あと、保育園で他の子が「全然」を肯定文に用いていたのに対して「『全然』は『〜ない』っていう場合にしか使えない」と主張してその場にいる全員から「そんなことはない」と否定されて負けたり、姉が「AしたりBする」という言い方をしたのに対して「『たり』は『AしたりBしたりする』という使い方をしなくてはならない」と主張して「そんなことはない」と否定されて負けたりしていたのも興味深い。
これ、誰かに「文法的にこうだ」と教えられたわけではなく、それまで読んだり聞いたりしてきた言葉の集積から自然と法則性を導き出し、それに反する用例を聞いた時に初めて「それは違うはずだ、なぜなら……」という形で法則を意識化し言語化したのよね。
だから、みんなに「そんなことはない」と言われた時に根拠が出せずに負けたのだけど。
(「全然」は本来は肯定文にも使用されていたことは知っているので、その正しさをいま云々する気はなく、ただ現代の用法から法則性を無意識に導き出していたのが面白いという話です)
保育園のおもちゃに、木でできた球に赤や黄などのペンキを塗ったものがあったのだけど、その中に木の地肌はそのままでニスだけ塗ったものがあり、これは何色と呼んだらいいのだろう、木の色だから「木色」? いやそれでは「黄色」とかぶってしまうし、などと思っていたら他の子が何の気なしに「肌色」と呼んだので、肌色! なるほどこれは肌色と呼べばいいのか! といたく感心したこととか。
肌色という言葉は当然知っていたけれど、この言葉はこういう場合に使うのか、と新しい用例を知ることができて感動しました。
(いま「肌色」という言葉が使われなくなっていることに対して惜しむ気持ちは特にないです)