いったんぜんぶボツ
(あらためて読み返すとずいぶん稚拙だけど、その時々で描きたかったテーマぜんぶ描いてみた、という点では大切な習作ではある。この連作群に上手く組み込めなかった意匠を、より練った形で新しい創作に溶け込ませていきたい)
シン・「新訳 動物園が消える日」のための創作ノート
ほとんどの日本人が太平洋戦争中の悲惨な出来事として「戦時猛獣処分」(『かわいそうなぞう』)を知っている。
しかし、毒餌を食べさせられあるいは飢えて死んでいく動物たちに何も出来ない無力感を抱いた若い上野動物園職員たちが、1950年の朝鮮戦争勃発時、日本が再び戦争に巻き込まれることを危惧し、二度と同じように猛獣処分を繰り返さないため、「疎開先」に伊豆大島を定め、「非常事態打開計画資料」を策定したことは知られていない。
僕も昨年訪れた伊豆大島で企画展「あんこさんとゾウ」を観て初めて知った(この企画展は井の頭自然文化園と上野動物園にも巡回し半年近く見ることができた)。「新訳 動物園が消える日」の再始動にあたり過去を舞台にしたエピソードを加えることにしたのは、この展示で知った事実から受けたインスピレーションが大きい。
https://www.my.metro.tokyo.lg.jp/contents/000-20220705-00005121/?category=culture_sports
シン・「新訳 動物園が消える日」のための創作ノート
新しい創作は、過去、現在、未来をリンクさせる。
1950年〜1955年を舞台に、ホンモノの動物たちを見たい、と願った「戦後日本の子どもたち」に応えながらも歴史の闇に消えた巨大移動動物園「タルヤサーカス/株式会社日本動物園」をモデルにして、若い移動動物園事業者「平友和」の奔走を描くパート。朝鮮戦争の拡大を憂いて現実に構想されていた「有事の際の伊豆大島への上野動物園移転計画」に平が翻弄され変わっていく様を「失敗の戦後史」のメタファーとして描出する。
2020年、コロナ禍で臨時休園している動物園の若い飼育員「中道七海」が人と動物を守るために苦闘しつつ、雇い止めでホームレスになった人と動物の未来を考えるパート。
2055年、進行する人口減少(「日本社会消滅」)のただ中、平が関わった移動動物園の歴史を発掘し、最後の花火として超大型移動動物園「Zoo Zoo トラムで」の復活(同時にそれは「日本人全員移民化計画」の国民運動を巻き起こすための謀略でもある)を構想する官僚たちの野心を描くパート。
この3軸で虚実織り交ぜて連作とする。
シン・「新訳 動物園が消える日」のための創作ノート
シン・「新訳 動物園が消える日」のための創作ノート
きょう、唐突に「コロナ禍以降3年にわたり執筆中断してきた小説を、全編改稿し書き直そう」という気持ちが生まれた。
2018年頃から構想してきた近未来動物園小説「新訳 動物園が消える日」(紅テントで上演された唐十郎の戯曲「動物園が消える日」を2017年に観たことに影響を受けている)は、2019年に消滅した動物園を巡る大規模な取材旅行を経てある程度のところまで書き上げたが、私自身の人生経験・社会経験の未熟さにより描写を深められなかったこと、2020年からのコロナ禍により全国規模での休園という形で現実に「動物園が消える」事態に直面し当初抗争があまりにも陳腐なものになってしまったことから、長く凍結状態にあった。
いま、私が見た「コロナ禍の動物園水族館」の3年間をやっと総括できるようになったこと、また動物園水族館を巡る歴史的な探求活動の進展や仕事・交友を通じた自身の成長を経て、ふたたび構想を再開できる気がしてきた。
執筆に踏みきる理由はもうひとつある。躁鬱にも近い循環気質がもたらす熱狂と好奇心のため旅行と体験にのめり込んだあまり、私は交通費やら宿泊費やらに浪費してしまう悪癖がついてしまっていた。「いま、ここ」で「ここではないどこか」を夢見る修練が必要である。
この本購入したいけど今年に入ってから書籍にお金遣いすぎで咀嚼もできていないからこのあとはしばらく新刊本に次々手を出すのを自重しなくちゃ
勉強のため。ギョームにも趣味にも生かせたら楽しそう。クリップ。
雑事
農民の家の子だから農林中金の口座持ってるけど住所変更手続が半分しか電子化されてない(届出はwebだけど入力した届出事項をけっきょく郵送することになる)。平日は仕事が忙しく荷物を受け取れないから、配達も二度手間になるし。時代の空気が読めていないなぁ
あたまぱっかんバーミヤン🍑
私は双極性障害の診断を受けているわけではないが、ハイな時期の気分の亢進や浪費癖、ローな時期の沈鬱さや思弁性など循環気質を疑われるエピソードが多い。
元々学生時代から日照時間の少ない11月末〜2月は気が塞ぐ季節性の抑うつ持ちだったのが、就労して睡眠時間が削られるようになってから通年で気分のアップダウンがあらわれるようになった。
衝動的に日本中の動物園や水族館に旅をしてしまうのも、ある意味では症状の発露と言える。
大人になってから惹かれた作家も躁鬱の人が多い。開高健、中島らも、絲山秋子、坂口恭平……。
中でも絲山秋子先生の『絲的ココロエ』と坂口恭平さんの『躁鬱大学』は循環する気分の頂と地底にあるとき道標になってくれる座右の書だ。
絲山先生とは動物園がご縁になってご一緒させて頂いたこともある。パワフルで明朗な人だった。しかし同時に底つくことのない深い井戸を心の中に掘り下げていることは、作品を読んで理解した。
フラットになれたらいい、と何度も願った。就労時は軽躁状態が上手くハマればホームランも打てる。その代わりハイが極まりすぎて集中出来ないこともあるし、鬱で周りの人すべてが偉く見えたりする日は簡単なことでもすぐ間違える。
それでも、この操縦しにくい身体を乗りこなしていくしかない。
縮減