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展示テキスト“何世紀にもわたる人種的暴力と植民地主義に対し”、のナラティブに帝国主義が指摘される面を持つ社会改革運動としての民藝運動が取り込まれると私がパンクしましたダッシュ40分映像作品はあきらめて見た、しあすたー・げいつ展覚書き

文化村シネマでキリル・セレブレンニコフの『チャイコフスキーの妻』予告編がばんばんかかるのだが、作風からして幻視の中で悪妻アントニーナがチャイコフスキーの乳首をもいだりするのかなあ…とか考えてしまう。フィクションの悪影響(&記憶をお上品に修正していた)であります。
セレブレンニコフの名前はアンドレイ・クルコフ『侵略日記』に“善良なロシア人”のひとりとして出てくるのだった

ncode.syosetu.com/n7348ho/

評判がかんばしくないシアスター・ゲイツ展、さらに(なんでもそうですけど)自身の民藝の理解がてきとう過ぎるのが気を重くして、1980~1990年代、台湾ビデオ・アートの黎明期(上映編)の方に流れている

そういや、ファシストのガラスのお家(カサ・デル・ファッショ)があったな…。と『政治の美学――権力と表象』田中純(三ノ宮で定価+2000円で入手)、の目次をぼんやり眺めていて思い出しました。この印象的なファサードと秩序で満ちたお家の説明テキストに頻出の「ファシズムとは内部が見通す事のできるガラスの家である」byムッソリ-ニ。って元はどこなんだろう

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今日はストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ(作中の服&インテリアのスタイリングと壁の絵を見るのに忙しすぎた)に当てられてつい買った赤いバンダナを巻いています。先の週末ベロッキオの『夜の外側』(340分)に時間を蕩尽したついでに赤くてアカい服着ていればよかったかも。アカといえば、フィルム・ノワールを編集したファウンド・フッテージ映画『RAGTAG』を見終わった後、やれやれ概要に書いてあるような作中に示されたテーマは大体見ながら拾えたぞ、、とふんふん安心していたら「赤い恐怖」が丸々ぽっかり拾えていなくて少々ショックを受けたのでした。
cineuropa.org/en/video/429851/

色々な事:おむつからうんこもれて服に染みたわ~。ともろもろ処理してリビングに戻ってきたら、小屋から出てきた亀が足を止めて首を持ちあげ座布団に寝かせた赤ちゃんをしげしげと眺めていました。新しい動物

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ポストフォーディズム論者の「労働力の女性化」批判の箇所は、アウトノミアの主著なんかを何年かかれば読むんじゃいな私に普通に役立ち、ドラァグキング実践の“男性遊歩者になる”風が抜けるような爽やかさを追体験し、フェミニズムが問う親族関係の重みを(ハラウェイがバトラーが何であんなことを書いているか)じわじわと腰に来る赤ちゃんの熱さ重みとして感じ、ベアバッキングに触れたテキストでで噴きあがる暗い怒りに一瞬同調するもこれは私の怒りではないのでと半身を引いたり、ええ色々な事がありました

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夏休みの前半は、赤ちゃん(やっぱり私が生んでいない)に授乳(私が産出していない母乳、または工業製品のミルクを)したり、泣くのを膝の上に乗せてゆすったりしながら、プレシアド『テスト・ジャンキー』を読んでいました。暑さで頭がくらくらしているせいかなわりと読みやすかったかも…?

子ども(私が生んでいない)に付き合って、おさるのジョージを30回、ひつじのショーンを50回、インサイド・ヘッドを100回超見た私は万全の状態だ。

決して怒らない「黄色い帽子のおじさん」の無限の寛容の源は安定した資産状況と謎めいて未決定のセクシュアリティから生じるものだと姉と言い合い(つまりおじさんの姿勢に倣えず私たちは子どもに四六時中ぶりぶり怒っている)、ショーンの牧場主の妻は犬である。と強く主張してアニメ無限再生の時間をくぐりぬけるのだ

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赤堤通りを歩いていて、間接照明の計算された明かりとぎっしりの書架がガラス戸からちらり見える建物が松岡正剛の「ゴートクジISIS館」「井寸房」と呼ばれるスペースだったのか~。という驚き

ジャック・ハルバースタムの『失敗のクィアアート』「第五章 同性愛とファシズム」、がまさにドンピシャのためウオォとなりながら読んでます。第一章からずっと楽しい

8月ディーゼルギャラリーで、トム・オブ・フィンランドの自由な美しいゲイたちの前で感染する幸福の空気にうきうきしつつもレザーの黒い輝きの中にファシスト的な美を眼はうろうろ探し、一方でノスタルジーは線の取り方デフォルメと塗りにSNKの看板イラストレーター森気楼の参照(絵のギース・ハワードが死ぬ程セクシーだった理由だ)に向かい、気がついたらVRツアー「TOM House the VR Experience」VRゴーグルの盗難防止ケーブルにぐるぐる巻きになりギャラリースタッフの人に解いてもらって恥いるなど…

