ちょっと前に「玄関マットで自分に合った枕を作る」というNHKの番組を実家のTVでみて、みんなで何それって笑ってたんだけど、ちょうど枕を変えようとしていた夫が試しにやってみところ、
肩こりが消えて信じられないほどよい!
と言うので私も試しに玄関マットを新しく購入して枕にしてみたら
びっくりするほどスヤスヤ眠れる
……確かに今まで使ってきた数々の枕の中で一番いい。なぜなの……
そんなわけで、私の今の枕は玄関マット+高さ調整バスタオル。夫はタオルケットで高さを調整していた。
https://www.nhk.jp/p/torisetsu-show/ts/J6MX7VP885/howto/190/
素晴らしい発想で心が温かくなった。
記事のヘッドラインに曰く、
《 教室が苦手なら給食センターにおいでよ。不登校の小中学生に向け、東京都八王子市がこんな「ランチの誘い」を始めて1年。できたての食事と安心できる居場所の存在がどこかへの一歩をそっと後押しして、家族以外の人とつながりを持つ子どもたちも出てきた。》
何が前に進ませる「ボタン」になるのか、ひとそれぞれで千差万別だ。その意味でも、ひとつの「ボタン」を提示した此の試みには心打たれる。
画一化することなく様々な「ボタン」を用意することの出来る社会でありたいと思う。
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給食センターにランチだけでも食べに来ない? 教室が苦手な子どもたちに八王子市が「お誘い」を続けた1年:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/316902
日本文化が海外で盗用されたら? 文化の盗用の本質を小川さやかさんに聞く║Yahoo! JAPAN SDGs
https://sdgs.yahoo.co.jp/originals/201.html
被災地以外の人は、自分の家の防災アイテムと備蓄の見直しをするのがいいと思う。備蓄で忘れがちだけど、絶対あった方がいいのは水が使えない時の簡易トイレキット。
私はポイレを常備していて、小さくてかさばらないので出かける時のポーチにも1個入れてる。
今日はお客さん4人から海洋放出について聞かれた。
1人は元々日本についてあまりよく知らない人で、多くのアメリカに住む人達を代表していると思うのだけど「原発事故って終わったんじゃないの?オリンピックとかやってたよね?なんでいきなり海に捨てるの?」ととても驚いていた。
原発事故は終わってなくてまだデブリすら取り出せていないこと、廃炉までは40年くらいかかるだろうこと、オリンピック誘致時にアンダーコントロールと日本の総理が言ったことは間違っていたと私は思うこと、いきなり決まったことではなく海洋放出はかなり前から言われていたこと、東電のデータが正しければ海に捨てても安全だと言われているしIAEAもそう言ってること、アメリカは政府の見解として海洋放出に理解を示したこと、多くの国が反対する中で日本政府に説明責任は充分でないしトラブルが起きたり基準以上の数値が例えば他国で出た時の対応など具体性のある有事の対応については全く説明不足であると思うこと、などを順番に話したら絶句してた。
やっぱり説明責任というものを普段の国会でも疎かにしすぎで、それと全く同じ感覚で海外に向けても勝手に自分達で決めたことをやってしまうわけだからちゃんと信用される事は今後もうないだろうと思う。世界の海は繋がっていて、その海にこの放出は30年40年続く事なんですよ?
結局誰から同意を取り付けたのだろう?
アメリカだけ?
韓国政府や地元の漁業者は、科学的に安全だといわれる基準については一定の理解を示すけど放出については賛同できないという内容のことを言っている。
「説明責任果たさず信用できない」
これに尽きると思う。
「もとから僕は、マイナンバーを利用するために物理的なカードを持たなければいけないことに疑問を感じていました」
ほんとこれ!!!!!!!
