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赤坂憲雄氏の著作を読もうか読むまいか考え中。

なんでともりんが出てきたんかわかったわ。旦那の援護射撃やんか。奴らが動き出すと碌なことにならんと思う。またなんか企んでる。

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ほう。石神のお嬢が出とる。いやともりんて芸名で名乗らんのなんでや(笑)

福島にきて覚えた言葉、「までいに」。古語の"真手"(両手)が語源で、丁寧にという意味。

野良ふくろう さんがブースト

反原発、脱原発、貧困救援、レイシズムや性差別へのプロテスト、労働問題解決、その他いろいろな経歴を持つ先達、社会活動家の方々がいる。そういう人たちの功績に敬意を表しつつ、同時に多くの課題を残してこられたことにも留意しつつ、自分は自分の半径5mを変えるアクションを淡々と進めていこうという気持ちに変わりはない。

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今でもたまにいわゆる人材グループの話題が伝わってくるけど自分は非常に醒めた目でみている。そういうリアル歌舞伎みたいな小芝居をお互いわかったうえでやり続けてよく馬鹿馬鹿しくならないなと思うから。組織の内輪の役職や栄誉をむやみに有り難がる者たちをみていると乾いた笑いしか出てこなくなった。宗教大喜利かと思う。

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人の生き方は顔に如実に出る。
隠せない。
声にもでる。

野良ふくろう さんがブースト

友岡さんと繋がりがある創価大学の全教授はじめ教職員を辞めさせろと創価学会が圧力をかけて、「かなりの数になるので、記者会見を開きます」と言って大学は一旦牽制してそれで収まった。友岡さんの死亡経緯につき、大学関係者は事態を把握してる人が「かなり」いる筈なのに、皆だんまりはなぜ?
叡智はないな。すまないが。
腐り切っている。

赤十字の委任状、寄付の事実上の強制とか。自民党のやりたい放題。

当時の学生自治会はいま伝え聞くそれとは違って自主独立の気風に溢れていた。私学の中でもかなり低額な部類の学費だったので理事会は常に値上げを画策していたが、学生自治会は逐次学生大会を開いて学費に関する討議を行っていた。教職員に働きかけて学びのためのハードルが上がらないようにと真摯に協力要請もした。むしろそうすることが当たり前との空気が醸成されていた。新興の大学らしい瑞々しい姿が満ちていたのだ。

約40年前、大学の大きな合宿所で創立者と学生代表二百人ほどの会食会があった。その席上、創立者が当時の大学理事長を叱り飛ばしたことを覚えている。

「アメリカ創価大学の開学が遅れるなどあり得ない。学生たちが期待しているのに理事会として努力しますでは済まされない。死力を尽くすと言い直せ」

「大学の主役はいついかなる時も学生たちだ。教職員は学生が心置きなく学ぶためにいる。その覚悟がないなら必要はない」

当時から宗教法人としての創価学会は創価大学を警戒していた。何かあれば介入しようと企んでもいた。それを創立者は一人で阻んでいた。それが事実。

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私の敵は本部職員、幹部だよ。
選挙は全く自由だよ、どこに投票するのも自由だよ、本気で発表したいんだ、
とは池田大作氏。

男尊女卑、家父長制の亡霊だけが元気になってる、それが日本国だと思うとほとほとくたびれてしまう。

介護職員が介護以外の家事手伝いを禁じられていることは都市部ではわりと知られていると思うが、そういう類のことは高齢者に関わる仕事をしている他の職種でも当てはまる。地方の地域起こし協力隊や復興支援員も同じ。ついでのゴミ出しすら業務外のことになるから表向きは禁止。しかし閉ざされたコミュニティの中でそれを忠実に守るのはほとんど不可能に近い。

読まれもしない広報誌を乱発して福島に住んですらいない東京の広告屋崩れが文字通りに公金を吸い続けてる実態がある。無駄遣いの極み。

地元民が主体性を失い、ひたすらエゴを述べるだけ、みんな雛鳥みたいにただ口をあけて餌をねだるのも同然の姿になってしまう。それが福島の現状。>BT

ていうかほんまにやるんか、大阪万博。もしも開催期間中にまた爆発事故が起きてもむしろ被害者利用して英雄的に称賛するような玉砕推奨論までも作り出される気がする。維新ならそのくらいのこと、平気でやらかすと思う。

少し前に作られたリーフレット。某元国会議員の子どもさんが中心だけれどこういう活動をしている団体がある。150年経たないと実際にどうなるかはわからない、そんなことに取り組むしかない。これをどう見るかが福島に住む人たちのリアル。

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