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人生のほんの一瞬すれ違い、粗末に付き合い、やがて離れていったひとたちについて 

21歳の頃に知り合い、「君は教師よりも教祖の方が向いているよ」と言った彼のことも思い出してしまった。

彼はインターネットで「人生の文脈を交わす会」を主催し、その過程でプチ教祖のようになった。

エスノメソドロジー研究会主宰やホリィ・セン氏など、当時社会学界隈で目立つ活動をしていた人々もまた彼を祭り上げた。

僕は「『いい子』の社会学」と題したゼミ論文の調査過程で彼のブログを発見し、彼が綴った半生が僕の問題意識のモデルケースであるように感じた。インタビューを敢行し、会食したりもした。 

その時間がもしかしたら、まだ知名度がなかった彼の自尊心と承認欲求を肥え太らせたかのかも知れない。

自身の「性嫌悪」を隠れ蓑にした性加害/女性性搾取の自白記事によって大炎上し、彼はインターネットの世界から消えた。

最も近くにいて、止められなかった。

大学時代から数年間交際して、結局別々の道を歩くことにした女の子とも、彼が主催していた会で知り合ったのだった。

僕もまた、きっと共犯者だ。

iminoyamai君、今どこで、何をしていますか。

togetter.com/id/iminoyamai

19歳の僕、逸脱して頼れる人も居場所もどこにも見つけられていなかったあの頃の路線を脱出できないまま生きてしまっていたら、多分今ごろインセルとかになっていたと思う、わりと深刻に

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あとゲンロンカフェで覚えてるのはすぐ上の階に違法っぽい看板のかかっていないマッサージ店が構えていたこと(階を間違えたときかなり怖かった)と、津田大介が登壇してたときに東・津田両名とも浴びるようにワインを飲んでよろよろしていたことですね。あの頃輝かしげにゲンロンの事業として掲げられていたチェルノブイリ・ダークツーリズム・ツアー、もはや実現不可能になってしまった国際情勢。2023。

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生前のはるしにゃんとゲンロンカフェのあの狭いエレベーターですれ違っていたかもしれないという事実

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19歳の春が来て、五反田にゲンロンカフェができて、まだイベントもやってなくて、東浩紀の蔵書を読みに通っていたときに演劇のおねーさんと知り合わなかったら、東京に心を殺されて人を信用するという行為が一切できなくなっていたかも知れないな。
あの時期ゲンロンカフェにいた人には今ではどこで何してるかわからない人も多数いる。今もまだ第一線にいる演劇のおねーさんは稀有な存在だけど。
宮台真司のトークイベント後、隣に座っていたおじさんと楽しく談笑してTwitter教え合ってプロフを見たら聖教新聞の編集部員だったこともあった。
さすがに19歳の僕はビビり散らしたけど、入信も選挙協力も求められなかったから「あんなこともあったな〜」って振り返ることができるけど。
「何者でもない」状態って、やっぱり、怖い。

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かろうじて大学生という身分のまま夢もなく半引きこもりでコミュニティにも労働にも福祉にもつながっていなかった、19歳の冬を思い出している
本当の孤独の味はあのとき舐めたんだな

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明日は間違いなく労働が限界化するので今晩はできるだけこころを自由にする

労働に切れ目がない 作っていくまでないってコト?

出社時間をギリにした代わりに6時間睡眠を捻出。体調ましになった

きょうは可能な限り強い意志を持って退勤したい

限界労働にひと段落つけました。帰りは遅いけど心は晴れやか。あした振り返りのお説教食らったとしても耐え切れそう。自分は自分の最大の味方でいなくちゃ!!

あさはかだったこと 

紋切型を必要としている人は確かに存在するのだ。僕は彼らの思考を不自由だと感じてしまうけれど、彼らからみたら紋切型に嵌れない僕の方がふしあわせに見えているかも知れない。

こいびとと将来を考えるようになって、いちおう生き方を「カタに嵌める」段にきていて、なんだろうな……それでも遊動する自分自身はこころのどこかで生き生きとしていてほしいね。うん。

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あさはかだったこと 

動物園界隈の人びとに対しては、進歩は無いのか!?と憤ってしまっていた頃があって。
同じようなマナー問題(動物への勝手な餌やり、フラッシュ問題)に同じように憤り、同じような動物の移動情報・訃報に同じようにお気持ち表明し、人気個体に何か変化があればおろおろと園館公式Twitterに凸し.......それでいて、根本的な解決に至らず同じ繰り言を繰り返してばかりいる。
そう思ったからこそ、僕は違う、と言わんばかりに、動物園に頻繁に通いつつも交流の輪から一定の距離を置き、これ見よがしに社会学や社会政策に関する学識と動物園論を結びつけ、ZINEや短歌といった異分野へ動物園を開く活動を進めてきた。

でも、全部浅はかだったねぇ。動物園に思うようにいけなくなって、よく分かった。
動物園に毎週のように通っている人や、動物園で働いている人から見える「動物園」と、心の中の動物園が遠い人から見た「動物園」は、解像度がまず違う。

僕がやっていたことは、ソト向きを標榜しつつ、ウチの人を「お前ら固まってて変化しないままでいいのかよ」って煽動することに他ならなかったんだなぁ。
ソトの目を引くことで、動物園を命綱としている(ある種、紋切り型以上の物事への言及に耐えられないような)人たちの棲家を脅かしていたのかもな。

胎動短歌とナナロク社が並んだブースが迫力あった。そこから青松輝さん乾遥香さんと続き、老舗結社の「かばん」に至る流れ。東直子さんもいらっしゃったという。人と人のつながりが文化を生み出すという側面ははっきり言えると思う。

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