凝縮された作品制作
-館勝生のライブペインティング(三井知行) http://www.peeler.jp/review/0811hyogo/index.html
その2008年に甲南大学で行なわれたライブペインティングのレポート記事。この3ヶ月ほど後の2009年1月に館が逝去したため、彼の晩年の制作スタイルを知る上で非常に貴重なテクストとなっています
「館勝生 2008」展|2024.1.24〜2.18|Yoshimi Arts
DMが届きました。1990年代〜ゼロ年代に関西を中心に活動し、将来を嘱望されるも急逝してしまった館勝生(1964〜2009)ですが、Yoshimi Artsでは以前から定期的に──館が泉茂(1922〜95)の大阪芸大教授時代の教え子だったこともあってか──その画業を振り返る展覧会を開催しています。今回は(亡くなる前年の)2008年に描かれた作品が出展されるようで。この時期の館の絵画は、絵具の物質性を前面に押し出す要素とストロークによるアクションペインティングの要素とが奇妙に融合した、今見ても豊かな謎に満ちたものとなっており、それを2008年という時点に限って再考察することで見えてくるものは多そうです。
京都市長選 政治資金パーティ疑惑の村山祥栄氏 謝罪のうえ立候補を明言(KBS京都(京都放送)) https://news.yahoo.co.jp/articles/43e5dc65ffb58490af3f61bec73f84d2bd3b01fc?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240115&ctg=loc&bt=tw_up
維新は、なぜか「京都の壁」を越えられない…京都市長選で見えた、維新の「一つの限界」(現代ビジネス) https://news.yahoo.co.jp/articles/638a64f59246ffd66bb901c5fb7911f534d5ef46?source=sns&dv=sp&mid=other&date=20240115&ctg=dom&bt=tw_up
──
2月4日の京都市長選、いかにも維新らしい理由(改革改革と喚いていたから)で推薦された候補が、いかにも維新らしい理由((最近話題の)パー券キックバックの常習犯だったのがバレたから)で推薦を取り消されてて草
──まぁ当方は京都市民じゃないので誰が当選しようが関係ないんですが、京都という場所柄、市芸の卒展や各種工芸団体の展覧会で「市長賞」が出るだけに、「あいつ(あいつ?)名義の市長賞をもらってもなぁ……」と鼎の軽重を問われる場面が政治以外に多く、そういうのに見合った人物かどうかを候補者選びの段階で見極められない限り、維新は「京都の壁」を越えられない説あるで
国立新美術館が2024年のスケジュールを発表。マティス、田名網敬一、荒川ナッシュ医やCLAMPの展覧会も開催へ https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/nact-2024-schedule-202401
国立美術館各館の先陣を切って(?)国立新美術館の来年度の予定が公表されているそうで。個人的にはやはり「マティス 自由なフォルム」展に合わせてひさしぶりに上京したいところですが、果たして…… そして知らん間に“荒川ナッシュ医”に改名してて二度見。当方、荒川ナッシュ氏の作品には、京都で2012年に開催された「アブストラと12人の芸術家」展( https://m.facebook.com/login.php?next=https://m.facebook.com/abstra12&refsrc=deprecated )で映像作品に接した程度なので、日本の美術館では初の(?)個展でどういう作品を出してくるか、気になるところではあり
横浜美術館がリニューアル - 大階段に囲まれるラウンジ新設、カフェ&無料利用できる美術図書室を一新 https://www.fashion-press.net/news/113756
今年3月(!?)の横浜トリエンナーレでプレオープンし、来年から本格的に再開するそうで。当方の場合、最後に行ったのは何回か前のトリエンナーレだったか村上隆のスーパーフラットコレクション展だったか…… という体たらくなのでアレですが
