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「Blue」について、編集さんから(必ずしも否定的な言い方ではなかったけれど)「トランスジェンダー性や現実の問題を扱った作品ではなく、トランスジェンダーの登場人物が『出てくる』作品」「トランスジェンダーの物語ではないと批判される可能性がある」と言われたのはちょっとショックだったな。
トランスパーソンがただ「出てくる」話もたくさん必要だと思うけれど、わたしはかなり愚直にいまの、現実の問題を扱ったつもりだった。
トイレと公衆浴場の話をしないと決めていたのも抵抗のつもりだったから。

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その覚悟を持っているつもりだったのに、こうしている間にも苦しんでいる人たちがいて、なくなる人がいる、ということが、耐えがたくつらい。

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「Blue」書いてるとき、この一作ですべてが変わるなんて思ってません、だから書き続けますよ、と啖呵を切っておいて、すぐにでもこの状況を変えられない無力さが苦しくなっている。

上記の台詞は、編集さんに改稿を求められたときに言ったもの。
誤読される可能性があるので書き直してほしい、と言われたのだけれど、そこを「わかりやすく」書き直してしまったらトランスの人の生の多様さや複雑さが消えてしまうし、単純化されたステレオタイプなトランスパーソンを描くことは差別的な言説に力を与える、トランスジェンダーに対する偏見やデマが流布している状況で、すべての人に誤解なく「わかる」ものなんて書けないけれど、作品を世に出すことはその作品が読めるようになる土壌を作ることでもあるのだから、今すぐ全部はわからなくてもいいから書き続けますよ、と話したのだった。

映画『CLOSE/クロース』についてのトリガーウォーニング 

これは「自死」を扱った映画です。
死の詳細こそ描写されていませんが、映画のおそらく半分以上の尺を割いて、親友や家族を失った人たちの悲しみや無念、自責の念がリアルに描かれています。
また、幼い主人公が「親友が亡くなったのは自分のせいだ」と自分を責めるストーリーになっており(映画全体として、主人公にその死の責を負わせるようなつくりになっており)、観る人によってはかなりダメージを受けると思います。

AIにやってほしいこと、「画像にALTをつける」です。

Twitterにも上げたのだけど、こちらにも投稿するね。
気になってるけどどれから読んだらいいのかな〜という方のために、わたしの著書(単著のみ)まとめを作りました。
参考にしていただけたら幸いです。

「姫と人魚姫」の台本をフルで書いてみたい気持ちはある。

ますとどん、思考をメモするのにちょうどいい長さかも。
字数制限がないと延々と書いてしまって終わらないし、時間が取られすぎるので続けられない(日記などは、数日間事細かに書いてやめる)のだけど、140字はやはりあまりに短かったかもしれない。

『奇病庭園』における代名詞とジェンダーの話(ネタバレというほどではない) 

→『奇病庭園』の一部では「彼女(そのひと)」という代名詞を使っている。
これは「彼」ではなく「彼女」をデフォルトにして性別関係なく使えるようにしたものだけれど、この小説は複数の声で織り成されているので同じ語法を全体には適用できなかった。なので「彼女(そのひと)」と呼ばれているのは一人だけなのだけれど、その人物はトランスジェンダーなので、もしかして「トランスジェンダーは本当の女性ではないから『彼女(かのじょ)』とは呼ばない」というふうに読まれてしまうかもしれない……とちょっと心配になってきている。
このひと一人をそう呼ぶべきというより、このひとにとってのあるべき言語体系の片鱗としてこの代名詞を使っています。

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「いつか明ける夜を」では主人公の「少女」だけでなく「英雄」と呼ばれる人物も「族長」と呼ばれる人物も女性であることがいちおうわかるようになっている。けれどその社会では性別はあまり重要ではない。女性の登場人物も「かれ」と呼ばれている。これは古語では「彼」は性別関係なく使える代名詞だったから。

ただ、現代の用法での「彼」しか知らないと、人間のデフォルトが男性とされるのはそのままにして、女性をもそこに含めたように見えて、結局は男性中心主義的に感じられるのではないかと思って、→

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登場人物の性別の話を続けると、私は掌篇だと性別は特に決めていないことが多いです。
中短篇以上だと、作中の社会のジェンダー観から考えるのだけれど、ジェンダーそれ自体がテーマの作品でない場合は、読者の感覚から大きく離れていない西洋近代社会あたりをベースにしていることが多く、またジェンダーロールが人格形成に大きな影響を与えている人物がメインにいたりするので、性別を区別しない社会や性別のない種族には今のところあまりなっていない。だから登場人物に性別を割り振ることになるし、どの代名詞を使うかなどの問題があるので、そういうコンセプトの作品以外は性別を考慮することになる。でも「ジェンダーロールが人格形成に大きな影響を与えている人物」以外は別に性別がわからなくてもいいじゃない……と思う。

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今度出る『奇病庭園』は長篇であり連作掌篇でもあり、読者の頭の中で色々並べ直したり好きなところから読み始めて好きなところに飛んだりできる仕様なのでお気に入りです。

