麻布競馬場氏が「意識高い系」を積極的に総括しようとしているのも、僕自身が氏の露悪を苦々しく感じつつもウォッチし続けてしまう大きな理由である。あのムーブメントは何だったのか。
他方、今回購読した中で書き手の世代がやや下るように見える「リミナル」(執筆者のひとりふじちゃさんとDiscordで繋がってるご縁もあり)には、「テン年代的なもの」との隔絶を感じた。
マッチングアプリ、陰謀論、歴史修正主義…、主題化されるテーマの根はテン年代に準備されつつ、テン年代を活動の舞台とした人々の主題としては前傾化してこない。それは何故か。
私がいまも公私にこだわっているもの、それはテン年代に置き去りにされてしまったものではないか。
文フリ批評島、毎回「ゼロ年代的な批評誌」が一定数のシェアを持っていて、「テン年代的なもの」に打ちのめされつつ、そこで得たものが自分自身の価値観の根となっている者としては「テン年代の不在」にやや物足りなさを感じていたのだけど、瀬下さんたちの「オートセーブ」や「移住と実存」がレトリカの解散や若者による地方創生の現実に触れ、テン年代を積極的に総括しようとしているように見えた。
(こいびとはアルバム「ぼちぼち銀河」の時の柴田聡子にビジュアルが似てるので余計に肩入れしてしまうというのもある)
(『まじめな会社員』であみ子がフラれた時に「でも私が柴田聡子だったら?/私が柴田聡子だったら一応...いっといた?」というセリフが出てきたのを思い出して人生を感じている)
なつきさんもこの曲の歌詞を絶賛されてたけど、同棲に向けて色々動いているいま聴くと圧倒的に伝わってくる情動があるな
すごいよ柴田聡子
御国は俺達 死んだとて
ずっと後まで残りますよネ
「失礼しました」で終るだけ
いのちのスペアはありませんヨ
こいびとと会って完全に未来志向になり、職場の理不尽などに潰されてたまるかよ、というお気持ちに
8時間寝てとりあえず希死念慮はなくなった(肉体疲労はまだ出てる、あと寝すぎで頭痛い)。やはり睡眠だいじ
縮減