昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
もう夜の寒さは完全に冬ですね。
昨日はエジプトから来たという若い女性が写真を撮ってくださり、メッセージを書いてくださいました。更に一度去っていったのに、温かいお茶とアルフォートを差し入れてくれました。やさしい……。
他にも大勢の海外からの旅行者が足を止めたり、写真を撮ってくれたり、サムズアップをしてくれたりしました。日本人のかたもそれを見て足を止める場面もけっこうありましたね。
終わってから、しばらく、じゅんさんと、さるじゅんさんの3人で話しました。
トランプ再選でいいことなさすごる、悪い未来しか思い浮かばない、という話に。
ぼくがエリカ・チェノウェス『市民的抵抗』は読むと元気になるよというと、さるじゅんさんはレベッカ・ソルニットの本を読みたいという。面白そうな本があったら教えてというと、さるじゅんさん、最近は買っても積んでるままなんですと嘆くので、だったら本持ってきて、本読みデモしたいねと提案する。安藤さんもやりたいといってたし、12月になったらやってもいいかもという話をする。 [添付: 5 枚の画像]
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は寒かったですね。
海外からの観光客が沢山足を止めてくださり、メッセージも書いてくださいました。
アメリカ大統領選挙の結果について、田浪先生やドットと話しました。信じられない、クレイジーな話だ、マジで。
あと、民医連や反核医師の会などに所属なさっている稲原真一さんもジョインしてくださいました。稲原さん、めちゃめちゃ話しやすいかたで、医療現場の人手不足についてや、国立病院の多くが赤字であることなどを話してくれました。ぼくが身近に見ていて不安を感じる医療の未来について、やはり稲原さんも不安視されていて、なかなか厳しいなと思ったり。コロナのことなど、もっとお聞きしてみたかったです。
暗い時代がすぐそこに迫っているときこそ、志が同じだと思える人との会話が大事なんだと思う。
絶望に抗うためにも。 [添付: 8 枚の画像]
核兵器禁止条約の広島開催については、それをやって日本にプレッシャーを与えたいこと、若い人たちに運動の担い手になって欲しいことなどを、熱のこもった口調で話されていました。
最後にお会いしたときには、上関さんのほうから「また話しましょう。核禁条約の締約国会議についても」とおっしゃっていました。もちろんです、とお答えしたのですが、次に上関さんがスタンディングに参加なさったときは、ぼくが休んでいました。
その後、岡崎さんから体調が悪化し、もう原爆ドーム前には来れないだろうという話をうかがいました。
お見舞いに行きたいなと思っていて、「カクワカの核兵器禁止条約オブザーバー参加の調べ学習」を見てから行こうかなと思っていた矢先でした。
上関さん、亡くなる前にも、まだ原爆ドーム前に行きたいと話していたそうです。
残念です。
ご冥福をお祈りします。
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は郵政ユニオンの岡崎さんがいらっしゃったので、上関さんのことを話しました。
車椅子ユーザーの上関さんは、11月1日未明に他界されました。
以外は岡崎さんからいただいていたメッセージです。
〈おはようございます。車椅子でドーム前に行っていた上関英穂さんが昨日の11月1日未明に亡くなりました。65才でした。若くして日本郵政の労組の役員を歴任し、全逓から離脱し少数組合の郵政ユニオンを立ち上げた後10年間東京本部の中央執行委員を務めました。退任してからは仕事をしながら広島の様々な活動に参画し、そして最後に力を入れていたのがドーム前でした。核兵器禁止条約の締約国会議の広島開催を目指す運動をしないかという呼びかけが最後のことばとなりました。〉
上関さん、原爆ドーム前のスタンディングについてとても評価してくださっていました。
この場所で毎日やっているということにインパクトがあるとおっしゃって、ご自身が核兵器の実験に反対して座りこみをしていたときに朝日新聞に撮影してもらい、紙面に載ったときのことなどを話してくれました。
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日はゆたかさんから自分のことは「マッセ」と呼んでほしいと言われました。と書いたところで平仮名表記がいいのか、カタカナ表記がいいのか聞いてなかったな……とりあえずカタカナ表記でマッセさんと書きます。
