国立新美術館が2024年のスケジュールを発表。マティス、田名網敬一、荒川ナッシュ医やCLAMPの展覧会も開催へ https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/nact-2024-schedule-202401
国立美術館各館の先陣を切って(?)国立新美術館の来年度の予定が公表されているそうで。個人的にはやはり「マティス 自由なフォルム」展に合わせてひさしぶりに上京したいところですが、果たして…… そして知らん間に“荒川ナッシュ医”に改名してて二度見。当方、荒川ナッシュ氏の作品には、京都で2012年に開催された「アブストラと12人の芸術家」展( https://m.facebook.com/login.php?next=https://m.facebook.com/abstra12&refsrc=deprecated )で映像作品に接した程度なので、日本の美術館では初の(?)個展でどういう作品を出してくるか、気になるところではあり
横浜美術館がリニューアル - 大階段に囲まれるラウンジ新設、カフェ&無料利用できる美術図書室を一新 https://www.fashion-press.net/news/113756
今年3月(!?)の横浜トリエンナーレでプレオープンし、来年から本格的に再開するそうで。当方の場合、最後に行ったのは何回か前のトリエンナーレだったか村上隆のスーパーフラットコレクション展だったか…… という体たらくなのでアレですが
入ってすぐの大階段がある吹き抜けは「まるまるラウンジ」なるフリースペースになるとか。確かにあそこは展示空間として使うにはなかなか難しいものがありましたからねェ……
散髪に行ったあと、そういえば今期のをまだ見ていないことに気づき、JR総持寺駅で開催中のSOU 12へ。現代美術家の稲垣元則氏と藤本聖美女史が大阪府茨木市で展開しているOne Art Projectがこの駅の自由通路の壁に平面作品の拡大プリントを設置するというこのSOU、半年ごとにテーマと作品を入れ替えて展開されていますが、今回は「モダンタイムス」というテーマで、1964年に京都府亀岡市に設立された知的障がい者の支援団体みずのきが事業の一環として手がけていた絵画教室のコレクションから四点の拡大プリントが設置されています。
作品や作家については公式サイト( https://www.sou-art.com/ )で解説されているので、詳細はそちらを参照していただきたいのですが、1960年代から80年代にかけて──ということは日本に「アール・ブリュット」や「障がい者アート」という言葉自体がなかった頃かもしれませんが──描かれたこれらの作品は、確かに《いつどこで描かれたということをはるかに超えて》(←公式サイトより)あることが感得され、興味深いところ。近年、関西では「障がい者アート」の枠を越えた「アート」としてこれらの障がい者の作品をプレゼンする団体がいくつか出てきていますが、そういう流れの中で過去の作品が再発見されることの意義は、決して小さくないでしょう。以前から単なる地域アートに収まらない批評的射程を内に含んだ活動を展開しているOne Art Projectが、この方面においてもまた新たなマイルストーンを置いたことになり、これは痛快な仕事だなぁと思うところ。3月末まで
展覧会ではそんな貞幹の代表作『集古図』や『好古日録』を中心に、彼が集めたモノ(古い瓦のカケラ、古銭など)の一部、上記以外の著書、書簡、模写、拓本などなどが所狭しと並べられています。昔のモノを拾い集めて正確に模写し、それを基礎資料として残すというのが貞幹の基本スタイルであり、この手法を文献考証にも拡張したり(日本書紀の研究や非公式の元号の取集などが紹介されていました)、身の回りのモノにまでターゲットを広げたりして彼の学業は広大無辺に展開されていった──と書いても現代人の視点からすると当たり前のように見えるかもしれませんが、近世においてこれはなかなかに破天荒な態度だったことは同時に指摘されなければならないでしょう。モノを(いかなる象徴性や物語、歌枕から独立した)モノとして見るという態度自体が近代の産物だとすると、貞幹の学問的態度は早過ぎた近代のそれであり、プレ近代化をそこに見ることができるからです。
