BEAK 585 GALLERYで開催中の松岡日菜子「場面について」展。京都造形芸大→京都市立芸術大学大学院と学業を積み、現在も京都市内にある共同スタジオ「GURA」の一員として活動している松岡女史、大阪での個展は非常に珍しい。
そんな彼女の作品は、新表現主義的な作風に若干のマンガっぽさが加味された絵画といった趣で、そこだけ取り上げると近年の若手によくある画風なのですが、独特のザラついた絵柄と、先にランダムに色を配置して後からモティーフを作っていく/捏造していくという手法によって、絵画として妙に「しっくりくる」ものとなっていたのでした。人物の顔はほとんどヘタウマ系マンガ──蛭子能収氏になかなか影響を受けているという──なのに、かかる手法によってペインタリーなものの正道をなかなかなレベルで見せているわけで、ほとんど知らない方だったので個人的にはなかなか収穫でした。11日まで。
先に述べたように
今回はアンタイの最も充実していた時期の超大作が並んでいたのですが、カンヴァスを折り畳んで色を塗り、広げるという、そのあの手この手ぶりを見るべきものとなっていたと、さしあたっては言えるでしょう。アンタイはクロード・ヴィアラ(1936〜)やルイ・カーヌ(1943〜)らとともに「シュポール/シュルファス support / surface」という動向の一角を担う存在とみなされていますが、カンヴァス地自体に手を加えながら絵を描くという行為をここまで大規模に行なうことで、絵画を「支持体support」と「表面surface」に二分しその両者の関係を問い直すというシュポール/シュルファスの良質な部分を見ることができます。
日本ではアンタイどころかシュポール/シュルファス一派の作品に接する機会がほとんどない──関西においては、国立国際美術館がヴィアラの作品を収蔵しているのは、貴重な例外である──上に、アメリカ由来のフォーマリズムの制作/批評言語が制度的に(なお)強いだけに、戦後フランスの、とりわけアンフォルメル絵画以後についてはなお強いバイアスのもとで見ることを余儀なくされるわけですが、今回の「FOLDING」展の場合、そんな日本の知的土壌を知ってか知らずか、超大作を選んで出展することで、フォーマリズムと違った視角から絵画および絵画をめぐる言説を再構築することを見る側に促していたとも言えるでしょう。特に具体美術協会と(アンフォルメルの総帥)ミシェル・タピエとの間に同床異夢とも異床同夢とも言える関係が成立していた関西においては、これは必須の作業なのかもしれない──そんなことを考えさせられるのでした。2024.2.4まで
心斎橋にあるエスパス ルイ・ヴィトン大阪で開催中のシモン・アンタイ「FOLDING」展。アンフォルメル以後のフランス現代絵画の雄のひとりだったシモン・アンタイ(1922〜2008)の1960〜80年代の絵画作品を振り返るという展覧会。どれも縦横数mの大作ばかりで、しかもそのコレクションを惜しげもなくフランスから大阪くんだりまで運んできたのですから、──以前のゲルハルト・リヒター展やアルベルト・ジャコメッティ展のときもそうですが──ルイ・ヴィトンさまさまですゎ。
心斎橋OPA5階にある古着専門店Three Starで開催中のサワダモコ「一瞬を、選んで、切り取って、廃棄する」展。キャラクターをモティーフとした絵画を中心に描き続け、近年はあちこちで引っ張りだこ状態なサワダ女史、近年は回線遅延状態のストリートビューを風景画として描いたりと、ネット(カルチャー)総体にモティーフを広げている様子ですが、今回はキャラ絵で真っ向勝負といった趣。今回は古着屋での展覧会ということもあって(?)、さまざまな布地をコラージュした上に描いている作品が多かったのですが、コラージュの中にレース生地がある作品がいくつかあり、それは何やら辰野登恵子(1950〜2014)の中期の絵画を彷彿とさせるものがあり。
『serial experiments lain』安倍吉俊も参加 「囲碁を巡るアート展」開催 - KAI-YOU
https://kai-you.net/article/88134