で、マッセさんが「吉美さん、小説を書くんですね。びっくりしました。本にはなってないんですか」と質問されたので、アンソロジーに収録されていますと答えると、購入したいとのこと。ありがたいです。
サルマさんが来たので、この間のハロウィンアクションについて話しました。サルマさん、ずっと先頭で歩いていたんですよ。あれは本当に勇気が必要だったと思う。後ろから見ていて、少しも臆することなく進んでいる姿は本当に素晴らしかったです。
で、サルマさん、途中でご友人たちと会って話していたんですが、あれがすごく不思議で。なぜ黒い布を頭から被っていて顔が見えないのに、友だちはサルマさんだとわかったんだろう、何が判別のヒントになったんだろうと気になっていたんです。だから質問してみました。すると、サルマさんが笑いながら、コスチュームを被っている姿を写真に撮って、LINEで友だちに伝えていたとのこと。
なぜそのことに、まったく思いいたらなかったのか、自分でも不思議ですね、マジで笑
「しかし、今は上映ができなくなった。10時7日以降、パレスチナの子どもに共感する回路はシャットダウンされてしまった」
「7年間の制作期間、何度も何度も映画の尋問シーンを見た。しかし、仕事が終わって家に向かうと通りではカフェで人々が口に楽しそうに談笑している。すぐ近くで虐殺が行われている今も、私の周囲では静かな生活が営まれている。状況を変えたくない、知りたくない、という考えが政府をサポートしてしまっているんです。だから現実を見るのが、厳しい、苦しい、辛いと思っても、虐殺や民族浄化をサポートしないため、風穴をあけるために、映画を作る。レフトだけでなく、極右にも観てほしい。そして裂け目を作りたい」
会場の雰囲気も含め、本当に素晴らしいイベントでした。
その後、原爆ドーム前に移動し、監督とプロデューサーもスタンディングの場に来てくれました。
ツイッターで今日来るとおっしやっていた女性も参加してくださいました。その女性は専門学校の先生で、生徒さんたちにガザのことを伝えたそうです。3回の連続講義で、きちんと興味を持ってくれた若い人もいたそうです。そういう試みは、本当に素晴らしいなと思いました。
終わってからは食事会をしました。これから何をやっていきたいのかを話せたのもよかったです。濃い1日でした。
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は色んなことがあって書ききれない。とにかく書いてみます。
昨日は『トゥ・キッズ・ア・デイ』という映画を観ました。
映画の後の講演会で、製作者のお二人に話を聞きました。印象的だった話がいくつかあります。
「シオニストの中にもリベラルな人々もいる。しかし、それはあくまでもシオニストの体制の中でのリベラルだ。彼らはイスラエルでデモをするけれど、その目的は、ガザの人々の命を奪うな、ではなく、人質が返すように行動せよ、というもの。リベラルな人々が口にする、リターン・トゥ・ガザというスローガンがある。これは、人質を返してもらってガザに帰ろう、それで終わりにしようという意味だ。これが〈リベラルで善良な人々〉の考え」
「昨年の10月までこの作品はイスラエル国内でも公開されていた。毎週3回上映していたけど、文化スポーツ大臣が公開中止を言ってきた。イスラエル軍に対するネガティブな印象を与えるから、という理由だった。大臣の意見に同調する反対運動もあったが、これが逆に評判になり、多くの人々が見に来た。知らなかった、という人たちもいた。もっと知らなければ、という人もいた。」
「遅かれ早かれ」という作品で、本戦に進みました。よろしくお願いします🇵🇸https://note.com/p_and_w_books/n/n191259bdf0b6?sub_rt=share_b
公式に発表されましたね。
『12月からグループとして呼びかける原爆ドーム前でのビジルは、金·土のみとなります。
·金曜日18:00-19:00
(アピール、情報共有なども)。
·土曜日15:00-19:00
(アートビジル)。
11月中は、これまでどおり毎日ビジル
を行います
(18:00-19:00、土曜日はアートビジル
15: 00-19: 00)』
https://www.instagram.com/p/DB1HL8PSr6W/?igsh=MWxhZ2Ywcmptb2pqcA==
グループとして、と書いてあるのは、個人として立つ人もいるからです。
12月月からは個人として、原爆ドーム前に立ちます。(18:00-19:00)
個人としてですので、1日も欠かさずというのは無理です。週に1日か2日は休みますし、体調不良などのときも休みます。
ですが、それ以外は今まで通り、立つつもりです。
もちろん、金曜日と土曜日にはグループにも参加します。
よろしくお願いします!
