温州みかんの記事には特に意味はないのですが(ないのか)、
パスに日本語などが含まれるWikipediaのようなサイトへのリンクについて、エンコードされた%XX形式ではなくそのまま読める表記でリンクされるようにいじったよ、という実例です。
QT: https://fedibird.com/@noellabo/111570793979928349 [参照]
「形而上絵画」の初期作品も登場。「デ・キリコ展」が東京都美術館、神戸市立博物館で開催へhttps://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/28184
東京:2024.4.27〜8.29、東京都美術館
神戸:2024.9.14〜12.8(予定)、神戸市立博物館
ところで(ベルクソンやドゥルーズの研究で知られる一方)1990年代に博士論文の副査を務めるなど、村上隆氏が世に出るきっかけを作った一人でもある篠原資明(1950〜)氏は、しばしば村上氏のDOB君シリーズや727シリーズについてこのジョルジョ・デ・キリコとの類縁性を指摘しておりまして、東京での会期は村上氏の個展「もののけ 京都」展(2024.2.3〜9.1、京都市京セラ美術館)と丸かぶりなので、篠原氏の所説を検討するいい機会かもしれません
「全国にはあり得ないと思える名字の人が…」電話帳で発掘した珍名さん巡りを続ける名字研究家・高信幸男さん(67) : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/national/20231209-OYT1T50274/
当方が大学時代に所属してた学術系サークルには「尚」「攵」「亀」を組み合わせて一字にした「がめ」さんという女性がいました(金沢出身でしたが、向こうでも滅多にない名字だとしきりにボヤいてた記憶 ) [参照]
【2023年ベスト展覧会】今年もベスト展覧会を云々する時期になりましたね。上はTOKYO ART BEATのアンケートフォーム。
今年も残り1ヶ月を切りました。あなたの記憶に残る、2023年のベスト展覧会はなんですか? ぜひご回答ください! アンケート結果は2023年12月末に記事内で発表予定です。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScNjScMuTYyY76fon-cB60xa9qJlqDipgtKz5HyU90bc9iqOA/viewform
古谷利裕氏による連続講座が来年から始まるらしい(まぁ当方は行けませんが )──連続講座「未だ充分に尽くされていない「近代絵画」の可能性について(おさらいとみらい)」 https://inunosenakaza.com/modern-painting
第1回(2024.1.20)はピカソとマティスについて、とのこと──「未だ充分に語られていないマティスとピカソについて」 https://inunosenakaza.com/modern-painting/lecture1
東京の空に浮かんだ《まさゆめ》で話題を呼んだ、現代アートチーム・目[mé]の現在地に迫る。『美術手帖』2024年1月号は、目[mé]の特集 https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/28169
既に発売されているようですが、目[mé]が特集されているとのこと。ところで紙の美術手帖、季刊になって以降は大きい書店でも最近意外と見かけず…… そう言えば前号の特集ってなんでしたっけ
実際に(再)制作された和紙を見てみますと、もとから様々な種類の和紙を混ぜ合わせていることに加え、屋外で漉き取っているので、素材を寝かせている間に落ちてきた葉っぱや虫の死骸なども混ざりこみ、えも言われぬ独特の風合いを帯びている。そうして作られた和紙2.0(和紙2.0?)数十種が今回の出展作の中でもメインを占めていたわけですが、それらが壁一面にあしらわれているのを見ると、それ自体がひとつひとつ絵画であるように思われてくる──というより、《大小さまざまな多種との関わりを自分事として捉える術が、私にとっては絵を描くことだと思う》(ステイトメントより)というのが山本女史の最も基本的な姿勢であるわけですから、絵画を多種との関わりというエコシステムに還元するのは、必然であったと言えるかもしれません。そのようなエコシステムへのコンタクトを、物質自体のリバースエンジニアリングという形で行なっているところに、彼女のクリティカルさが存在する。