江戸時代後期を一種のプレ近代化の時代と位置づける見解は1980年代以降(?)割と盛んになりますが、貞幹の仕事に通底する方法論もまた、かかるプレ近代化の存在を告知していると言えるかもしれません。もちろん実際の明治維新以後において展開されていった近代化政策は近代化=西洋化という形でかかるプレ近代化をなかったことにしてしまったし、江戸時代においてもそれはごく少数のアルティメットディレッタント(貞幹とほぼ同時代人の木村蒹葭堂(1736〜1802)とか)とその周辺にしか広まることは結局なかったわけですが、だからこそ別種の近代化の可能性を考える上で、貞幹の業績にはまだまだ掘り下げるべきものがあるわけでして。2月4日まで
京都文化博物館で開催中の「日本考古学の鼻祖 藤貞幹」展。江戸時代後期の学者藤貞幹(とうていかん)(1732〜97)の業績を、彼の著書や史料などを通して紹介するという展覧会ですが、貞幹の学業の広大無辺ぶりに瞠目しきり。タイトルでは「日本考古学の鼻祖」とされていますが、今風にいうと考古学どころか国史学、国文学、民俗学、果ては考現学にも届きかねないわけで、こりゃ学者というよりアルティメットディレッタントですね しかも現在においても業績の一部──平安京大内裏の配置図や10〜11世紀の藤原摂関家の屋敷の部屋割りなど──はなお決定版とされているわけですから、普通にものすごい。
かような京都における知的状況を横目に見た上で、「シュルレアリスムと京都」展では上記の画家たちの戦後の仕事にもスポットライトを当てていたことにも注目すべきでしょう。北脇は既に戦前からモダンに再解釈された八卦という謎のモティーフを多く描くようになっていましたが、さらに小牧は戦中から仏画のような画風に移行し、戦後には仏教に限らない民俗学的なモティーフが頻出するようになる。これらの例は日本におけるシュルレアリスム/シュルレアリストをめぐる日本回帰の問題について考えることを見る側に迫っています──戦前のフランスにおいて画家や思想家(バタイユとか)に伍して活動していた岡本太郎(1911〜96)が、戦後は画業の一方で縄文土器を顕揚したり東北や沖縄の祭りを撮影したりしたことが、かかる日本回帰の例として俎上に乗せられるものですが、ことは岡本だけの問題ではないわけです。ばかりか北脇や小牧のかかるモティーフの変遷は、それが戦争直前〜戦中になされたこともあり、日本独自の「転向」というモーメントと合わせて岡本以上に日本におけるシュルレアリスム/シュルレアリストが内在的に抱えていた盲点をヴィヴィッドに晒しているのかもしれません。
京都という場に局限することで見えてくる問題系はなかなか厄介であり、その厄介さを絵画と資料を通してしっかりと見せていたことで、この展覧会は「シュルレアリスムと日本」展の良き補遺となっていたのでした。こちらはその「シュルレアリスムと日本」展終了後もしばらく続き、2月18日まで
京都文化博物館、「シュルレアリスムと日本」展に併せて、「シュルレアリスムと京都」展が開催されています。普段は祇園祭関係の展示が行なわれるスペースを使って、京都で主に活動した画家たちの1930〜50年代の作品や関連資料が並べられていました。
日本のシュルレアリスム受容史において画期的だった、瀧口修造らの企画による海外超現実主義作品展が京都に巡回したのは1937年のこと(ちなみに同年には福沢一郎(1892〜1982)が『シュールレアリズム』を刊行している)。それに接した北脇昇(1901〜51)や小牧源太郎(1906〜89)、今井憲一(1907〜88)、伊藤久三郎(1906〜77)といった画家たちが遅ればせながらシュルレアリスムを吸収して画業を展開させていくわけですが、京都において特徴的なのは、彼らの周辺における知的状況のために、シュルレアリスムの運動体としての側面がさらに前面に出ていたことであると、さしあたっては言えるでしょう。京都では当時の京都帝国大学の若手を中心に自由主義者と非共産党系マルクス主義者との協働が見られていたそうですが──1937年に(そのような協働の成果とも言える)「世界文化」誌の同人たちが思想犯として大規模に摘発された事件が人民戦線事件と呼ばれたことが、京都の知的状況を逆説的かつ端的に象徴している──、そのような知的状況の急変の中で彼らが画業を展開していったことが「シュルレアリスムと日本」展における同時期の出展作以上に生々しく読み取れる作品が出ていたのでした。
大阪のテート美術館展、入場者10万人突破 14日まで - 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF05ABY0V00C24A1000000/
どうしても「チート美術館」と空目してしまうわけですがというかそんなタイトルの異世界モノが既にありそうではありますね。転生先の異世界チート美術館で学芸員やってますとか
