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主人公の料理人達を末端消費者に位置付けて、持続可能性を追求する農業畜産の生産者の連続を見せる構図は初期作の『肉』、置換可能な大都市ではない固有の土地で高級レストランの労働を組織する様子は、『ストア』『競馬場』『アスペン』、料理人の技能の伝達と教育は『高校』『高校2』、てな感じの初期作の総合かしら。

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フレデリック・ワイズマンの『至福のレストラン/三つ星トロワグロ』で料理人の動作&伝達&動作&動作を見て、レストラン併設のパン屋に寄り、厨房の奥オーブンの前でオーブンシートに絞り袋から何かを絞ってる人、サーモンを切り分ける人、高級料理の皿に乗っかってる小さくひらひらした謎の具材をバットに用意している人を見物しました。

ところでインタビュー(コールハースは公共プールが好き)が気に入って、仕事の後に週一で公共プールに通うことにしました。『錯乱のニューヨーク』のシュールな「プールの物語」を読み直して準備はばっちりだ。いちおう三日坊主にならず続いてます。しかしながらびんぞこ眼鏡なので“無階級社会のユートピアが現実になる場所”はぼんやりとしか見えません

小説ではミッテラン=専制君主/建築家の関係性がわりあい戯画的に書かれていて、建築事務所を従え国際コンペを勝ち抜く現代のつよつよ建築家は権力者について何かコメントは…とお手軽にググったコールハースのインタビュー。うーん大阪万博

>絶対的な権力をもった建築主を欲しがる建築家など、いるはずがない。心の底の、そのまた一番闇の深い片隅にさえ、そんな考えはあり得ない。最初に権力者の犠牲になるのは、自分達だ。
ssense.com/ja-jp/editorial/cul

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MyFFF2024バンリューの記憶を扱った“熱くない”「フランス郊外映画」として印象に残った連続に『新凱旋門物語― ラ・グランダルシュ』を読みました。同じグラン・プロジェのひとつ、オペラ・バスティーユ建設の勝利の物語(『Building Bastille』 (2021))とは裏腹の、象徴的な中身を失った巨大モニュメントの礎石に埋められた厳格なフォルマリストの、白い大理石の下の切り売りされた都市のリミナルスペースの憂鬱さの、しかし今も門は霊感をたたえ巨大なヴォイドは中心から郊外へ抜ける力の導線として生き続ける。伝記になれない不安定な震えの上に建つ建築小説でした。

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アニメーション・ドキュメンタリー『新凱旋門/La Grande Arche』(2022)予告編
youtube.com/watch?v=w6rlIvY1Ah

@miyarisayu はじめまして。あんな殴り書きに反応いただき恐縮です…!絵本という形式で出会っていなければ展示の構成の一要素として壺の前をさっと通りすぎていたはずで、翻訳出版や本を紹介した方の尽力の上に見ることが成立しているんだな~と妙にしみじみとした気持ちになっていました

社内を歩いていたコオロギっぽい人を来客用麦茶グラスと廃封筒で捕まえて外に放って今日の仕事は終わりです

yanabuuu さんがブースト

【ほぼ百字小説】(5428) もちろん亀は鳴かないし歌わない。亀の歌とは、亀が歌うのではなく亀の側にいる者が亀のことを歌う歌なのだ。亀を見て亀のことを歌わずにはいられなくて歌う。そういう意味では、亀は鳴く、とも、歌う、とも言える。
 

yanabuuu さんがブースト

【ほぼ百字小説】(5427) 亀を歌った歌だ。物干しに暮らす亀の速度で洗濯物を干しながら、亀の中を亀の速度で流れる亀の時間を歌った歌。現実には鳴かない亀が、「亀鳴く」という言葉の中でだけ鳴くみたいに歌うこと、という注意書きがある。

産業芸術と美術の関わりは、8月に見た「梅津庸一 クリスタルパレス」(国立国際美術館)での陶芸作品の羅列と信楽の地場産業レポートの第3~4章「新しいひび」「現代美術産業」、版画工房との協働作品を多く含む第5章「パビリオン、水晶宮」シンクロします(こちらも迷路実験に混乱した哀れなねずみのように2周で駆け抜けました…)

