近畿ブロック 比例代表 衆議院選挙2024 政党別状況 -衆院選- NHK 【NHK】衆議院選挙2024 https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/00/hsm08.html
総選挙、当方の居所は日本維新の会の現職が再選しましたが、それはともかく日本最大のクソデカ選挙区な比例近畿ブロックの結果が相変わらず混沌としてて 他ブロックは大政党優位な感じに収束しているのに、ここだけカオスなわけで、そりゃかつて降霊芸人もとい某新興宗教の教祖もここから出馬しただけのことは
当方の居所でも、現在参院議員になっている辻元某が立憲民主党の近畿ブロック永世1位としてしゃしゃり出てくるんじゃないかと噂されてましたが、結局出てきませんでしたね。よっぽど前回の総選挙での負けがこたえたらしい?
「sign」という展覧会タイトル通り、
ギャラリー内には普段一冊しか置かれない芳名帳が四冊置かれる(ギャラリーの人いわくどれに書いても複数書いてもいいとのことでした)など、芳名帳という日本独特の(?)アートカルチャーを斜めから俎上に乗せることに全振りしていたわけですが、中でも最高だったのは、来場者が逆に山本氏の名前を署名できるコーナーがあったこと。当方が訪れたときには会期末だったので、様々な人が思い思いに「山本雄教」と書いていたのですが、しかし、ここで行なわれている「署名」という行為に立ち止まって考えたとき、この観客参加型の作品は、単なるおもしろコーナーにとどまらないものがあると言わなければならない。そもそも自分が他人の名前をなんの必要性もない状態で署名すること自体かなり倒錯的な事態なわけでして、当方もどこか違和感を覚えながら「山本雄教」と書いたのでした(画像参照)。署名について哲学的な考察を繰り広げたジャック・デリダ(1930〜2004)も、さすがにかような事態までは想定してなかったでしょうょw
──寄り道はさておき、ここで山本氏と観者が共犯的に行なったのは、固有名を固有なまま交換可能なものとすることだったわけですが、ところでこれは山本氏がその初期から貨幣と芸術との関係を痙攣的に視野に入れてきたこととあわせて考えてみると、なかなか示唆的であるように思われます。氏は昨年京都市京セラ美術館で行なった個展「仮想の交換」展で、同美術館がこれまで購入してきた作品を列挙したり、例の一円玉フロッタージュで竹内栖鳳とおぼしき画家の制作風景を浮かび上がらせていましたが、唯一性・固有性のもとで語られる美術とその貨幣を通じた交換可能性とがここで大規模に行なわれることで、同展が固有名の経済学というべき位相を俎上に載せていたとすると、今回の「sign」展は固有名の政治学に足を踏み入れている。どちらも美術をめぐる制度の両輪をなしていることは自明ですから、山本氏の実践はかかる制度性(無論、「日本画」もそこに含まれる)の裏側を明るみに出そうとしていると言えるでしょう。それをおもしろコーナーっぽくパッケージングしているところに、山本氏の美質が存在する。そんなことを考えさせられたのでした。明日まで
谷町六丁目にある+1 artにて開催中の山本雄教「sign」展。
大量の一円玉をフロッタージュして肖像画や紙幣のデザインを描く作品で知られ、昨年には京都市京セラ美術館内の小スペースなThe Triangleで個展も開催した日本画家の山本雄教(1988〜)氏の、同所ではひさしぶりとなる個展。
上述したような日本画を主に描いている山本氏ですが、今回は趣向が変わりまして、白い紙に鉄筆か何かでこれまでの氏の個展に来た人々が芳名帳に残した署名やメッセージを模写するという作品が出展されています。当方も展覧会開催前に使用許可を求められてOKしたもの。で実際にギャラリーで見てみると、白地に掻く(←石川九楊的表記)ことで他人の筆跡を真似た紙片が今回のメインだった──実際、ギャラリー内の壁面にそうして模写された百数人分の芳名が並んでいたのでした──わけで、当方もリアル知人/芳名帳でしか知らない人問わず、見知った名前を見つけて楽しんだし、先述した経緯で模写された当方の名前を見つけて面映くなったり
ところで野中女史は
今回の個展の少し前に引っ越し、古民家に住むようになったそうです。で、新居の土間に差し込んでくる光を朝昼晩それぞれ絵画として描き出していたのですが、ひさしぶりになかなかな大きさの彼女の作品に接する形となり、見ごたえが大いにありました。2022年に(なかなかな規模の京町家を改装したスペースの)The Terminal Kyotoで個展を開催した際、先述したような絵画作品に町家の中で接する形となり、日本家屋の陰翳と描かれた茫洋な光の様相とがマッチしていて面白かったものですが、そんな場で個展を行なったという経験が、もしかしたら引越し→土間に差し込む光をモティーフとした新展開につながったのかもしれない──というのはいささか牽強付会ではあるのですが、しかし光の移ろいが陰翳の移ろいでもあることを、古民家=日本家屋の陰翳に即して描き出そうという志向(陰翳礼讃?)が、これまでの画業において一定の達成を見せたまぶさびぶりと合わさる/対決することで、今後いかにさらなる超展開を見せることになるのか、ますます目が離せない。明日まで
Oギャラリーeyesで開催中の野中梓展。
関西を中心に活動し、2021年には群馬青年ビエンナーレに入選するなど着実に地歩を築いている野中梓(1991〜)女史ですが、近年は毎年だいたいこの時期に同所で個展を開催しています。
