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すごく期待して『12日の殺人』、やや期待しすぎて肩透かしくらった感はあったが、良い作品なのは間違いないので、気になる人は見ておくと良いと思います。

フェミサイドに対して男性側からの理解のしにくさ、理解があっても「体感として掴めない」ことに向き合っていて、とても良心的な映画だった。若い女性が残酷に殺されることを創作がどう扱ってきたかについての散文にも思える。ゾディアックや殺人の追憶と重なる部分も当然あるが(実話ベースの未解決事件)印象としてはかなり異なる、男性の作り手が男性としてフェミニズムに向き合っている感じが私にはとても好ましく映った。

オッペンハイマーすごく良かった。これだけエモエモのエモにしていいのか?ということを思いながら「おもしれー」に引き裂かれるとこまで含めて私は面白かった。

ノーラン映画の嫌われ方と好かれ方の変遷をインターネットの人として四半世紀見てきて、人間ってやつはよー!という気持ちでいるのだが、なんとなくその感覚と共鳴しそうな話になってそつなので、結構期待して今夜見てきますよ。

旧作邦画見て面白いの、価値観こそむちゃくちゃだな?と思うことが頻繁にありながらも非道なことは非道なこととして言い訳しない非道やってる認識の潔さがある部分もそうかもしれないなー、と「あなた買います」を見ながら思いました。

試写で見たことを「試写した」っていうの一般的なんかな?劇場側のひと以外が「試写した」という言葉を使うのってなんとなく私は引っかかるんだけど、気になって検索したら使う人がそこそこ結構多いように見受けられるので(好きなライターさんも使ってた)私が知らないだけで昔から結構使われてるのかもしれぬ…この種の「自分はそう感じる」ということを一般化しないよう注意しておきたい…

みんなもっとこっちで長い文章書いてくれたらいいのにな

とかこういうのはTwitterでしか拾えないのが問題なんよねー。どうやってもインフラはとったもんがち

この本よさそうだなと思いました。他の人がこのタイトルの本を出したらあやうさを感じる気がするが、そこは津田先生だからね hanmoto.com/bd/isbn/9784480684

じゃあ(じゃあ?)Twitterで教えてもらったとても良かった文章をこちらにも貼っておく。というかめちゃくちゃ文章うまい人だな?shinchosha.co.jp/nami/tachiyom

まあまあ良いスクリーンでかかってたからという理由でサイレント映画とすら知らず『あるじ』で初ドライヤー。さすがに家父長制度批判とまではいかないけど、酷い家庭内暴君の夫を無敵のばあちゃん(元乳母)が性根を入れ替えるまで家のことをやらせ続ける…ってなど直球の男性教育映画でこれがなかなかに面白い。「そうそう、そうなんだよ!よく見てるなー!」な家事描写(バターをこそげるとこ、実に素晴らしい)も見えない労働(報酬の発生しないところに敬意が払われない)への目線もしっかりしてて、ニコニコになった。スクリーンでかかるときの古い映画はやっぱ見ようと思った。サイレントは絶対劇場で見るほうが面白いんだよな

『ショーイング・アップ』はケリー・ライカートこんな軽やかなのも撮るのかー(まだ3本しか見てないが)と思った。いや、全体としては薄曇りの明るさレベルなんだけど、寂しさとかやるせなさの気配も確かにあるんだけど音楽の使い方といいアート界の描き方といい、なんか抜けのいい感じがある。よく出てくるイメージのある横の動線もアートがある場所の活力として感じられる、あたたかいムードがあった。

これはホン・チャウ演じるジョーの自然体(をパフォーマンスとしてもやれる、自分を中心に据えられる)胆力の存在感によるところも大きく、彼女が作っているものが作ってる段階ではそんなに魅力的に見えないのに展示されるとおおっとなる雰囲気を持ってるのも、ちまちま作業する間の方が作品が魅力的に見えたリジーのスタイルと対称になってて(このミシェル・ウィリアムズはとかく真面目で他のことに気を取られがちな人でアーティストファミリーにおける異分子なのとても似合っている。服の普通さと皺加減がとてもよく、シャワー入れず髪がペタッとしてくるのもいい)すごくそれらしく感じた。

