あと、保育園で他の子が「全然」を肯定文に用いていたのに対して「『全然』は『〜ない』っていう場合にしか使えない」と主張してその場にいる全員から「そんなことはない」と否定されて負けたり、姉が「AしたりBする」という言い方をしたのに対して「『たり』は『AしたりBしたりする』という使い方をしなくてはならない」と主張して「そんなことはない」と否定されて負けたりしていたのも興味深い。
これ、誰かに「文法的にこうだ」と教えられたわけではなく、それまで読んだり聞いたりしてきた言葉の集積から自然と法則性を導き出し、それに反する用例を聞いた時に初めて「それは違うはずだ、なぜなら……」という形で法則を意識化し言語化したのよね。
だから、みんなに「そんなことはない」と言われた時に根拠が出せずに負けたのだけど。
(「全然」は本来は肯定文にも使用されていたことは知っているので、その正しさをいま云々する気はなく、ただ現代の用法から法則性を無意識に導き出していたのが面白いという話です)
小学校低学年くらいの時、父と姉と近所を歩いていて、空き地に「⚪︎⚪︎不動産」という看板がかかっているのを見て「『不動産』って何?」と父に聞いたところ、「『不動』は動かないこと、『産』は財産のこと。反対の言葉として、『動産』、動く財産があって、持ち運べるお金とか宝石とかのこと。じゃあ動かせない財産って何だ?」とクイズを出され、見当もつかないので冗談のつもりで「おうち!」と答えたらまさかの正解で父も私もびっくりしたこと。当時、「おうち」や地面は大きくて動かせないものの代表であって、それを売り買いするなんて想像もできなかった。