既存の生産過程を逆行させて物質に戻していくリバースエンジニアリングは、それゆえ現在の資本主義においてその可能性自体が往々にして争点となります。とりわけそれが可視化されやすいのがIT系でして、(ハード/ソフト関係なく)その可/不可をめぐる巨大企業との権利闘争に発展する場面も多いという。ここではあまり深入りできませんが、このことはリバースエンジニアリングという行為自体に、現状の資本主義における資本と労働、あるいは資本と物質との関係性をめぐって、非和解的な違和が存在することを予感させるものがあります。してみると、山本女史の実践はローテクであるがゆえに、アートにおける、マーケットと非和解的で相対的に自律したエコシステムの可能性を、見る側によりヴィヴィッドに示しているのではないでしょうか。24日まで
Yoshimi Artsで開催中の山本志帆「山をくずして」展。主に広島を拠点に日本画家(院展の院友だそうで)として活動している山本志帆(1982〜)女史の、同所では4年ぶりとなる個展。今回は昨年gallery G(広島市中区)で行なわれた個展を再構成しているとのことです。
山本女史はこれまで、コンクリートジャングルのような人工的な環境との界面において生息する動植物をモティーフとした日本画を主にものしてきましたが、迎えた今回は、日本画を描くときに出てくる和紙の切れ端や過去の自作を水で溶かして再び漉き直した和紙自体を中心に、その過程で分離した岩絵具や、それらを用いて新たに描き直した絵が出展されていました。絵画のリバースエンジニアリングの結果生成された素材が中心になっていたわけですね。
米英映画「ナポレオン」 フランスから不満タラタラ 戦争の時代、英雄史観に変化も https://www.sankei.com/article/20231208-P7PGKSTF5FJXHM3H3XKVIOBS6A/
《独裁者が世界秩序を脅かす現代に、「1人の偉大な指導者が国民を栄光に導く」というドラマは時代遅れになったという指摘もあった》──産経にしてはマトモなことを言ってる件
というのはともかく、ナポレオン自体、左右問わずフランス人にとっても扱いにくい存在になってるというのはありそうですね。やっぱり穏当にナポレオン・ソロのリメイクにしといた方がゲフンゲフン [参照]
「もっと高みを目指したい」 若きシェフの熱い想いがショスタコーヴィチの傑作につぎ込まれる! - ぶらあぼONLINE | クラシック音楽情報ポータル https://ebravo.jp/archives/153685
ショスタコーヴィチといえば、かつてとある女性声優が「ショタすこビッチ」と読み間違え、ぉぃぉぃ中の人がズルムケですぞwww となったものですが #篠田みなみ
かような、レース地やひらひらが多用されたカーテン、あるいは丸型の蛍光灯(昨今の事情を反映してLEDライトに変わっていましたが、まぁ同じことです)といった、一見すると舶来のイメージを強く喚起させるものに見えるけど実は日本独特のものを多用するところに、近年の東恩納氏が何をとらえようとしているかを垣間見ることができます──これらのものは、上述のような出処からしてオリジナルなきシミュレーション/シミュラークルと言うべきものであり、そのようなものが身の回りにごく普通に存在することの不気味さが、手を変え品を変え見る側に提示されることになる。しかもそれは、ミクロな政治性にもかかわってくることになるだろう
一見自然だと思える環境は、何らかの政治性や制度を潜ませているものとして見なされる。あるひとつの性質(例えば白さ)を過剰化させることで、そこに潜むものを顕在化させる》(清水穣「白と黒の揺らぎ:東恩納裕一の『ライト・ワークス』」
The Third Gallery Ayaで開催中の東恩納裕一「behind the drapes」展。80年代から活動を続け、蛍光灯を多用したオプアート的なオブジェやインスタレーションで知られる東恩納裕一(1951〜)氏ですが、大阪のギャラリーで個展を開催することはきわめて珍しく、関西では以前から注目を集めていました。当方もそれこそ10年以上前に東京でのとあるグループ展で接して以来になりまして(^_^;
さておき、今回は2フロアにわたって展開されています。先ほど触れたように、東恩納氏といえば蛍光灯を多用した作品がすぐに思い浮かぶところですが、今回は他にも様々な映像やインスタレーションが出展されていました。とりわけレース地やひらひらが入ったカーテンが主題となった作品が多く、近年の氏の関心のありようが割とストレートに表出されていたと言えるでしょう。
2つの監獄、そして監獄からの視点──Now and Then。ある展示とパレスチナ問題に寄せて(文:菅原伸也) https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/news-from-k-palestine-review-202311
菅原伸也氏による、ハイドルン・ホルツファイント「Kからの手紙」展(2023.10.27〜12.3、アサクサ)展レビュー。あとで読む。
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