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
ハロウィンでしたね🎃
スタンディングしている最中にも、様々な仮装をした人たちが通り過ぎて行きました。
ちさとさんに映画のお話や哲学についてお聞きしたり、『市民的抵抗』について話したりしました。
終わってからは黒い布をかぶってハロウィンでごった返す街中にプラカードやバナーなどを掲げ、サウンドを流しながら歩いていきました。
仮装でごった返す道の真ん中を歩いていくと、自分たちが異物になった感じがしました。さっと避けたり、物珍しそうにカメラで撮影したり、反応もいろいろでしたね。
パーティーのような外界と、自分自身の内面の間に、頭から被っている黒い布があって、なんというか、こう、外とのギャップが目に見える形になっているような、うまい表現が見つからないんですが、どんどん中に入っていく感じがしました。
フライヤーを配ったんですが、いつもは目を見て渡すのに、相手の目が捉えられなくて苦労しました。声をかけて差し出すと「びっくりした」と逃げ出したり、「怖っ」とまじまじと見られたり。かと思うと、声もかけてないのに立ち止まってじっとこちらを見つめてきて、差し出されたフライヤーを受け取ってくれる人も少なからずいました。
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は開始直後に北アイルランドに住んでいるパレスチナ人のかたが足を止めてくだしいました。プラカードを見て、すごく嬉しそうな顔で話しかけてくれました。
湯浅先生が英語で話してくれて、メッセージも書いてくれ、ほぼほぼ1時間くらいいて、写真なども撮影して、何度も何度もお礼を言ってくださりながら、去っていきました。
他にも、自転車で通りかかって去っていった外国人のかたが戻ってきたり、遠くから写真を撮ってくださった外国人観光客にお礼をいうと近づいてくれて、ドットが話してくれたりしました。
ブンゲイファイトクラブの1次予選を通過したとドットに話すと、おめでとうと言ってくれました。ありがとう、本当に嬉しかったよ。
で、今日はスタンディング終わって19時から、サウンド付きの黒い行列アクションに参加します。やれることをやっていきます。
ブンゲイファイトクラブ、1次予選を通過しました!
https://note.com/p_and_w_books/n/n191259bdf0b6?sub_rt=share_b
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日は雨だったので、いつもの場所から少し離れたところにある大きな木の下に立ちました。
雨だから1人かもなと思っていたのですが、すぐに3人来てくださり、ドットと田浪先生、少し遅れてもうひとり加わり、計7人になりました。
今後の話や11月1日のアクションについて話したりしていると、旅行者が近づいてきて、1人の男性がすごい剣幕で怒鳴り始めました。
ただ、目の前まで近づいて怒鳴るのではなく、少し距離を取っていたので、そこまで脅威を感じるほどではありませんでした。
ハマスをサポートするのか、みたいなことや、ホステージ(人質)のことを口にしたり、英語が話せないのか、みたいなことを、ちょっと逃げ腰のまま大声で言っていました。
するとドットがコールを始めました。
男性のグループ(家族連れのようだった)は少し離れてからも何かを言っていたのですが(おそらくは日本人を馬鹿にするようなこと)、2人の外国人が男性に強い口調で注意し、互いに大声で応酬し始めました。
ぼくらはその間、ずっとコールを続けていました。
2つのグループはやがて大声を出しながらも距離を取り、離れましたが、シオニストの男性はぼくらの目の前にあった噴水の向こう側に回ってまだ何かを叫び、
昨日も原爆ドーム前のスタンディングに参加しました。
昨日はスタート直後に、北海道から修学旅行で広島に来た高校生たちが足を止めてくれました。ぼくとマラカイさんで話をして、最後は一緒にフリーパレスタインのコールをしました。
それからしばらくしてイギリスからの旅行者2人が足を止め、マラカイさんと話し始めました。女性のほうはたくさん笑っていたんですが、男性は腕組みをしていて、たまに笑ってはいるんだけど、なんだか微妙な感じ。ハマスハマス言ってるんだけど、マラカイさんの話にも耳を傾けている。微妙。
後で聞いてみると、「人間は、残酷なものなんだ。だから仕方ない」とか「ハマスは残酷だ」などと言っていたそうです。おれならすぐ切れちゃうけど、マラカイさんは話して楽しかったそうです。人間の差はこういうところに出ますね。。。
そのあと、友だちから原爆ドーム前でスタンディングしていると聞いて来ました、という神戸からいらっしゃった女性が参加してくださいました。山本栞さんのお友だちとのこと。ありがたいなと思いました。山本栞さん、ありがとうございます!
ジョインしてくれた女性、神戸のスタンディングで可愛いステッカーを貰って、また行ってみたいんだけど、いつやっているのかわからないとおっしやっていたんです。それで、神戸といえば
作家。第2回かぐやSFコンテスト大賞受賞。中訳版が〈科幻世界〉に掲載されました。SFアンソロ『新月/朧義果樹園の軌跡』に「盗まれた七五」が収録されました。メールアドレス:shun.yoshimi728@gmail.co