イスラエルの暴走はあまりにも酷過ぎる。
バンカーバスターを使うなんて本気で頭がおかしい。このぶんなら危惧される中性子爆弾すら使いかねない。。
最近思ったのだが、コロナ軽視派(ノーマスカー)の人たちって何となく健康な人たちなんだろうなと。
病院はせいぜい大したことないような状態で行くだけ。骨折したとか、健診で指摘されたから。
病院行って病状コントロールしないと生活の質が著しく下がる、とか、病院行かない生活は考えられない、という人間のことが想像できない。
痛みとか苦しみというのは極めて個人的なもんで、何となくわかった気持ちになることはできてもその痛みを分かち合うことができないからなあ。
だから、想像ができんのだと思う。コロナ後遺症とされている諸症状のイヤさ加減が。
せいぜい「頭痛いならロキソニン飲んだらいいでしょ?」「咳が続くなら咳止め飲んだらいいでしょ?」「味覚障害?想像できなーい」みたいな感じじゃないだろうか。
ましてや肺炎で血中酸素飽和濃度下がるなんてどうなるかわからんだろう。
ワイのような持病持ち、しょっちゅう風邪ひくがデフォ、あっちこっち痛いのもしょっちゅう、みたいな人間は、コロナ後遺症とされている諸症状がリアルに想像できるわけですよ。
でもそうじゃない人が多数なのかも。
怒りは善悪に通じると先哲は見通したけど、怒りをコントロールできなければそれは最終的に自分を哀れむエネルギーへと変わり、あたかもかの燃料デブリのようにすさまじいマイナスのエネルギーを蓄えながら長きにわたって沈澱し続けることになる。聞けばそもそも都路は相馬藩から三春藩へ輿入れした姫が持参し譲渡された領地だったとのこと。これが浜通りなのに中通りに付属している歴史的な理由で、都路は何百年も前からある種の劣等感、疎外感を内面化したまま続いてきた土地柄なのだと推察出来る。こういう史実の中で薄まる自己肯定感を補完するベクトルが孤高の自分たちというある種の選民思想の構築へと動いたことは充分考えられ、福島の山中の過疎の街にも人間のもつ心の歪みが現実社会に大きく影響する有様をみてとることが出来る。そのような下地があってそこに尚且つ原発過酷事故発災による放射能被曝被害を受けることになり、全町避難とその後の流民化が起きたわけなので人心が破壊されないわけがないのだが、それらを一連のこととして客観的に抽出し受け止めたり分析したりする気力は都路の人たちの中には残っていない。ただそこにあるのはまるで因幡の白兎のように痛々しく動くに動けなくなった遠巻きに見つめ続けられるだけの日々。心底素直に人生を喜べる生活は山の彼方の空遠き物語である。
都路の人たちと接していると安東量子さんの言わんとしていることがわかる。元々この地方は閉鎖的な気質があるが現在の都路はそれを拗らせていると思うことが多々あり、肥大化し捻れた被害者意識が本心からの前向きさや自発能動の欲求そのものを抑制していると感じることがよくあるから。
袴田さんの死刑判決を書いた裁判官熊本典道さん、2020年に亡くなってた。
この人のこと随分前に東京新聞で読んだ気がする。
無罪を確信してたのに死刑判決を書いて苦しんだんだな。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20230615-OYT1T50100/?from=yhd&ref=yahoo
市交の職員は薄給なんだとネットミームで自慢してたとこが「運転士不足なんですぅ」とかほざかれてもうっせえでしかない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee424be1f5c5c3cfc977df05b5d90c155cbe7fa8
大阪と和歌山のMIX。ふぐすま県在住の 地球人。