今回は大画面のと極小の画面のが三点ずつ、計六点の絵画が出展されていました。ここ数年、野中女史の絵画は、自宅内にある冷蔵庫の表面や何も映っていないテレビ画面といった、つるりとした表面に当たった自然光ないし照明の光が主題となっています。そこでは、光と、光に当てられた部分の時間的な経過をも含む表層的な揺らぎが描き出されることになるわけですが、その結果として画面はきわめて茫洋とした様相を見せることになり、そこに絵を描いた彼女本人や観者の知覚・感覚の移ろい、さらには筆跡を可能な限り消し去ることで一見すると後景に退いているように見える絵具の物質性が渾然として現われてくるのでした。詩人であり、ベルクソンやドゥルーズの紹介者・研究者としても知られる(そして村上隆(1962〜)氏の博士号取得の立役者のひとりでもある)篠原資明(1950〜)氏は、「眩しい」と「侘び寂び」とを混ぜた「まぶさび」なる概念によって、特に1990年代以降の現在における美術のひとつの傾向性を明るみに出していますが、野中女史の絵画はつるりとした表面をモティーフとしているという点において「まぶさび」の現在を端的に示していると言えるでしょう。
マンガ・アニメ・ゲームの“アーカイブ”について考える企画展が11月から京都で https://natalie.mu/comic/news/596152
「のこす! いかす!! マンガ・アニメ・ゲーム」展、2024.11.23〜2025.3.31、京都国際マンガミュージアム。
特に2010年代後半くらいから、アーカイビングについて個人〜コレクティブレベルで(そのレベルの身の丈に合う範囲内で)実践を手探りながら始める動きが出てきているように見えますが、ことにマンガ・アニメ・ゲームはステークホルダーが多いこともあってこういった動きが全くと言っていいほど進んでおらず、麻生内閣のときのアーカイブ構想がごく小規模であっても実現していれば、もう少しマシだったんでしょうけど……
いずれにしてもこの展覧会が、民主党(当時)や共産党のせいで国営アーカイブ構想がポシャったことでもたらされたマンガ・アニメ・ゲームにとっての「失われた十数年」から出発し直すきっかけになればいいんですが……
高階秀爾氏インタビュー。新設の大原芸術研究所が目指すもの、「闘う人文主義者」エラスムスの時代と現代の相似性とは? https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/shuji-takashina-interview-202405
今年5月のインタビュー記事。結果的にこれがラストメッセージということになるんでしょうか…… [参照]
美術史家・美術評論家の高階秀爾さん死去 92歳、「美の季想」連載:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASSBS0HB1SBSUCVL040M.html
高階秀爾(1932〜2024)。当方、20年ほど前に京都の某ギャラリーで目撃したことがありまして、話しかけるなんて恐れ多いので軽く会釈しただけですが、著書や国立西洋美術館の館長を長く務めていたイメージが強すぎて、ぇ高階御大って現代美術も見はるん!? と驚くことしばし。ともあれ、ご冥福を……
総選挙が近い昨今ですが、そういう時期に本棚の奥から出して読み返すのが原彬久『戦後史のなかの日本社会党 その理想主義とは何であったのか』(中公新書、2000)。タイトルから一見即解なように、戦後日本政治のもう一方の雄だった日本社会党についての通史です。著者の原彬久(1939〜)氏はハンス・モーゲンソー『国際政治』やE・H・カー『危機の二十年』の訳者としても知られています。このことからも見えてくるように、同書においては、国際政治学におけるリアリズムの立場から国内政治史と政党史を見るという視線で一貫していると言えるでしょう。
刊行された時期が時期だけに、ゼロ年代以降の民主党→民進党→立憲民主党の変遷と消長については触れられていませんが、読み進めるにつけ、これ今の立憲民主党が全然克服できてないやつやなぁ……と、特に同党の支持者ではない者的にも微苦笑したくなる箇所が多いわけで。特に党内にありながら左派と右派の分裂が恒常化していることと、議会政治自体への根本的な不同意が党自体のアイデンティティとなっていることとかに、それは顕著です──以下の引用における「社会党」を「立憲民主党」と置き換えても、そのまま成立するんじゃなかろうか
日本社会党は結党後わずか三年にして二度の小分裂を体験し、この体験を通して奇(く)しくも党内最右翼と最左翼をそれぞれ切り落としたことになる。一般的には、これによって社会党が党内イデオロギーの振幅を縮小し、したがって党内コンセンサスを得ることもまた、それまで以上に容易になったとみられても不思議ではない。しかし実態は何ら変わらなかった。いやむしろイデオロギーと感情の確執からくる党内抗争は、ますます先鋭化していく。(p61)
社会党にとって、議会はここで占めるべき「絶対多数」の恒久化によって社会主義革命を果たす一つの手段であった。しかし実際には、「絶対多数」どころか「比較多数」さえも獲得できない社会党にとって、勢い議会外の権力すなわち「大衆闘争」はきわめて有用な戦力となる。院外闘争にロマンを求め、暴力革命の道をさえ閉さなかった。いま一つの「理想主義」がここにある。(略)憲法擁護を叫ぶ社会党が、その憲法の根幹ともいうべき議会主義を擁護しえないという自己矛盾は、ほかならぬ社会党自身のこの「理想主義」のなかにある。(p343)
戦後西ドイツのグラフィックデザイン展 モダニズム再発見 https://artexhibition.jp/exhibitions/20241012-AEJ2423803/
2024.10.26〜2025.2.24、西宮市大谷記念美術館。ドイツのデザインというと、ヴァイマル共和国期のバウハウスが鉄板ですが、バウハウスが培ったイズムがより応用可能な形でデザイナーに共有されるようになったのはおそらく戦後になってからでしょうから、「戦後西ドイツ」にフォーカスを当てるというのは、なかなかクリーンヒットですね。
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