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お誘いを受けて、ビアガーデンを堪能した帰り。2駅乗り過ごして折り返しの電車に載った。終電じゃなくてよかった。

給食の話 

誕生日がカステラだったのは、自分から頼んでカステラにしてもらってたんだよね。クリームが食べられなくて。回りには不思議がられていたみたいだけど、まさか洗脳が原因だなんて、わからなかった。

これが洗脳だとわかったのは、大学に入ってから読んだ雑誌記事で、誰だったかな、当時人気のミュージシャンが、左翼嫌いな父親のせいで、道路を左に曲がれなかったと書いていたこと。左に行きたいときは、右折を3回していたらしい。これを読んで、自分と同じだと思った。私よりひどい話だけど。

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給食の話 

私も給食の時間はたいへんだった派。1、2年生のときの担任はとても給食に厳しくて(給食だけじゃなかったけど)、パンに塗るハチミツとか、空き袋を「キップ」として当番が持つ箱に入れないと教室から出られなかった。

なぜハチミツが食べられなかったかというと、父親が甘い物が嫌いで「甘い物なんて人間の食べるものではない」と幼いころから聞かされていたから。なので、どら焼きをもらったら中の餡をこそげ取って皮だけ食べていたし、誕生日はいつもケーキではなく、カステラだった(カステラはなぜかOKだった)。

唯一食べられた甘味が、父親が葬式に出たときに持って帰ってくる弁当に入っていた羊羹だった。それはたぶん「父親の許し」があったと、自分の中で認識していたためだろう。今から考えると、こういうのを「洗脳」っていうことがわかる。恐ろしいね。

俳句での用から用 

@2d3m13 ありがとうございます。ご期待ください!

朝日新聞には農業の記事がほんとうに少ないなあ、と思う
(読売や毎日もだと思うが)。

北海道では、農業の景気の良し悪しがほぼ全道民に関わっていたから、北海道新聞には毎日のように農業の話題が載っていたので、余計にそう思うのかも。

これで農業への関心が高まってくれればいいのだけれど。

鈴木牛後 さんがブースト

有料記事がプレゼントされました!9月14日 11:05まで全文お読みいただけます

米不足、減反と高齢化の果てに 「最悪のシナリオ」が今年、始まった(朝日新聞デジタル、2024/9/12)
digital.asahi.com/articles/ASS

〈減反は2018年に終わったが、今も生産量は減り続けている。米の卸売業者でつくる全国米穀販売事業共済協同組合は今年、30年代に国産米だけでは需要をまかないきれなくなるおそれがあるとの試算を発表した。
(略)
減反は多くの有能な農業従事者から水田と意欲を奪っていった。「農家が一度失った意欲は戻らない。国が増産にかじを切っても、それを担うだけの人材はいなくなりつつある」と話す〉

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俳句での用から用 

@2d3m13 たしかにふじみんさんの俳句は「複雑なものを複雑なままで」という感じですね。「きれいに、すっきりと」というのが主流ですが、「雑の部分」を大事にしたいというのは私も思っています。方向性は違うかもしれませんが。

いろいろな方向の俳句がある方が、俳句の世界が豊かになるのは確かなことです。

俳句での用から用 

@2d3m13 それは私とはちょっと違うかもしれません。いや、同じ部分もあると思いますが、違う部分もありそうです。そこが面白いと思います。

俳句での用から用 

@2d3m13 それはとてもよくわかります。「共振」だいじですよね。「共感」にまとめられた情緒の外側に浮かんでいるような、そんな俳句を作りたいと思います。

俳句での用から用 

@2d3m13 なるほど。「役に立つ」はよくわからないのですが、「共感ベース」はわかります。私の俳句などは、リアリズムとして書いた句でも共感ベースで読まれて、うーんとなりますが。

俳句での用から用 

@2d3m13 「用から用にうつる」というのはどういう意味ですか?

「もう作らなくて」というのは、今回作ったら、次回はもういいかな、ということです。

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句集の原稿を作った。どの句を入れて、どの句を外すか、とか考えるとまったくキリがない。一週間くらい考えたので、これでいいことにする。

去年までの5年分、北海道時代に作った句ということをまとめておくという意図は、これで達成できそう。句集はもう作らなくてもいいかも。

「痴漢のすすめ」みたいな記事が90年代によく雑誌に載っていたということは記憶にないが(雑誌を読むということがたぶんなかったらと思う)、私が大学生だったころには、「スカートの中が覗けるスポット」として、デパートのエスカレーターなどが挙げられていたことがあった。私の住んでいる街のデパートもあったら、そんなところで上を見上げるような度胸はなかった。でもそれが、成人向けでもない、若者向けの雑誌に載っていたのだから、今から思えばひどい話。正直に言えば、当時はそれほどの認識はなかったけれど。
president.jp/articles/-/31474

家族の体調が悪いということで、途中から炒め物を交替したのだが、皿に移すときにフライパンが重くて持てず…。こんなのが重いの?と言われてしまった。

仕事をやめてまだ1年にもならないのに、これほど筋力が落ちているとは…。これではすぐに老人(もう初老ですが)になってしまいそうなので、筋トレしようと思う(続くかな)。

遅ればせながら、佐々木紺さんの句集「平面と立体」を読みました。世界を見つめる繊細な目が印象に残りました。
《蚊帳の果人形のこゑで話して》は、話してほしいと言っているのか、自分が話しているのか、読みが分かれるかもしれませんが、いずれにしても人形の声の密やかさが何とも言えず。《押し花のさいごの呼吸しぐれゆく》なども、すーっと紙に吸われていく音が聞こえそうな気がします。

というわけで、「雪華」10月号には、この句集のことを書きました。

「俳句と才能」について。もうたくさんの人が書いているみたいだけど、考えてもよくわからないというのが正直なところ。名を残した俳人は才能があったのでしょうが、それは何かと言われてもよくわからず、好きならそれでいいのでは、としか言いようがないような気がします。

Xを見てると、投稿欄で選ばれた人はみな喜んで感謝の言葉を書いているけれど、選者に対する不満はないのかな?不満がまったくないというのは、初心者でなければかえって問題のような気がします。不満がない方が楽だし、精神衛生上はよさそうですが。

俳句の話。結社に入っていたら、結社賞とか巻頭を取るとか同人になるとかいう目標もできるだろうが、そうでなければなかなか難しそう。だからみんな、NHK俳句とか雑誌の投稿欄とかに熱心に投句するのでしょう。

でもそれに飽き足らなくなったときにはどうするか。句集を出せば、俳壇の狭い範囲ではあるが読んでもらえて、評や鑑賞を書かれたりもするが、それくらいでしょうか。

句集を出さない(出せない)人がどうやてモチベーションを保つのかは確かにたいへん。私もモチベーションが下がってきてるから、やっぱりこのへんで句集を出さないと。

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