6年間で数えきれないくらいの動物園水族館やそれに類する施設を歩いた。日本全国。
動物園繋がりで絲山秋子さん(作家)や奥村野乃花さん(元虹のコンキスタドールメンバー、アイドルプロデューサー)、ハミ山クリニカさん(漫画家)に武真祈子さん(霊長類研究者)、本屋しゃん(プランナー)……といった人々と交流するきっかけも得られた。
今年はひとり大牟田市動物園に発つ計画も立てていた。でももうひとりだけの人生ではない。富山への旅で実感した。
この数週間で状況は一気に動いた。計画は凍結し、動物園おじさんとしては撤退戦に入る。「創造的人生の持ち時間」(「風立ちぬ」)はまだ少しだけ残っているはずだけど。
短歌、笑ってしまうくらいできなかった。
動物園において短歌を詠むには動物たち自身や園側が発信してくるメッセージを一旦無視して自分のことばと接続する作業が必要になるのだが、久しぶりに規模の大きい動物園を訪れたことに加え初めての場所だったので、わたしの意識は目の前で繰り広げられている状況の解読作業に没頭してしまい、新釈を作り出すに至らなかった(盛岡市動物公園ZOOMOの一観客としては、ツキノワグマの姫とリオの関係性が見ていて楽しかったし、心は満たされたものの)。
わたしに詩の才はない。
それだのに、笹井宏之の歌集を薦めてくれた詩人の魂のかたちをいっとき愛してしまった(その詩人はうつくしい思い出だけを残したまま簡単に彼岸を越えてしまった)ばかりにわたしは短歌に執着し続けている。
一首だけ、苦しまぎれに詠んだうたを置く。
シン・「新訳 動物園が消える日」のための創作ノート
ほとんどの日本人が太平洋戦争中の悲惨な出来事として「戦時猛獣処分」(『かわいそうなぞう』)を知っている。
しかし、毒餌を食べさせられあるいは飢えて死んでいく動物たちに何も出来ない無力感を抱いた若い上野動物園職員たちが、1950年の朝鮮戦争勃発時、日本が再び戦争に巻き込まれることを危惧し、二度と同じように猛獣処分を繰り返さないため、「疎開先」に伊豆大島を定め、「非常事態打開計画資料」を策定したことは知られていない。
僕も昨年訪れた伊豆大島で企画展「あんこさんとゾウ」を観て初めて知った(この企画展は井の頭自然文化園と上野動物園にも巡回し半年近く見ることができた)。「新訳 動物園が消える日」の再始動にあたり過去を舞台にしたエピソードを加えることにしたのは、この展示で知った事実から受けたインスピレーションが大きい。
https://www.my.metro.tokyo.lg.jp/contents/000-20220705-00005121/?category=culture_sports
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