アメリカでは70年以上のキャリアがあるにもかかわらず)知る人ぞ知る的な存在であるというカッツですが、そう言えば国立国際美術館が2006年に開催した「エッセンシャル・ペインティング」展( https://www.nmao.go.jp/archive/exhibition/2006/post_130.html )の出展作家の一人として名を連ねており、当方はここで初めて彼の作品に接した次第。同展では1960〜70年代生まれの、欧米におけるいわゆるニューペインティングのムーヴメントが切り開いた「絵画の復権」現象が常態化した1990年代に絵を描き始めた画家たちがフィーチャーされてましたが、そうしたニューペインティングおよびそれ以後の欧米における絵画の一潮流に対する老師的な存在としてカッツが特権化されていたわけでして、かかる史観(史観?)は当時の日本というか関西においてなかなかに画期的ではあったものです。
いずれにしても、依然として元気なおじいちゃんたちのlate styleに接する機会が昨年来続いてきた中で、その極みにある展覧会であることは事実でしょう。明日まで。
上長者町通新町(京都御苑の近く)にある有斐斎弘道館で開催中のアレックス・カッツ展。アメリカの絵画界における最長老的存在であるアレックス・カッツ(1927〜)、昨年ニューヨークで大規模な回顧展を開いたそうですが、日本での個展は1991年以来だそうです。
今回は今年描かれた新作《Study for Spring》《Study for Summer》シリーズを中心に、1990年代から一昨年までの約30年の間に描かれた人物画も交えて構成されていました。床の間に飾られた大作《Summer 12》(2023)以外はさほど大きくない絵画ばかりでしたが、まぁ御年96歳ですから、大作が一点でも描けることに驚愕すべきなのかもしれません。人物画以外は樹木とカラフルな背景からなる風景画で、座って見ると(江戸時代後期に建てられた)弘道館の中庭を借景することができるように構成されています。まぁ当方が見に行ったときには人が多くてアレでしたが
先ほども述べたように、今回近衛を描くことにしたのは、彼が天皇にかなり近い存在であるからなのですが、その死亡現場を描くという行為は、見る側にある不穏な想定を抱かせることになるだろう──これは形を変えた(神としての)天皇殺しであり、近衛 シミュラークルが自殺したことで昭和天皇は「人間」に転生し、もって戦後日本は敗北を抱きしめ((C)ジョン・ダワー)、「内なるアメリカ」を内面化することになったのではないか、という。無論、以上は史実をガン無視した超フィクションなのですが、かかる近衛の死を不可視化することと「”アメリカ支配の構造”」の隠蔽はパラレルであり、そこから「戦後日本の権力構造」が始まったのではないかと、ここでの宮岡氏の絵画的実践は遂行的に述べていることになるわけで、それは実証を超えた魅力を放っていると言わざるをえない。戦後民主主義 -1.0。対象は若干異なるものの、これは紛れもなく上質でクリティカルな〈天皇アート〉((C)アライ=ヒロユキ)なのです。
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ところで今回は近衛と昭和天皇に加えて、大画面に描かれたキリストの肖像画も出展されていました。キリストの肖像画と言っても、それはキリストの幕屋なるカルト宗教──先日来のイスラエル軍によるガザ地区への侵攻とパレスティナ人虐殺を支持するデモを都内で頻繁に開催して顰蹙を買っていることで知られています──の機関紙の表紙を元ネタにしている。そんなキワモノを元ネタにすることで、個の精神とキリスト教系カルトとが往々にして親和的と言ってもいい関係性を取り結んでいたという現実をも、氏の画業は既に射程に入れているのかもしれない。ここから次の個展でどのような成果を描き出すことになるか、興味は尽きません。さて……
KUNST ARZTで11.25〜12.3に開催された宮岡俊夫「僕の父親 内なるアメリカ」展。以前から画家として活動している宮岡俊夫(1984〜)氏の、同ギャラリーでは二年ぶりとなる個展。デビュー当初はネットなどで拾ってきた低解像度の風景画像をそのまま模写する絵画を手がけていたようですが、一昨年の「天皇 精神の焼跡」展(2021.9.21〜26、KUNST ARZT)において、いささか唐突に昭和天皇(1901〜89)の戦前期の肖像写真をモティーフに低解像度で模写し顔を塗り潰した絵画を出展して、京都の現代美術界隈で話題になっていました。当方も同展で初めて宮岡氏の作品に接し、天皇(あるいは皇族)という、現在における表現空間においても依然として炎上必至なお題をここまで明確に批評的な意図を持って描いたことに瞠目しきりだったものです。
さて、今回の「僕の父親 内なるアメリカ」展では、引き続き昭和天皇もモティーフになっていました(訪米時にディズニーランドを訪れたときの報道写真を模写していました)が、それ以上に目を引いたのは、近衛文麿(1891〜1945)を俎上に乗せた絵画作品でした。よく知られているように、近衛は終戦後GHQによって戦犯として逮捕される直前に自殺してしまいますが、宮岡氏はその直後にMPによって検死されている様子をとらえた有名な報道写真を元ネタにして大画面の絵画を描いている。宮岡氏いわく、近衛は天皇家の人間ではないものの血筋や家柄的に天皇にかなり近い存在であるから今回描くことにしたそうですが、
