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小学生で地元開催された愛知万博を経験した僕にとって、万国博覧会はオリンピックや様々な国際的スポーツ大会よりも思い入れが強い。戦後、日本各地で博覧会跡地が動物園に変わっていったことも関心を深める理由につながっている(愛知万博跡地はジブリパークになってしまったが……)。大学時代に吉見俊哉先生の『万博と戦後日本』を読み、この国際イベントが楽しいだけじゃなく、内政、外政それぞれの思惑が渦巻く坩堝であることも理解している。
それだけに、大阪万博がいまこの時代においてどう再解釈され、その「夢のあとさき」が何をもたらすかについてはちょっと注目している。

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あと、きょうはこいびととお出かけしたあと、役に立たない万博論を考えていた。三波春夫というアイコン、そしてテーマソングなきまま進められる2025大阪万博の空洞、普遍性のなさについて(三波春夫の「東京五輪音頭」も、市川崑の「東京オリンピック」もない2020(2021)東京オリンピックが僕にとってどこまでも空虚な祭礼だったように)

open.spotify.com/track/5eBNhfZ

爆発的寝落ちのあと深夜25時に起き、ふたたび眠れない(あしたからまた地獄のような勤務が始まるのに、、、)ので、文フリ後浅く一読して長く積んでいた長濱よし野さん編集の「Tes yeux」を再読。生活綴方のリトグラフがあしらわれた表紙がうつくしい。「まなざし」が主眼となった随筆・評論パートを特に興味深く読みました

この発言の真意、全くわからなかったんだけど、ことし映画「そばかす」を観て少し肚に落ちた気がする。あのひとが望む関係性ははじめからわたしが望む関係性とはちがう形だったというだけのこと

notheroinemovies.com/sobakasu/

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去年一瞬だけ付き合った(手も繋がなかったから「付き合った」と言えるかは微妙だが……)ひとから、別れ際に「あなたが女の子だったら、きっと一生の友達になれたはずなのに」って言われて割と深めに傷ついたんだけど、「わたしが男の子だったら……」という話法でなかったために変えようがないシス男性としての身体やセクシュアリティを責められたように感じてしまったのかも知れないな
わたしが男性としての(社会通念的な)性役割規範を受け入れようとしない(それでいて、シス男性としての欲求もない訳ではない)態度であることに気付いていたから、あのひとはこのような言い方でわたしを断ち切ることにしたのかも知れないけど

わかる。対話が目的ならサシしか勝たん。

night monkey さんがブースト

どうも人間ガチ勢です。出会った人とは深く繋がりたい系です。男女でワイワイするのも悪くないけど基本的にはサシ一本でいかせてもろうてます。あ、出会った、ご飯どう?このトントン感GOOD。

ただ、人間ガチ勢はサシのハードルが超低いので軽いと思われがち。いや、ちゃうねん!私はあんたと話したいだけやねん、聞きたいことめっちゃあんねん!好きなカルチャーの話するなら絶対二人の方がいいやん?あの炎上どう思う的な話とかひっそりしたいやん?でちょっと仲良くなれたら小さい秘密ごとも共有したいやん?うん、やっぱりおしゃべり大好き。

とはいっても、最近の私は家と会社を往復するだけの地味社会人ですから。知らん人たちとのワイワイ飲み会ならほぼ欠席。家でビール飲みながらインターネットです、ほぼ毎日。遊びに出かけることが仕事ぐらいの大学時代とはもう全然違うので、「あ、出会った」はめっきりなくなり、そしたら「ご飯どう?」もできなくなり、周りから「軽いね〜チャラいね〜」と思われることもなくなりましたわ。良いのか悪いのかわからん。でも不満がないとないでちょいさびしいもんなのよな。

はー、おらんうーたんになりてぇー

限界の時は、限界シフトを敷くのだ

限界労働者になってしまったので木金は夜まで楽しい動物園おじさんとしての活躍を一時停止します

私小説を書きたいが、とにかく時間が足りない

大江健三郎作品について 

『「雨の木」を聴く女たち』、今なかなか新刊書店に置いていないらしい。手放してしまったのは惜しかった。読売文学賞だって受賞しているのに(最近気づいたけど、文学作品に向き合うときの僕って、けっこう権威主義者だ)。

shinchosha.co.jp/book/112615/

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大江健三郎作品について 

僕は大江の良い読者ではない。読んだことがあるのは4冊。
高校生の頃に手に取った『個人的な体験』と『「雨の木」を聴く女たち』。昨年手に取った『芽むしり仔撃ち』と『万延元年のフットボール』。
前者の2冊は、ノーベル賞作家という理由で手に取ったけれど、扇情的で刹那的なセックスの描写が理解できなさすぎた。実はこのヒトってヘンタイなんじゃないか、という17歳の潔癖な拒絶が長くこの作家の次の作品を手に取ることを妨げていた(村上春樹や村上龍の性描写よりもいやらしく感じてしまったのは、この作家に与えられた栄誉の権威性と、「国語便覧」での作家紹介を通じて抱いていた人道的な人間像との落差が大きかったからだろう)。
『セヴンティーン』も『性的人間』も手に取らないまま、17歳は過ぎ、大学を出て、長く文芸作品を読むことすらままならない日々が続いた。
後半の2冊は、僕自身の大江文学に対する先入観を砕いてくれた。閉鎖空間と「精神の閉鎖性」について深度ある掘り下げ方をした日本文学にこれまで出会えていなかった。僕自身の奥山育ちという背景とも共振する物語。世界像の全体を見ずスキャンダラスな一部分に過敏に反応していた17歳の日から、ずいぶん遠くに来て、ようやくその文学的豊穣さを味わえるようになったようだ。

趣味活動継続のための選択と集中② 

・「したいこと」よりも「しないこと」を決める

○「全国全ての動物園水族館を巡りたい」という執着を捨てる。「行けたら行くわ」くらいの
ノリでいい。

○「今しか見られない動物の赤ちゃんを絶対見観たい」という執着を捨てる。「行けたら行くわ」くらいのノリでいい。人気動物の赤ちゃんはカメラ勢の撮影場所争奪戦やマナー問題で紛糾しているケースもある。遠目に見る。

○被写体として特異な人気がある種、個体への執着を捨てる。「観れたら観るし写真レポはいいカメラを持っている人に任せるわ」くらいのノリでいい。食肉目(ホッキョクグマ、大型ネコ科、タヌキ、マヌルネコ他)はプレーヤーが飽和状態。上記の撮影論議に巻き込まれるのも本意ではない。

○アニマルライツ問題(特に特定個体への園館への対応)に関するヒステリックな議論を見かけたらそっと距離を置く。特に園館への直リプやお問い合わせなど直接行動をみだりに呼びかけまた誇るような主体からは距離をとる。それは私の主題ではない。施設のスタッフも人間なのに、ヒトのこころが分からない人とはご一緒したくない。動物好きの人間嫌いにはなりたくない。

○ベストショットにこだわらない。僕のカメラはスペックが低いし、バッテリーも少ない。表現手段は写真だけじゃない。

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