不当なことをしてるのは向こうなのに何故こっちがSNSから離れなきゃいけないんだ、向こうが出て行くべきだというのはまったく正しい。私が「離れて」と呼び掛けるのは、それが倫理的に正しいからではなく、これ以上死者が出るリスクを減らせる有効な手段だと思うから。
残念ながらと言うべきか、こういう時に性的マイノリティがどのようにショックを受け、どのような行動がそれを悪化させてしまいがちなのか、私たちはあまりにもよく知っている。
SNSに張り付かずにいられなくて、むごい言葉をわざわざ大量に浴びてしまう当事者の姿が非常に容易に想像がつく。そしてたぶん、若い当事者であればあるほど、そうなりがちであることも。
かつて自分がそうであったり、友人がそうであったり、その結果亡くなってしまった経験を多くの当事者がもっているから。
だから、ほとんど反射的に、逃げろ!ここに逃げろ!今夜を乗り越えろ!と次々に対処法が思い浮かぶ。その対処が論理的に本来の正義とは違っても、ひとまず一夜を乗りきらなければ正義について議論する相手がいなくなってしまいかねないから。
良心や責任感というよりは恐怖心から、まず身を守れと叫ぶ。
かほう(ちょっと変換でないんだが)と社会への怒り
驚きはない。「常に」「存在自体を否定」されたり、性別二元規範や家父長制を押し付けられるわけだから。少なくとも私は、毎日いきるかしぬか諦めるか諦めないか、そのギリギリのラインでたたかっている。未来のある選択を自分のためにできるようにと、いつもぎりぎりだ。私は私らしく生きたい、でも、それを大きく残酷な力で、無自覚にねじ伏せられる。そんなことばかりそれでも瓦礫の下から這いつくばって毎日いきてる
りゅうちぇるが離婚した時の投稿についた誹謗中傷は、私の心臓に突き刺さる様な言葉ばかりだった。本人たちの誠実な話し合いの結果の報告なのに、家父長制からはずれた新しい家族の形は、りゅうちぇるの人格否定という形で全否定されていた
外野から見るのでさえ、こんなに苦しかったのに、その刃を直接無数に突き立てられた本人が、活動を続けてきた事自体、私には奇跡みたいな光だった。もしあの言葉が私の身に降りかかっていたら、私なら二度と立ち上がれない。それだけの心の殺人はもうすでに無数に、無限に、行われていたと私は認識している
悔しい、悲しい。怒り。
可哀想だねで終わらせたら許さない。社会は人権意識を今すぐにアップデートするべきだ。マイノリティが受けている理不尽の数々はマジョリティの責任だ
「インターネットを閉じよう」「いまはSNS見るのやめた方がいい」
それはその通り 対応として間違いではないのだが
本来的には途方もない理不尽なので、賢いやり方みたいなもしくは親切みたいな体でアドバイス風に言われたり、そうするのが当たり前の対応みたいに発信されるのを見てしまうと、やり切れなさがある
リアルでは片時も息をつげず見せられない自分があり、
言えない言葉があり、
話せる相手がおらず、
だからこそインターネットで、やっとどうにかSNSだったわけでしょ
別に全員とは言わないけどそういう人たちはいるし特に制限の圧倒的に多い若い人たち学生立ち子どもたちにとってはますますでしょ
リアルに場所を見つけずらくて、インターネットからも逃げなきゃいけなくて、じゃあどこに行ったらいいんだよっていう
どこにも居場所無くなっちゃうじゃん
それでも一度引っ込まないと危険な状態なんだから引っ込むしかないわけだけど
引っ込むには引っ込むで そういうのっぴきならない寄る辺のなさや切実さがあることは、言いたくはあるよ
インターネット閉じるしかない、sns見ないでいるしかない、そうするしかできない理不尽への怒りはあるんだよ
誹謗中傷と命が失われること
あのすてきなひとの死の原因は語られていない 明かされていないから、これはあの人のことではなく一般論として書きたいんだけど
誹謗中傷により追い詰められ生きることが続けられなくなってしまった人がいたとき、
それは本来自死ではなく「殺された」と言うべきところと思います
誹謗中傷により殺されました
勝手に死んだのではない。
失われてしまったのではなく、奪われたの。
殺した人たちをせめてきっちり罪に問えるしくみがないと反省や更生を促すことすらできない
トランスジェンダーへの「排除」や「差別」について改めて考えるために、原則的なところから議論を組みました。長いので読むのに時間がかかると思いますが、よければ読んで、拡散してください。記事の後半では、その原則的な議論を、公共の場におけるトイレのあり方に応用して、目指すべき未来についてわたしなりに説いています。本当はトイレの話なんかしたくないけれど、どこへ行ってもさせられるので、1回もう全部文章にしようと思いました。よろしくお願いします。
https://yutorispace.hatenablog.com/entry/2023/05/17/012332
そして思い出してみて気付いたのは、
私は同僚や上司に傷つけられたし、利用者さんに傷つけられたこともあったし、一生懸命できる限りのことをして努力していたということ。
パワハラ・いじめは退職の直接の原因だったから概要は覚えていたし、傷ついた自覚もあったけど、それだけじゃない言語化できない部分とかも色々あったことを思い出せた。
利用者さんから傷つけられたことはいくつか覚えていたこともあるけど、未だにぼんやりとしか思い出せない事もあって、当時は「こんな事で傷つかないぞ」「相手は認知症があるんだからしかたない」とかで、自分の傷付きを認められずにいたことに今回気付けた。どういう背景であれ、私が傷ついた事には変わりがないのだから、その事実を受け止めることができて良かった。