倉俣史朗の透明アクリルでできた『プラスチックの家具 洋服ダンス』(1968)の前で、フィリップ・ジョンソンの『ガラスの家』の前に立つアンディ・ウォーホル(1960)、講師の先生「この写真いいでしょ!!!」が、プロジェクターで映し出された時もウケたし(クローゼットの認識論)、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)、ベン・アフレック演じるブルース・ウェインが湖畔のスケスケでゴージャスな家の中に居る遠景ショット、で映画館で腹が捩れるほどひとりで笑っていたことも思い出す。

なんで私が笑っているか分かるけど分からないでしょ?
filmandfurniture.com/2016/03/b

「ワイヤレススピーカーを内蔵した人工石が部屋の真ん中に置かれ、フィリップ・パレーノ執筆、俳優村上純子の声(日本語版)による、オートマトンについてのテキストを語ります。」
watarium.co.jp/exhibition/1910

このテキスト。現在開催中12月までの会期中に箱根ポーラ美術館に辿り着けますように

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書き写し:

オートマトンはフィクションです。フィクションはリアルなことに先行します。建築のように、企画が建物に先行するのです。リアルなキャラクターではありませんが、タルムードにおけるゴーレムのような可能なキャラクターの外観です。機械は動物です。金色の亀。ゴンドラを引くタツノオトシゴ。ザリガニと蜘蛛。歩くトカゲ。エチオピアの金色のイモムシ。
(…)
注目してください。そして、留意してください。アミニズムと永久に続く動き。ユニバーサルな力学。サイバネティクスとバイオニック。オートマトンにとって、永遠こそが永久性です。アートは歩く死体であり、しゃべる石なのです。

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2019年ワタリウム美術館のフィリップ・パレーノ展の作品解説の紙が出てきた(しゃべる石 2018年)、な…なにも覚えていない…

収容所のあの奇妙な言葉「回教徒(Muselmann)」について書かれた文章と思ってふがふが読んでいると、第3章「燔祭としての原爆」で一挙にどこか遠い場所ではなく長崎の浦上地区に炸裂する天の光、犠牲/パッションに焼かれる燃え上がる文章へ変化する、ネットで無料で読めるPDFは『犠牲と身代わり—記憶できないものをめぐって』長田陽一
として書籍化されていたのかー

『燔祭/ホロコーストと応答可能性』
koka.repo.nii.ac.jp/records/14

映画『オッペンハイマー』の補遺としてとか、『関心領域』の知っていることから目を逸らすことの単純化を複雑さに戻す。とかちまちました操作なり壁なりををぶちぬいてきましたよ

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『RICHLAND』、アメリカの「ハンフォード・サイト」核燃料生産を礎にする共同体から眼を離れず意見の異なる人々を映画の中に描くことを穏やかに達成するドキュメンタリー…多層のレイヤーとファットマンが炸裂した過去の地点から現在の足元まで押し寄せる多数の水脈を処理出来ず観てからほっといたのを、歴史の経験の否応ない違いを露わにした長崎市平和祈念式典の各国大使出席拒否のニュース&沸き立つSNSを受けて、さすがにな〜〜パンフレットを読みました
richland-movie.com/#

オーガニック/ヴィーガン/薬膳…なスープカレー2200円(とうもろこしのかき揚げを追加)を食べ、自レストラングループで畑を持って地野菜を育ていて味が違うんです!という爽やかな調子の説明を聞き、そこまでは飲食店で料理とサービスの提供を受けた。の範疇に入るのだが、畑の茄子が1日でどんどんどんどん育ち膨らむ茄子の勢いは人間には止められず店で提供できる量を超え…話は植物ホラー的な彩りを帯び、くだんの余った茄子をてきぱき袋に詰め持たされて店を出て、支払った2200円の持つはずの釣り合いがヒスイ茄子の輝きと揺らいでいる

この特集上映、気は惹かれるけれど、メインタイトル作は避け……るかな。と、掲載の文字をろくに読んでいませんでしたが、併映3作の長編『ネプチューン・フロスト』が下記の景気の良さで、モリモリ釣られました。

>電子廃棄物キャンプの独裁者に立ち向かう奴隷労働者たちを描くSFパンク・ミュージカル。
>クィア・アフロフューチャリスト・Sci-Fiパンクミュージカル!

デボラ・ストラットマン監督作品もあるじゃないか。ぐ…

8/3〜8/16「人機の情動 /MAN MACHINE EMOTION 」
imageforum.co.jp/theatre/movie

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