入ってすぐの大階段がある吹き抜けは「まるまるラウンジ」なるフリースペースになるとか。確かにあそこは展示空間として使うにはなかなか難しいものがありましたからねェ……
散髪に行ったあと、そういえば今期のをまだ見ていないことに気づき、JR総持寺駅で開催中のSOU 12へ。現代美術家の稲垣元則氏と藤本聖美女史が大阪府茨木市で展開しているOne Art Projectがこの駅の自由通路の壁に平面作品の拡大プリントを設置するというこのSOU、半年ごとにテーマと作品を入れ替えて展開されていますが、今回は「モダンタイムス」というテーマで、1964年に京都府亀岡市に設立された知的障がい者の支援団体みずのきが事業の一環として手がけていた絵画教室のコレクションから四点の拡大プリントが設置されています。
作品や作家については公式サイト( https://www.sou-art.com/ )で解説されているので、詳細はそちらを参照していただきたいのですが、1960年代から80年代にかけて──ということは日本に「アール・ブリュット」や「障がい者アート」という言葉自体がなかった頃かもしれませんが──描かれたこれらの作品は、確かに《いつどこで描かれたということをはるかに超えて》(←公式サイトより)あることが感得され、興味深いところ。近年、関西では「障がい者アート」の枠を越えた「アート」としてこれらの障がい者の作品をプレゼンする団体がいくつか出てきていますが、そういう流れの中で過去の作品が再発見されることの意義は、決して小さくないでしょう。以前から単なる地域アートに収まらない批評的射程を内に含んだ活動を展開しているOne Art Projectが、この方面においてもまた新たなマイルストーンを置いたことになり、これは痛快な仕事だなぁと思うところ。3月末まで
展覧会ではそんな貞幹の代表作『集古図』や『好古日録』を中心に、彼が集めたモノ(古い瓦のカケラ、古銭など)の一部、上記以外の著書、書簡、模写、拓本などなどが所狭しと並べられています。昔のモノを拾い集めて正確に模写し、それを基礎資料として残すというのが貞幹の基本スタイルであり、この手法を文献考証にも拡張したり(日本書紀の研究や非公式の元号の取集などが紹介されていました)、身の回りのモノにまでターゲットを広げたりして彼の学業は広大無辺に展開されていった──と書いても現代人の視点からすると当たり前のように見えるかもしれませんが、近世においてこれはなかなかに破天荒な態度だったことは同時に指摘されなければならないでしょう。モノを(いかなる象徴性や物語、歌枕から独立した)モノとして見るという態度自体が近代の産物だとすると、貞幹の学問的態度は早過ぎた近代のそれであり、プレ近代化をそこに見ることができるからです。
江戸時代後期を一種のプレ近代化の時代と位置づける見解は1980年代以降(?)割と盛んになりますが、貞幹の仕事に通底する方法論もまた、かかるプレ近代化の存在を告知していると言えるかもしれません。もちろん実際の明治維新以後において展開されていった近代化政策は近代化=西洋化という形でかかるプレ近代化をなかったことにしてしまったし、江戸時代においてもそれはごく少数のアルティメットディレッタント(貞幹とほぼ同時代人の木村蒹葭堂(1736〜1802)とか)とその周辺にしか広まることは結局なかったわけですが、だからこそ別種の近代化の可能性を考える上で、貞幹の業績にはまだまだ掘り下げるべきものがあるわけでして。2月4日まで
京都文化博物館で開催中の「日本考古学の鼻祖 藤貞幹」展。江戸時代後期の学者藤貞幹(とうていかん)(1732〜97)の業績を、彼の著書や史料などを通して紹介するという展覧会ですが、貞幹の学業の広大無辺ぶりに瞠目しきり。タイトルでは「日本考古学の鼻祖」とされていますが、今風にいうと考古学どころか国史学、国文学、民俗学、果ては考現学にも届きかねないわけで、こりゃ学者というよりアルティメットディレッタントですね しかも現在においても業績の一部──平安京大内裏の配置図や10〜11世紀の藤原摂関家の屋敷の部屋割りなど──はなお決定版とされているわけですから、普通にものすごい。
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