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この時の応募作を最近読み返して、「うわーやっぱりおもしろい!」という気持ちと「まあ読めるようには書いてないわね……」の気持ちが両方湧いてきているので可読性についてなど色々考える。
可読性が低くてもテクストの快楽によって引っ張っていけるようになれば解決するのかしら。

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あと、「登場人物の性別がわからない」と言われて、それは別にわからなくても……という気持ちと、でもわかるように書いてますけど……という気持ちが湧いてしまった。
本当は性別なんて決めたくなかったけど全員に性別を割り振ったんですよ……。
途中で性別が変わる人物は複数いるし、女性の登場人物の一人称が「乃公(おれ)」だったり、ステレオタイプ的には男性だと考えられやすい職業に就いている人が女性だったりはしましたが、それだけのことだし、性別がわからなくても別に困らないのではと思いました。
(落ちた新人賞の選評に文句を言うのもかっこ悪いかなと思うのだけど、落ちたことではなくて選評に納得行ってなくて……)

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それで「視覚」のエンデと「語り」のトールキンを比較して、若い世代の書き手には「語り」の意識がもっと必要だみたいなことを書かれていたのだけど、わたしもトールキン研究者のはしくれでして(審査員の先生もトールキン研究者なのだけど)……。
わたしの関心のあるのも「語り」で、トールキンへのリスペクトである種の偽典というか、偽の歴史書みたいな形式にしていて、出来事が語られて物語になっていくところを書いたんですよね。
複数の視点からの語りや複数のテクストがシャッフルして挟み込まれていて、語りが入れ子構造になっていて、誰が語っているのかよく読まないとわからないようになっていた。

まあ本格ファンタジイの賞の応募作で『冬の夜ひとりの旅人が』をやられても困るし、本格ファンタジイで映像が浮かばない語りを読まされるのはストレスフルだなということは今ではわかるのだけど、その読みにくさは関心が「語り」に偏っていることに由来しているので、この選評には納得いかないなと思ったのでした。

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しかし創元ファンタジイ新人賞で「何が起きているかわからない」と言われたのは可読性をほぼ無視した自分が悪いので文句はないのだけど、「読んでいて映像が浮かばない、ビデオゲーム世代の著者は頭の中にある映像をそのまま書けば読者に伝わると思っているのだろうが、文章には別の技術が必要だ」といった旨を書かれたのは納得が行っていない。
わたしはビデオゲームの類に一切触れずに育ったので……(それがいいとか悪いとかではなく)。おとなになってからスマホゲームは二種類やったことがあります、きせかえゲームと古代生物を進化させるゲーム。
当時20代だったからといって雑な世代論にされるのは嫌だったし的外れだった。
読んでいて映像が浮かばないのは、自分の脳内にある映像を読者に伝達することに興味がなく、ただただ文章でしかできないことをやりたかったから。登場人物の容姿とかは書きたくなかったからほとんど書かなかったし。『冬の夜ひとりの旅人が』の冒頭で、書き手が駅の描写に困って何度も書き直して、そのたびに駅の様子が変化していくところがあって、そんな気持ちだった。すでにある映像を言葉にするのではなく、何もないところから言葉で何かを呼び出していく(言葉が変わると景色も変わる)という。

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本格ミステリがうまく読めなくて、間取り図とか出てきた時点で「わからない……」となるし、「この時間にこの人がここにいることは不可能」みたいな推理がちっとも飲み込めないのだけど、とにかく現実の時空間が苦手な気がする。「同じ時間に一人の人が複数の場所に存在できない」とか、「時間は後戻りしない」ということがほんとうにはわかっていないのではないかしら。

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小説を書いていると、時系列を寸断してばらばらに並べて複数のテクストを挟み込むということをしがちで、「わかりにくいです」って言われて「はい……」って直すのだけど。
わたしは時間や言葉が単線的に一方向に進むということに納得が行っていないのかもしれない。
直線時間では生きていない気がするし、文章はもっと途中で分岐したり並走したり合流したりオーケストラみたいになってたりしてほしい。
なので、時系列順の文章を正解として提示するより、読者の頭の中で何度でも並べ替え直して、無限通りのありようを生きさせてほしい、ような気がする。
『石蹴り遊び』や『ハザール事典』みたいな形式が理想なのかもしれない。

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『ユリイカ』の奇書特集の依頼が来たとき、実はちょっと困ったのだけど。
「奇書」とか「難解」「読めない」と言われている本を読んで、「なんだ、読みやすいじゃないか」と拍子抜けした経験が割とあって(別に何でもするする読めるわけではなく、読めない本もいっぱいある)、自分の中に奇書という概念があまりないから。
むかし創元ファンタジイ新人賞に応募する小説を書いていたとき、ちょっと読みづらいかなーと思ったけれど、たまたま『紙の民』とか『ハザール事典』とかを読んで、やっぱりこれくらいやってても普通に読めるんだな、じゃあ余裕だなと思ってアクセルを踏み込んだら選評では「読みにくい」「何が起きているかわからない」と散々だった(実験的なことをやっても読めるようにするには高い技術なので、そこが
足りていなかったのだとは思う)。
読みにくかったり入り組んでたりする文章を読むのも書くのも好きという話なので、どんどん読みづらい方にアクセルを踏んでしまうという話です。

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