戦後日本において”アメリカ支配の構造”は隠蔽されている/そうした戦後日本の権力構造が日本人の精神においていかに/内面化されているか描こうとした(ステイトメントより)という意図とあわせて見たとき、かかるモティーフのチョイスは、氏の意図をさらに超えて、クリティカルであるように、個人的には思うところ。
あとで読む
【批評の座標 第15回】見ることのメカニズム──宮川淳の美術批評(安井海洋)|人文書院 https://note.com/jimbunshoin/n/n65a595caf53c?sub_rt=share_b
無審査・無償の大規模展示会 高松市美術館で8日から https://www.kagawabiz-news.media/todayskagawa/7405
「第4回想いをカタチに今できること 美術公募展2023」 。12.8〜10に高松市美術館で開催されるとのこと。ヘッドラインを一瞥したときは、かような昔ながらのアンデパンダン形式による公募展は大都市圏以外ではまだまだ息長く続いてるものなんだなぁと思ったのですが、記事を読むと2020年に新設されたそうで、いささか驚。この現在においてアンデパンダン展を新たに立ち上げて運営するって、なかなかな蛮勇だよなぁと思うことしきりなだけに、高松市おそるべし
しかしそれにしても、シレッと展示されているのに作者が近代日本画のビッグネーム揃いだったことに、そして作者名に一様に「先生」とついていることに驚くことしきり。ビッグネームも若手も「先生」の名のもとに平等に扱われているというのは、美術館でしか近代日本画に接したことのない者としては違和感が先に立ちつつ、しかし、表装という生活空間に密接にかかわるような場面においては、いたずらに展示的価値が強調されるような場面とは違った作品との関係があることが、かようなところに露呈しているように思われ、それはなかなか稀有な鑑賞体験でした。
そう言えば、きれいに軸装された浮世絵があったんですが、よく見たら春画だったので、つい吹き出しそうに。で、当方の背後で同じ絵を見ていた和服姿のご婦人が「これ春画やん! よくやったなぁwww」と褒め称えていて草不可避。
京都文化博物館5Fで12.1〜3に開催された「第百六回 表展」。額装や軸装の専門業者の協同組合である京都表装協会の主催で大正時代から続いているこの表展、当方はもちろん見に行ったことはないんですが、個展やグループ展で作品に接する機会が多い日本画家の松平莉奈女史の作品が今回取り上げられている(谷崎潤一郎畢生の大作『細雪』を題材にした小品でした)と聞き、見に行った次第。
所狭しと並べられた作品群はどれも絵画が最も映えるように注意深く表装されていたと、さしあたっては言えるでしょう。キャプションを見ると表具の素材や模様、形式なども詳説されておりまして、おそらくそれぞれに意味や象徴性、使うときのTPOとかが定められているんでしょうけど、なにぶん当方はそのあたりについてはまったく疎いので(爆)。
𝕏 が破産する可能性についてのレポート。
確かに破産が見えてきてるだろうけど、マスクにとって破産は肩の荷を下ろせるタイミングじゃないかなあ。
銀行から借りた金は破産でチャラにできる可能性がある。そもそもリスク含みの利子かぶせてるんだし。取り立て訴訟はするだろうけど、タダの弁護士を使えるマスクなら耐えられる。
破産前に別会社にユーザーアカウントを移転しちゃえば、彼のやりたい銀行サービスは始められるしね。
ヘタしたら15年くらい前から出る出る言われ続けていたけど、一向に発売される気配がなかったニコラ・ブリオー(辻憲之(訳))『関係性の美学』が今月末に水声社から発売されるそうで。まぁ店頭で実物を見ないことには依然としてホンマかいな!? と身構えてしまうところですが、(邦訳が)不在であることが日本のSocially engaged artを逆説的に規定し続けていたとも言えるわけですから、そんな奇妙な状態がついに終わることは、やはり画期的ではあるんでしょうね。もし15年前に即発売されてたらどうなってたか……
https://x.com/suiseishasouko/status/1730123509928804452?s=61&t=EQaGe0jZT_d0NXpWAz0BKw
北野天満宮 平安時代の太刀“鬼切丸” 装飾部分新たに制作へ|NHK 京都府のニュース https://www3.nhk.or.jp/lnews/kyoto/20231129/2010018928.html
制作には京都女子大学で工芸やデザインを専門とする研究室が参加し、趣旨に賛同した工芸作家のグループが環境問題を意識して家電製品から取り出しリサイクルした金や銀、それに神社でかつて本殿に使われていた木材などを再利用します。京都女子大にそんな実作寄りの研究室があったんか ──というのはさておき、北野天満宮って近年絶えてひさしかった梅園を復活させたりしてますし、今回のもそういう動きの一環なのかなぁと思うところ。京都に限らず、寺社って障壁画や襖絵を現代美術家に描かせるなどの事例がまま見られるものですが、信仰心の不変性・永続性を保守することとモノを保存し続けることとの間に、展示的価値を絶対化しがちな現代の私たちと決定的に異なる態度があることが、今回の件からも見えてきまして、それを不思議に思う程度には当方も近代化(近代化?)されていると思い知らされるのでした
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