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停電でパソコンが落ちてしまった。作業中でなかったのが幸い。かなり広範囲に停電しているということで、なかなか復旧しないのかなあ? 凄まじい雷の音…

朝日新聞の劣化は確かにひどいですが、朝日や毎日がなくなったらどうなるんだろう? と思ったらそれはかなり恐ろしいので、朝日へは課金してます。

たぶんろくでもない人ばかりが出世する仕組みになっているんだろうなあ…と思うと、暗澹たる気持ちになりますが。

今日は猛暑日初体験。さすがに暑い…。駅前でティッシュ配りとかしてたけど、暑いだろうな…。

雪華」のHPを更新しました。今月の巻頭句は《満天星の花や一番星さがす 西川良子》「満天星」(どうだん)と漢字で書かれる花と「一番星さがす」という童心のような措辞との詩的交流でしょうか。どこか懐かしさも感じます。

散文置き場には、仁平勝「デルボーの人」評(五十嵐秀彦)、五十嵐秀彦「暗渠の雪」評(鈴木牛後)をアップしました。

yukihana-haiku.com/

我が家ではスマホのテザリングでPCを使っているのですが、突然それがつながらなくなって、いろいろ調べてもわからず…。でもUSBのケーブルでつないでもネットにつながることがわかって、一件落着。結局原因はわからずじまいだけど…。

私などでも「文章を書けていいですねえ」などと言われることがある。そんなときは「いや、書いてみれば誰でもある程度のものは書けますよ」と言ってみたりするのだが、「いやぜったい無理です」などと言われてしまう。人によっては、いや、謙遜しすぎでしょうと思ったりもする。謙遜は美徳かもしれないけれど、必要以上の謙遜は相手の気を悪くさせますよ、と言ってあげたい(言わないけど)。

ここまできちんと言語化できるというのは素晴らしい。さすが若い時から文学に親しんでいる人は違うなあ、などとつい言いたくなってしまうのは悪い癖。これからも私は私の書けるものをぼちぼち書いていく、と言っておきます。

weekly-haiku.blogspot.com/2024

「俳壇」の虚子特集の鼎談、「久女は嫌い」と言ってしまって、すべての話がそれを前提に進んでいるように思えて、それが気になりました。最初から虚子を礼讃する意図があって、久女はそのツマに使われているようで。虚子と久女の関係はそれが当然視されているけれど、その議論を拡大再生産するだけなら、あそこで話す必要はなかったのでは、と思いました。

岡田一実さんの「醒睡」のことを、少しだけ加筆してブログに載せました。ブログに記事をアップしたのは半年ぶり…。miyukibare.exblog.jp/242235752

真ん中の下の方 
ならではないか→なのではないか  の誤りでした。

岡田一実さんの句集「醒睡」のこと 

タイトルが示すように、「醒めている俳句」と「睡っている俳句」と、それぞれ解釈できそうな句群が交互に現れる。そう、それで「醒睡」なのね、と分かったつもりになっていると、最後のページに向けて、はてどっちなんだろう?という俳句が続く。

これはたぶん、読者をいったん「理解した」と思わせておいて、「そんなに簡単に他人のことを理解できると思うなよ」という作者からのメッセージを聞きとらせる仕掛けなのではないかと思った。理解できるところは理解し、そして理解できないところを残しつつ関係を持つのが、人間社会だということなのかもしれない。

造語と思われる言葉の多用もチャレンジングで、これはたぶん句会という共通理解を確認する場を経ていない俳句ならではないか。他人の評価にもたれかかかることもなく、まっすぐ遠い地平をまなざすような感覚が清々しく感じられる。

景としては、わかりやすい句はかなりわかりやすく、しかし言葉は一筋縄ではいかないという俳句が多いという印象。緻密な写生と言葉のフロンティアは両立するということを、改めて感じた。

「十勝」の名称が入ったのはごり押しの結果。観光と国立公園は別に考えるべきで、日高山脈という固有名詞でいいのではないか。

日高山脈は学生のときに2度、一週間くらいの縦走をしたことがある。山脈の中南部は登山道も満足になく、ひたすらハイマツの被さる稜線を歩くという過酷なものだった。そのような、人を寄せ付けない場所が日本に残っているということが貴重と思う。私の行ったのはもう40年前だが、今はどうなっているのだろうか。

あまりに奥深くて「名の無い名山」も多く、1839m峰(イッパーサンキュウと呼んでいた)などは忘れられない。

>BT

鈴木牛後 さんがブースト

<社説>日高山脈が国立公園に 原生の自然 後世に継承を:北海道新聞デジタル hokkaido-np.co.jp/article/1029

私もパブコメ提出しました。行きつけの歯医者さんでも、「保険証の廃止に反対します」という掲示がありました。国民も医療者も反対しているのに、強行するのはとんでもないことです。 [参照]

校正が終わった 

結社誌の校正終わり。今月は直すところが少なくてよかった。いちばん指摘するのは、やはり歴史的仮名づかいの誤り。めんどうな規則がたくさんあって、慣れないと仕方ない面もあるんだけど、間違いが多いと「それくらいの結社」と見られるだろうから、ここはきちんとしたい。

以前は、拡張新字体の漢字をいちいち印刷標準字体に直していたのだが、こちらはあまりにたいへんなのでやめた。他の大きな結社も、そこまで徹底しているところはないみたいなので。こっちはどうでもいいよね。「印刷標準字体じゃないと読む気がなくなる」というツイートを見て、気にしていたんだけど、そんなこと気にする人がどれくらいいるのか、という話。

選挙ポスターに裸の写真を使ったという件、女子にエッチな写真を見せてその拒否反応を楽しんでいた小中学生と発想が変わらない。どれだけ成長していないのか。

しかもそれに賛辞を送る人も多いなんて、終わってるな。

文学館図書室なのに、本を読むのに適さないなんてね。数人分しか椅子がないから、長居されたら困るのかもしれないけど、私が見た限りでは一度に3人いることは一度もなかった…。

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「俳壇」は文学館へ行って読んでくることにしよう。文学館には総合誌があるのでたまに行くのだが、椅子に背もたれがないので、ゆっくりするにはとてもつらい。あれって、長居させないための方策なのかな?。意見フォームがあったら書きたい。

思い出す前に挨拶しても、いまいちとんちんかんなことになっていたような気もしますが。

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俳句甲子園東京大会の審査委員長をしていた佐藤明彦さん(的確な講評がすばらしかった)、「藍生」で私の特集をしてくれたときに、黒田先生がそれを多方面に配布したらしく、それに対して佐藤さんが黒田さんに送った礼状が私のところに送られてきていたのを思い出しました(とても好意的なお手紙でした)。それで「にれかめる」も献呈したのでした。

何だか遠慮してしまっていたのですが、ご挨拶すればよかった。つい気後れしてしまうんですよね…。

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