「しかし、今は上映ができなくなった。10時7日以降、パレスチナの子どもに共感する回路はシャットダウンされてしまった」
「7年間の制作期間、何度も何度も映画の尋問シーンを見た。しかし、仕事が終わって家に向かうと通りではカフェで人々が口に楽しそうに談笑している。すぐ近くで虐殺が行われている今も、私の周囲では静かな生活が営まれている。状況を変えたくない、知りたくない、という考えが政府をサポートしてしまっているんです。だから現実を見るのが、厳しい、苦しい、辛いと思っても、虐殺や民族浄化をサポートしないため、風穴をあけるために、映画を作る。レフトだけでなく、極右にも観てほしい。そして裂け目を作りたい」
会場の雰囲気も含め、本当に素晴らしいイベントでした。
その後、原爆ドーム前に移動し、監督とプロデューサーもスタンディングの場に来てくれました。
ツイッターで今日来るとおっしやっていた女性も参加してくださいました。その女性は専門学校の先生で、生徒さんたちにガザのことを伝えたそうです。3回の連続講義で、きちんと興味を持ってくれた若い人もいたそうです。そういう試みは、本当に素晴らしいなと思いました。
終わってからは食事会をしました。これから何をやっていきたいのかを話せたのもよかったです。濃い1日でした。