あげく「マイナンバーカードを持ってるならそのコピーを取って書類に添付せよ」とか書いてあるともう理不尽すぎて頭から湯気出て、そういうことするならカード作りません!てなる。
近代文化に興味を持つ者として、最近ひそかに注目している平山亜佐子さん。
すると、ひょんなことから出版社の方に献本いただいたので、個人ブログにその著作のレビューを掲載しています。
明日(6月12日)発売です。
《明治大正昭和 化け込み婦人記者奮闘記》
【概要】
日本の新聞黎明期。女だからと侮られ、回ってくるのは雑用ばかり。婦人記者たちは己の体一つで、変装潜入ルポ〈化け込み記事〉へと向かっていった——
◇ ◇ ◇
著者:平山亜佐子
出版社:左右社
発売⽇: 2023/06/12
〈化け込み〉……と聞くと耳慣れない感じがするが、つまりは「潜入取材」のよう。
そもそも新聞記者の社会的な地位も低かった時代。
輪をかけて軽視されていた女性の労働者として、並々ならぬ精神力と行動力を持ち、困難を跳ねのけながら駆け抜けた人たちがいた。
紹介されているのは「優等生タイプ」の記者だけではない。
いわゆる良妻賢母の枠を破り、時に眉を顰められたとしても、抗って自分の信念に従う姿には感心させられる。
番外編の資料欄も充実していて面白かった。
トリビアまで素晴らしい / アルカリ洗剤をアルミ缶に入れて爆発の解説 https://anond.hatelabo.jp/20230509181908
最近、日本の出版界では、やたらと元気で輝く80代とか90代とか100歳とかの本が出ていて、元気づけるのもいいんですけど、援助が必要な高齢者が、己の限界を知って弱音はいたり、遠慮なくこんなふうに助けてもらってまーすといったりする内容の本のほうがよっぽど参考になるんだけど。
日本の出版界の「やたら元気な高齢者本」と「(主に若い世代が)異様に少ないお金で楽しく暮らす本」は、どうも無策な政府におもねってるみたいでもやもやするわね。
前から思うのは、国によって成熟するスピードや度合いが違うのに、インターネットのせいもあっていろんなことに関して世界を全部同じレベルで考えちゃうところがある気がする。
たとえば欧米がステップ1→2→3→4を経てステップ5にあるけど日本はまだステップ2の事柄があったとして、5まで進まないとダメだからと3と4をすっとばして5にいっちゃうと、うわべだけ先に進んで後々問題になるのでは?と思っちゃう。
明治維新もそれに近くない? 人権が根付いてないと言われるのも、なにかをすっとばしたからかも。
日本だけの話でもないし、国によって歴史や文化・宗教的背景が異なるので、必ずしも同じステップを進むのがよいわけでもなくて、じつはステップ2から分岐してステップ3A→4Bに進んでいくのがベストな場合もあるかもしれないし、せっかく先に進んでた事柄を、他にあわせていきなり後退させたとかも起こる。
私が属している新婦人で「学校のトイレに生理用品を置いてほしい。保健室ではなくトイレに置いてほしい」という運動があって、教育委員会にかけあったり、学校に出かけて行ってトイレ確認したり、校長や養護教諭と話し合ったりお願いしたりっていう超地味なことを全国各地でやっています。議会にかけあって予算化に成功してるとこもあります。
新婦人は女性の賃金を上げろとか、給食を無償に地場産の食材をとか、核兵器禁止条約に参加しろとか、まあなんかとにかくものすごく手広くいろんな要求運動をしていて、個別で似たような運動をしている団体も色々あるんで共同で行動することも多いんだけど、生理のことなんて地道に訴えてる団体は他にないわけですよ。まあでもそんなこと普通は知らないじゃん。なんか知らん間に「へえ、今どきは学校のトイレに生理ナプキン置いてくれるんだね〜いいね〜」みたいな。違うからね、それするために組織的に動いてる人がめっちゃたくさんいるの。
そういえば10年前は、取り壊すことになった同潤会の上野下アパートを見に行っていた。
そして今年は、渋谷の白根記念渋谷区郷土博物館でいま開催中の「関東大震災から100年- 同潤会アパートと渋谷」展を観た。
確かに、設計に共同体を形成するというコンセプトが行き渡っていて、同潤会は震災復興という目的から生まれたものだったんだなというのが伝わってきた。
ひとり暮らしの高齢者の話
一部で有名だった広尾のぼろぼろの木造家屋、2年前に解体されて今は更地になっていて、先日久しぶりに広尾に行った際に思い出したので、なんとなく検索してみたら経緯の詳しい記事があった。
あの家は長らく半壊状態だったけど確かに人が住んでいる気配があったので、台風がきたり大雪が降ったり、酷暑だったり極寒だったり、地震が来たりするたびに、あの家の人たちは大丈夫なのかしらね、と勝手に心配していた。何せご近所でもないただの通りすがりの私が不安になるくらい家が壊れていて、ついには窓枠も外れかけてぶら下がるような有様だったから、広尾方面に用事があれば、何もできないけど大丈夫かだけ確認しておくという感じになっていた。洗濯物からどうやら二人暮らしのようだけどある時から男性の一人暮らしになったみたいなのも察していた。すぐ向かいに交番もあるので、お巡りさんも注意して見てくれてるかもしれないよねと考えたりもした。
路上に落下物危険のコーンが置かれるようになり、いよいよ家自体が凶器になりそうな危ない状態になってきたある日、「あの家、今日解体されるみたいだよ」と人から聞いて、住んでいる人はようやく施設に入ることができたのか、どこか引っ越し先があったのか、亡くなったのか、事情はわからないけど、暑い日や寒い日にあの家の心配をすることはないんだなと思った。
記事には、住んでいた人は凍死だったとにあった。家の壁には外からわかるくらい大きな隙間がいくつもあいていて、窓のガラスもはまってない部分があったから、家の中は外と同じくらい寒かったと思う。
なんと言っていいのかよくわからないけど、少なくとも長年親しくしてくれる人が近所にいてよかった。
ひとり暮らしの高齢者、適度な距離感でご近所とのおつきあいができるといいのかなと思うけど、ご近所づきあいって時間かけて信頼関係を築くものだから、今の世の中だとなかなか難しいのかな。いろいろ考えてしまう。
念のため