2023.11.22〜26、HikoHiko Gallery(東京都中央区)とのことですが、「「囲碁」と「アート」」という設定で中ザワヒデキ氏に声かけないの、普通に怠慢が過ぎるでしょう #などと意味不明な供述をしており
かような文脈のもとで集まってきたものですから、展示物の大半を占める(主に中世・近世に作られた)仏像も五体満足なものは少なく、部位が欠けたり、ものによってはバラバラになってしまったものも多い。当方は別に何かの宗教・宗派を熱心に信仰しているというわけではないんですが、そのような視線から見ても、壊れてしまった仏像たちが事態の深刻さを雄弁に示していることは分かりますし、関係者からしたら、たとえ開眼供養ならぬ閉眼供養を経ているとしても、断腸の思いで晒していることも痛いほどわかる。実際、展示されている仏像は、もしこのまま引き取り手が現われなかった場合、お焚き上げ=焼却処分もありうるそうです。引き取り手が現われ、「ふたたび拝まれる日」を迎えた岩手県と奈良県のお寺の事例がパネル形式で紹介されていたから、余計に危機感が伝わってくる。
佛教大学宗教文化ミュージアムで開催中の「拝まれてきた仏像 ─ふたたび拝まれる日をまつ─」展。同大学の母体となっている浄土宗が来年開宗850年になるのを機に企画されたとのことですが、「拝まれてきた仏像」という展覧会タイトルと以上のような経緯とは裏腹に、宗教団体としての浄土宗が現在進行形で直面している、特に地方におけるお寺の後継者不足とそれによる廃寺の増加という問題をあえて前面に押し出すものとなっていました。浄土宗では諸事情から住職がいなくなってしまったお寺にあった仏像などが本部に移管されることがあるそうで、今回は全てそのような形で本部に集まってきたものが出展されています。宗教系大学の附属施設が企画する展覧会としてはかなり異例であり、当方もさして広くない展示スペースを回りながらぇそこぶっちゃけるん? と驚くことしばし
「日本画の棲み家」展については、先日行なわれたという事前勉強会のことが記事になってますね
【予習会レポ】「日本画の棲み家」泉屋博古館東京(11月2日から)キーワードは「床の間芸術」「非展覧会芸術」 https://artexhibition.jp/topics/news/20231030-AEJ1661110/
Insight 30 “家の中で/at home”|2023.11.11〜26|Yoshimi Arts
DMが届いてました。企画展風味の常設展といった趣のInsight、今回は「家の中で/at home」というタイトルですが、この前まで国立国際美術館で「ホーム・スイート・ホーム」展が開催されてたり、先日から泉屋博古館東京で「日本画の棲み家」展が始まったりと、今年は美術館レベルででも「home」に焦点を当てた展覧会が続いていることを受けているとしたら、相変わらず目端が効いている。画像は笹川治子《セキュリティーシステム J》(2011)
青森の美術館など5館で「AOMORI GOKAN アートフェス2024」が4〜9月に初開催。参加作家や概要が発表 https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/aomori-gokan-news-202310
青森県立美術館、青森公立大学 国際芸術センター青森、弘前れんが倉庫美術館、八戸市美術館、十和田市現代美術館で開催、全会場が見られるコア期間(コア期間?)は2024.4.13〜9.1。《ディレクターは置かず、この地に根差して活動する各館のキュレーターが協働して実施するのが大きな特徴だ》とのことで、五つの施設の個性を楽しむ系のイベントになりそうですが、青森県までの交通費も、青森市&弘前市&十和田市&八戸市相互間の交通費もシャレにならないでしょうから、車の運転ができないと県内を回れる気がしない……
くっそこんなのでwww となりながら仕事に取りかかったら、「デカ暖」という退廃的な商品名のストーブを見かけ <BT
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