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人生のほんの一瞬すれ違い、粗末に付き合い、やがて離れていったひとたちについて 

21歳の頃に知り合い、「君は教師よりも教祖の方が向いているよ」と言った彼のことも思い出してしまった。

彼はインターネットで「人生の文脈を交わす会」を主催し、その過程でプチ教祖のようになった。

エスノメソドロジー研究会主宰やホリィ・セン氏など、当時社会学界隈で目立つ活動をしていた人々もまた彼を祭り上げた。

僕は「『いい子』の社会学」と題したゼミ論文の調査過程で彼のブログを発見し、彼が綴った半生が僕の問題意識のモデルケースであるように感じた。インタビューを敢行し、会食したりもした。 

その時間がもしかしたら、まだ知名度がなかった彼の自尊心と承認欲求を肥え太らせたかのかも知れない。

自身の「性嫌悪」を隠れ蓑にした性加害/女性性搾取の自白記事によって大炎上し、彼はインターネットの世界から消えた。

最も近くにいて、止められなかった。

大学時代から数年間交際して、結局別々の道を歩くことにした女の子とも、彼が主催していた会で知り合ったのだった。

僕もまた、きっと共犯者だ。

iminoyamai君、今どこで、何をしていますか。

togetter.com/id/iminoyamai

人生のほんの一瞬すれ違い、粗末に付き合い、やがて離れていったひとたちについて 

iminoyamai君の件だけではない。
僕に短歌を教え2021年の秋にこの世を去った詩人・うみのひとへ執着にも近い巨大な感情を今もなお抱き続けてしまったり、僕の人間関係の作り方の履歴を振り返ると、インセルと呼ばれる人々独特のあの「拒絶と未練」がないまぜになったコミュニケーションの取り方とも近しいものがあると警戒している。
今は噛み合っていて、公私とも社会の中で社会をやっているけれど、「私はあいつらとは違う」とは言い切れない。それが怖い。
紀貫之をひとつの理念型とする「ひらがなのをとこ」概念によって私は私自身(=加害する性としての男性性)を解体しようと試みているが、私はいつでもあちら側に行ってしまう可能性があるのだ、というおそれは常に抱いていたい。

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