保育園で「ママ」という言葉を初めて知った日の記憶があり(我が家では最初から「お母さん」と呼んでいた)、同じ時に容姿に対するあの二文字の罵倒語二種も初めて聞いた。どうもよろしくない文脈であったと思われる。
いま思うとそれ以前に「ママ」という語を一度も聞いたことがなかったとは考えにくいが、「今日は新しくその言葉を知ったぞ」と感じていた記憶があり、とにかくその日その語を初めて認識し、意味を習得したのであろう。
子育てをしている人の、「子供が初めて⚪︎⚪︎と喋った」といったSNSへの投稿を興味深く見ていたが、考えてみたらあの頃は内側からそれを見ていたのだった。親より自分の方が興味を持っていたと思う。
あと、保育園で他の子が「全然」を肯定文に用いていたのに対して「『全然』は『〜ない』っていう場合にしか使えない」と主張してその場にいる全員から「そんなことはない」と否定されて負けたり、姉が「AしたりBする」という言い方をしたのに対して「『たり』は『AしたりBしたりする』という使い方をしなくてはならない」と主張して「そんなことはない」と否定されて負けたりしていたのも興味深い。
これ、誰かに「文法的にこうだ」と教えられたわけではなく、それまで読んだり聞いたりしてきた言葉の集積から自然と法則性を導き出し、それに反する用例を聞いた時に初めて「それは違うはずだ、なぜなら……」という形で法則を意識化し言語化したのよね。
だから、みんなに「そんなことはない」と言われた時に根拠が出せずに負けたのだけど。
(「全然」は本来は肯定文にも使用されていたことは知っているので、その正しさをいま云々する気はなく、ただ現代の用法から法則性を無意識に導き出していたのが面白いという話です)