2枚目ブレーキシリンダ左下(スラックアジャスタ直下)に見えているのがM三動弁(M-2-A:いわゆる横ピストン型)ですが、1,4枚目は管座を残して三動弁が撤去されて盲蓋されており、3枚目はたぶんブレーキシリンダの反対側に管座だけ残されているかと思われます。
この写真だと右下に見えている、M-2-Bと刻印がある縦型円筒形と横向きの丸い管座接続部が組み合わされている構造物がM三動弁です。私はいわゆる縦ピストン型と勝手に呼んでいます。
1905年にL三動弁で取り入れられた非常高圧機能は、R三動弁より短編成向けで簡易型だったT三動弁にも取り入れられた。この改良型が広く普及したM三動弁で、白井氏によるとその発売が1907年のこととされている。
常用部と非常部の分離等で高機能ではあったが複雑高価格化していたL三動弁に比べ、非常急動作用がないながらも非常高圧機能を持たされたM三動弁は、2,3両連結が多く資本的にも脆弱なものが多かった中小インターアーバン電車群で広く普及することになった。
http://www.northshoreline.com/car121.html
ノースショア線の木造電車もM三動弁であったし、中西部のバンバーガー電気鉄道(Bamberger Electric RR)もそう、カナダのロンドン&ポートスタンレー鉄道(London & Port Stanley Ry)もM三動弁を採用した。むろん、かの有名なPE(Pacific Electric Ry)もM弁を採用している。
https://www.flickr.com/photos/whitebeard/969580318
インターアーバンに留まらず、路面電車でもインターアーバンとの中間的な存在の路線でもM弁は採用され、その代表例はキーシステムの電車がそうだ。これらM弁のインターアーバンや路面電車群は一部が保存電車となり、現在でも動態保存の形で残っている。
https://www.wrm.org/visit/car-roster/passenger-cars/interurban/item/63-key-system-186
ただし、あくまでもL三動弁の廉価版としての位置づけであったからか、WHとしてはその性能自体を高らかに喧伝したものでもなかったようで、整備マニュアルや広告などは全然見つからない。
このM弁は日本にもかなり遅れながら導入されることになった。高速電車の発達が早かった関西私鉄ではGEの抱き合わせ売り込み商法のせいなのか、単に要求性能の問題なのか、GE非常直通やAVRが多くM弁は目立たず、結局は1924年(T3)頃の京阪や東武が採用することになる。(南海電2形の制動装置は未だ不明なようなので、考慮していない)
鉄道信号屋さんで仕事しています
普段はTwitterに出没中
Twitter:https://twitter.com/yokoooji6291
ウェブサイト:https://kh26242924.wixsite.com/syukuri-mu