中之島美術館でのテート美術館展、当方も昨年末に見に行きましたが、「光」をテーマに作品を並べるって、それは事実上どんな作品を持ってきてもいいやつなのでは…… とはなりました(まぁでもジェームズ・タレルの作品を館内に設えてたのはなかなかやりおったなぁ感あります)
河南町、太子町、千早赤阪村が未来協議会「合併も選択肢とした議論」:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASS177H2GRDMOXIE01S.html
河南町には大阪芸大がありますが、もし三町村合併となったら、またいろいろ超展開がありそうですね。さすがに大学自体の移転とかはないでしょうけど
京都の美大界隈もそろそろ卒展シーズンですが、南丹市にある京都伝統工芸大学校( https://www.task.ac.jp/ )の卒展も烏丸三条の京都伝統工芸館で開催されるんですね。2024.2.10〜18。今年もフランスのハイジュエリーブランドとして知られるVan Creef & Arpels(VC&A)の奨学生展が同時開催されるようです
ところで展覧会に合わせて図録が青幻舎から刊行されていますが、最新の研究に基づくコラムや論考がみっちり収録されており、読みごたえ十分。むしろこっちの方が本番説すらありまして、普通にマストアイテムです。 [参照]
シュルレアリスムといいますと、人間の無意識などの非理性的な領域を様々な技法によって幻視&探究&表現していくというのが最も簡略化された一般的な理解でしょうが、この展覧会では(国際的な)美術運動としての側面も強調されることで、むしろ運動としての中央値を全国レベルで測定していくことが目指されていたと言えるかもしれません。そうすることで東京以外での動向もまた視野に入れられ──日本における、瀧口修造(1903〜79)と並ぶシュルレアリスムの運動家として知られる山中散生(1905〜77)が最も活発に活動していたのが名古屋時代だったこととか、普通に知りませんでしたし──、それまでのシュルレアリストたちの布置とは若干異なった角度から見直す材料があちこちに転がっていて(とりわけ、日本への紹介者のひとりとして東郷青児(1897〜1978)を持ってくるところは、かなり攻めている)、なかなかな知的刺激がありました。2月4日まで
当方の展覧会初めは京都文化博物館で開催中の「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」展。1924年にフランスでアンドレ・ブルトン(1896〜1966)が「シュルレアリスム宣言」を刊行して今年で100年になるのを機に、日本において美術家たちがいかにシュルレアリスムに向き合っていったかを、主に1920〜30年代の絵画や写真、機関誌などの各種資料によって跡づけていくというものとなっています。
「シュルレアリスムと日本」というタイトルで既に雄弁に示されているように、今回は全国各地の美術館に所蔵されている日本人洋画家や写真家、詩人、美術評論家の作品や資料だけで構成されています。しかも戦前期の日本におけるシュルレアリスムの代表作と目されている絵画がほとんど出ていない──有名どころというと、靉光《目のある風景》くらいだったでしょうか。そうすることによって、シュルレアリスムがまず何より運動体であるということ、従ってその移入と伝播の軌跡を辿り直すこともまたシュルレアリスムであることが、いつも以上に強調されていたと言えるでしょう。展覧会に接する前はシュルレアリスム絵画入門編なのかなぁと思っていたのですが、全然そんなことはなかった
「当意即妙──芸術文化の抵抗戦略」展|2024.1.12〜2.19|京都芸術センター https://www.kac.or.jp/events/34900/
・出展作家:Masking/Unmasking Life、3 AM Performance Art Collective、WART、ドキュ・アッタン、Yangon かるた
・企画:居原田遥
2021年に軍事クーデタが起こり、今なお軍政が続くミャンマーですが、そんな同国における《クーデター以降に生じたアート、映画、音楽など、さまざまな文化実践から生きる希望を見出し、政治・社会的困難と文化のあり方を考えるための展覧会》とのこと。京都芸術センターも年頭からなかなかハイブロウな企画をぶつけてきますね。上手く時間を作って見に行きたい
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