「ごめんね、外で死んでね」とか静かに笑わせてくるのも新鮮で、その後の展開も含めて楽しいのだが、なんともいえないペーソスもあり。芸術は生活で、鳩はいつでもそこにいる。ぽっぽー。

映画館で映画をみる理由は音と暗闇なんだが、それさえ可能なら🏠鑑賞の方がよかったりはするんだよな。私は何かしながら鑑賞とか途中で止めるのとかは基本家でもやってない。というか私の場合、それは見たとカウントできない…ドラマはなんかしてて見られるように作ってあるのでそれでいいんですが。逆にいうと映画で暗闇でそれだけに集中する前提を無視してやられるのはあんまり…と思いがちです。でも多分もうこれは消えゆく文化圏の人です…

ひと昔まえの、普通の…でも今あんまり普通さ求められてない時代よね、というのもまあ、わかる

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普通の映画評が読みたいんだ私は…私は…

私は「いいかんじのひと(かんじのいい、ではない)」と思われたさが強すぎていい歳して本当めんどくせーな、と自分でも思ってるんだが、しかしこればかりは性格の中心なので…

カード・カウンター、ザ・キラーと対をなす映画だと思うんですが、むしろ古い話であるところのカード・カウンターのほうに「現代」を感じたんですよ。これすごく言語化しにくいものなので、あとでゆっくり考えてみたい

カードカウンター、かなりよかったんではないかという気持ちが募ってきた

で、この感じはポジティブにもネガティブにも働いていたわけですが、一方でだからこその良さとして冷える夜に小さな初老の女性が歩いているその姿に哀れさも何もない感じになってるのはよかった。ああいいわね、ああ困ったわね、ちょっといい感じだわね、くたびれてきたわね、だけで綴っていく。バラバラの人たちがバラバラに居て、すれ違う。バニラ?のとこよかったな。加熱式たばこがこういうロマンティックな使い方されてるのははじめてみた気がする。

なんとなく乗り切れない部分としては私は冒頭のナレーションと呼応するラストで十分では?と思ったので「トロピック」がよくわからなかった。順番としてあれが手前に入っていたら意図はわかった気がするのだが…なんか急にチャチになっちゃってない?そういう理でみる話でもなさそうなんだが。

しかし断然素晴らしいのはエンドクレジットで、あんな素晴らしいクレジット形式を見られただけで見た甲斐がありました。すべての映画があれでいいんじゃないかってくらいの「みんなでつくりました」宣言だ。

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今日は『ゴースト・トロピック』を見てきたの。初老の掃除婦さんが終電を乗り過ごして終点までいってしまってそこからお家に帰る話、なんですけど「ここに在った/いつか消えた/これから在る/これから消える」を今で繋いで時空を超えていくゴースト映画っぽさは意外に薄かったかな。撮影は魅力的でなんとなく全体のトーンに『泳ぎすぎた夜』と似た感じがあった、気が。心細くもなくはないけど…な道筋の浮遊感の共有。
あとマインド面もなんかすごく現代日本のインディペンデント映画を見ている気持ちになって不思議だった。主人公が自分からは困っている事情を話さなくて自分だけでなんとかしようとするのもそうだし、親身にとはいかなくともすれちがう人たちは困っている人に優しさを示す、しんしん冷えるがわずかなぬくもりの光は美しい、しかしそのなかに大きなものとは切り結ばない土壌が垣間見えるというか。そういう普段日本っぽさと感じるものをベルギー映画で見るとは…という。(ホームレスと犬のエピソードとか「うちのポーランド人が…」「もう個人宅はやってないんです」のとこに見え隠れはしているものはあるが)

いやホントに日本の監督が撮ったといったら信じちゃいそうな感覚がそこここに、ブリュッセルが日本の地方都市に見えて仕方なかった、中心部でもあんな静かな夜なのね

わあよかった!何か紹介して読んだり見たりしてもらえるの大好きです、こちらこそありがとうございます😊

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