自分のさいごはどうなるか
自分はどういうふうにさいごを迎えるのかな、って時々考えるけど、たぶんそのとき誰も周りにいないと思うんだよね。子や孫に見守られて大往生した祖母みたいなことには決してならないことだけは自明。
一人暮らしでひっそり亡くなって、何日も見つけてもらえないのも悲しいし、「孤独死」と最後の一点だけを切り取って人生すべてを可哀相なものみたいに言われたくもない、発見した人に多大な心労をかけるのも申し訳ないし、面倒な手続き押し付けられた遠い親戚とやらに迷惑なババアと記憶されるのも嫌だ。
どうやったら、みじめな気持ちにならずに、きれいに終われるんだろうかってずっと考えてる。年老いた孤独なわたしは、じぶん自身の死に際して わたしらしさを守ることができるんだろうか。
自分のさいごはどうなるか
ご本人も100歳を超えるまで生きるとは思っていなかったと思う。どういう最期を迎えたいと思っていただろうか、もしはっきりと意思表示できたなら「アタシはこんなのイヤよ!」と言ったに違いないこともあった。そもそも介護施設に通うのに、着物から洋服に変えるのすら抵抗した人だもん。
ご本人の貯えがつきて、最後はホームのある自治体の生活保護を受けさせてもらったけど、亡くなったとき、火葬も共同墓地への納骨もぜんぶ市でやりますよと言ってくれた、が、その場合近親者の立ち合いは一切認めないというので、こちらで引き取ることにした。夫と義母と同じお墓に入れてほしいって生前からずっとお寺さんにもいろいろ納めてたのに、それがかなえてあげられないなんてありえないから。
わたしはどういうふうに死にたいのかな、最低限の願いだけでも、それを支えて見届けてくれる人、いるのかな。いや、属人的じゃなくて、そういう仕組みがあったらいいのにね。とは思う。