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※絵本『つぼつくりのデイヴ』で知った。文/レイバン・キャリック・ヒル、絵/ブライアン・コリアー、訳/さくまゆみこ、光村教育図書
参考:メトロポリタン美術館の展示
「Hear Me Now: The Black Potters of Old Edgefield, South Carolina」
metmuseum.org/exhibitions/edge

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展示の最初の方、19世紀に奴隷の陶工として生きたデヴィッド・ドレイク(David Drake)※の署名入り陶器(日本でぼんやり暮らしていて実物が見れるとは思ってなかったガン見)、リチャード・ハントの(公共)彫刻、ハモンドオルガンの演奏パフォーマンス、建築プロジェクトの資料展示、近代化と産業化の歴史を語る常滑のやきもの産業、作家の作陶の黒い形と表面、屋根ふきの技法で作られた大型作品の皮膜…。労働と生活のよろこび、搾取で成り立つ社会、公共的なもの、と展示の筋が通ってました。現在の融合点として置かれた「アフロ民藝」の映えるプレゼンテーションに頭がパーンして持ち時間で立ち直れなかったようです。

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展示テキスト“何世紀にもわたる人種的暴力と植民地主義に対し”、のナラティブに帝国主義が指摘される面を持つ社会改革運動としての民藝運動が取り込まれると私がパンクしましたダッシュ40分映像作品はあきらめて見た、しあすたー・げいつ展覚書き

文化村シネマでキリル・セレブレンニコフの『チャイコフスキーの妻』予告編がばんばんかかるのだが、作風からして幻視の中で悪妻アントニーナがチャイコフスキーの乳首をもいだりするのかなあ…とか考えてしまう。フィクションの悪影響(&記憶をお上品に修正していた)であります。
セレブレンニコフの名前はアンドレイ・クルコフ『侵略日記』に“善良なロシア人”のひとりとして出てくるのだった

ncode.syosetu.com/n7348ho/

評判がかんばしくないシアスター・ゲイツ展、さらに(なんでもそうですけど)自身の民藝の理解がてきとう過ぎるのが気を重くして、1980~1990年代、台湾ビデオ・アートの黎明期(上映編)の方に流れている

そういや、ファシストのガラスのお家(カサ・デル・ファッショ)があったな…。と『政治の美学――権力と表象』田中純(三ノ宮で定価+2000円で入手)、の目次をぼんやり眺めていて思い出しました。この印象的なファサードと秩序で満ちたお家の説明テキストに頻出の「ファシズムとは内部が見通す事のできるガラスの家である」byムッソリ-ニ。って元はどこなんだろう

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今日はストレンジ・ウェイ・オブ・ライフ(作中の服&インテリアのスタイリングと壁の絵を見るのに忙しすぎた)に当てられてつい買った赤いバンダナを巻いています。先の週末ベロッキオの『夜の外側』(340分)に時間を蕩尽したついでに赤くてアカい服着ていればよかったかも。アカといえば、フィルム・ノワールを編集したファウンド・フッテージ映画『RAGTAG』を見終わった後、やれやれ概要に書いてあるような作中に示されたテーマは大体見ながら拾えたぞ、、とふんふん安心していたら「赤い恐怖」が丸々ぽっかり拾えていなくて少々ショックを受けたのでした。
cineuropa.org/en/video/429851/

色々な事:おむつからうんこもれて服に染みたわ~。ともろもろ処理してリビングに戻ってきたら、小屋から出てきた亀が足を止めて首を持ちあげ座布団に寝かせた赤ちゃんをしげしげと眺めていました。新しい動物

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ポストフォーディズム論者の「労働力の女性化」批判の箇所は、アウトノミアの主著なんかを何年かかれば読むんじゃいな私に普通に役立ち、ドラァグキング実践の“男性遊歩者になる”風が抜けるような爽やかさを追体験し、フェミニズムが問う親族関係の重みを(ハラウェイがバトラーが何であんなことを書いているか)じわじわと腰に来る赤ちゃんの熱さ重みとして感じ、ベアバッキングに触れたテキストでで噴きあがる暗い怒りに一瞬同調するもこれは私の怒りではないのでと半身を引いたり、ええ色々な事がありました

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