた。ところが現在、リベラリズムに対しては様々な立場からの批判がある。……” 知恵蔵( 2007年)
基礎の基礎から学ぶ必要があるなー、わたし
自分のさいごはどうなるか
ご本人も100歳を超えるまで生きるとは思っていなかったと思う。どういう最期を迎えたいと思っていただろうか、もしはっきりと意思表示できたなら「アタシはこんなのイヤよ!」と言ったに違いないこともあった。そもそも介護施設に通うのに、着物から洋服に変えるのすら抵抗した人だもん。
ご本人の貯えがつきて、最後はホームのある自治体の生活保護を受けさせてもらったけど、亡くなったとき、火葬も共同墓地への納骨もぜんぶ市でやりますよと言ってくれた、が、その場合近親者の立ち合いは一切認めないというので、こちらで引き取ることにした。夫と義母と同じお墓に入れてほしいって生前からずっとお寺さんにもいろいろ納めてたのに、それがかなえてあげられないなんてありえないから。
わたしはどういうふうに死にたいのかな、最低限の願いだけでも、それを支えて見届けてくれる人、いるのかな。いや、属人的じゃなくて、そういう仕組みがあったらいいのにね。とは思う。
自分のさいごはどうなるか
「遠い親戚」のおばさんのお世話をしていた。大正一桁生まれの女学校出で、90歳近くまで女学校の同窓会長をしていて、朝日歌壇の常連投稿者で、夫を戦争で亡くし、子はなく、遺族年金と利子で暮らしてる、いつもお着物をピシッと着こなして頭が良くて頑固で声の大きいおばあさん。わたしは小さいころずいぶん可愛がってもらった。
最後の10数年は、手術の同意、アパートの保証人、ケアマネさんとの打ち合わせや手続きすべて、ホームへの2度の引越し、火葬と納骨まで、うちの実家の家族でみんな引き受けた。新幹線で何往復しただろう。
みんなおばさんにはお世話になったし、最後までみてあげられて、恩返しできたねって思っている。
けど、これができたのは、ちゃんと関係性ができていて、金銭的にも体力的にもあらゆる状況がたまたまその時期にそれを許したからでしかなくて。
自分のさいごはどうなるか
自分はどういうふうにさいごを迎えるのかな、って時々考えるけど、たぶんそのとき誰も周りにいないと思うんだよね。子や孫に見守られて大往生した祖母みたいなことには決してならないことだけは自明。
一人暮らしでひっそり亡くなって、何日も見つけてもらえないのも悲しいし、「孤独死」と最後の一点だけを切り取って人生すべてを可哀相なものみたいに言われたくもない、発見した人に多大な心労をかけるのも申し訳ないし、面倒な手続き押し付けられた遠い親戚とやらに迷惑なババアと記憶されるのも嫌だ。
どうやったら、みじめな気持ちにならずに、きれいに終われるんだろうかってずっと考えてる。年老いた孤独なわたしは、じぶん自身の死に際して わたしらしさを守ることができるんだろうか。
» 「難病法」成立から10年 難病への理解深めるきっかけに | 日本経済新聞 電子版特集 (2024/5/23)https://ps.nikkei.com/nanbyo2024/
【ABC特集】難病・潰瘍性大腸炎が”国の指定”から外される危機 声を上げる患者
https://www.youtube.com/watch?v=vvbVZ6shW4k
”厚生労働省は、「特定の疾患について、絞って表現したものではない」と回答しましたが、患者など当事者から「潰瘍性大腸炎などの病気を、指定難病から外す動きではないのか?」と、不安の声が上がっています。”
党首討論見たけど、政府側自民党側の答弁者のあまりの態度の悪さにイラついて耐えきれずチャンネルを変える、という気分にならないことが久しぶりすぎて、ちょっとぐっときてしまった。
あの「見るに耐えなさ」は、政治から目をそらさせようとわざとやってるんだろうと思っていても、あまりにも見るに耐えなさすぎたし、政治に興味を持とうとか、不断の監視が必要とか、分かってるけど、とても人に視聴をすすめられるものじゃなかった。
都知事選のときも、職場で「政治に興味のない」ほうかなと思ってた同僚から、あまりにも酷すぎて選挙公報も政見放送も子どもに見せられないですって声が出てきたくらい、触れればかえって政治に強い嫌悪感、拒否感を植え付けてしまうような情報にあふれてて。
わたしは子どものころから「政治に興味のある」子どもだったけど、「政治は面白いよ!」と人に言えなくなって久しいし、それがずっと悲しかったんだよな、と思った。
それでも、見たくないものを見ずに済ませることができた側の人間として、当然批判は受けなくちゃいけないし、反省もし、できることからやらなくちゃいけない。