そしてどうすれば回避できたのか、私の落ち度はなんだったのかをすごく考えてきたけど、やっぱり当時は当時なりに全力以上に努力していたと思うので、あの件に関して、強く自分の未熟さを意識しなくていいのではないかと思えた。
今後同じ轍は踏まないように工夫するけど、そのために当時の私の努力を否定する必要はないと今では思っている。
この前の夜中、なかなか寝付けないときにふと、思い出せなかった介護職時代のことを色々思い出した。
介護職時代はパワハラ・いじめにあって色々あって退職したので、あまり積極的に思い出そうとしてなかったんだろうと思う。
利用者さんの顔や名前、どんな人だったか、どんな風に接してもらっていたか、どんな言葉をかけてもらったか。施設の構造ややっていた仕事内容。どんな同僚・上司がいたか。どんなフォローをしてもらったか、どんな嫌がらせを受けたか。どんな気持ちで仕事をしていたか、何を考えてどう行動していたか。
しんどかったこともフワッと思い出したし、あたたかく接してもらったことも思い出して、総じて思い出せて良かったなと思う。
まぁ私の親が挟まってくるのは、多分私の親の押し売り善意がほとんどなので、私がモヤらなくてもいいことなんだけどね。
ここの家庭の親には別件で地雷を踏み抜かれたことがあって、なるべく疎遠にするようにはしてるんだけど、そのこども達には罪がないし可愛く思っているので最低限のことはしてあげたいし、血筋の距離的に等距離にあるほかの家庭とのバランスもあるので、ほそぼそと付き合いがある感じ…。
多分、先方には私の地雷を踏み抜いたことは伝わってない。…とはいえ、だいたいの人は地雷になる事柄(「お前が生まれなければこんな不幸はなかったのに」というような事)だとは思うので、それが分からないというところがまず私と相容れないですね。いくら追い詰められてても言っちゃいけない言葉はあります。
この地雷事件は私の親にも、疎遠にしたい旨も添えて伝えてはあるんだけど、多分根本では理解できてないね(笑)
その辺りの価値観の相違と過干渉で私は親とも一時期疎遠にしてました。今は適度な距離かな
ちなみにその件の親族の家庭とは、ほかにもちょこちょことある。
飽きてやらなくなったゲーム機を実家に置いていて、年下の親族たち(ほかの親族家庭の子も含む)も遊びたいようなので好きにさせてた。物も放置されるより誰かが使ってくれた方がいいだろうと思っているし。
そのうちそのコントローラーを持ち帰りたいというので、使ってないしどうぞと言った。いつの間にかその件の家庭のもののようになっていた。(細かいやりとりは覚えていないので、もしかしたら譲ると言ったかもしれない。だとすればこの件でモヤモヤするのは筋違いかも)
ほかにも今使っていないものや要らなくなった物など、時にこちらから声をかけて・時に先方からもし良ければと打診されて、その家庭にいくつか譲っている。都度お礼の言葉はあり、基本的には不要物であるものの、ほぼ毎度こちらが譲る側になっているのにモヤる。そしてこのやりとりに私の親を挟んでくること(物の運搬を私の親がする等)が多いので、よりモヤる。
私がこどもの時分にその家庭の親からはお下がりを貰っているのでそれでトントンと先方は思っているかもしれない。
しかし私からすると当時要らないもの(趣味ではない衣服など)を大量に渡されて、一応全て目を通して、分別処理をしていたのは結構負担だったので、全くトントンじゃない。
ふと、親族について思い出してブルーに…。年末年始、お盆はこうなりがち…。
年下の親族に私のコレクション(コミックス)の一部である帯を事故でぐしゃぐしゃにされてしまったことがあった。わざとではなかっただろうし、その時怒ることもしなかった。
それをきっかけに帯を本体とは別に保管するようにしてたけど、それは今度親に「いるの?これ」と何度も確認されてどうでも良くなって全部捨てたな…ってのも思い出した。(まぁ、これは自分の部屋に収まりきらなかった分なので仕方ないといえば仕方ない。でもそのスペースを使っていいか確認して許可をもらって置いていたので、そこに置くものの中身に口出しされるのは不服ではあった)
コミックスの表紙と一体化したデザインの物とかかなり気に入ってたのもあったのにもったいない事したなぁ…と。
もう今は新規購入はほとんど電子にしてる。。
今になって、あれらはやっぱり一言申しても良かったよなと思うなどした。
私はノンバイナリー(私の場合は基本、女性でも男性でもある)でジェンダーフルイド、パンセクシャル。法的な既婚者でパートナーはシスヘテロ男性。本来的にはポリアモリーだが、現在はモノガミーとして生活している。
反戦、反貧困、反差別、野良のフェミニスト。ベーシックインカム推し。
IT系の会社員。(福祉系大学卒、接客系・工場系勤務経験あり)
定型発達とは少しズレがあり、周期的に心身の調子を崩している(電車・人ごみ苦手)。元ひきこもりで、現在四分の一ひきこもり。
主にマンガのオタク(浅く広く)。
政治・社会・科学技術などのトピックスへの関心が高め。
祭り好き(祭祀ではなくイベントとしての)。
信じているもの・ことはたくさんあるけど、まだまとめて言語化できてない。
ヘッダーのALT、道端に咲いていた福寿草の花の写真
アイコンのALT、ハナミズキの花の写真