かほう(ちょっと変換でないんだが)と社会への怒り
驚きはない。「常に」「存在自体を否定」されたり、性別二元規範や家父長制を押し付けられるわけだから。少なくとも私は、毎日いきるかしぬか諦めるか諦めないか、そのギリギリのラインでたたかっている。未来のある選択を自分のためにできるようにと、いつもぎりぎりだ。私は私らしく生きたい、でも、それを大きく残酷な力で、無自覚にねじ伏せられる。そんなことばかりそれでも瓦礫の下から這いつくばって毎日いきてる
りゅうちぇるが離婚した時の投稿についた誹謗中傷は、私の心臓に突き刺さる様な言葉ばかりだった。本人たちの誠実な話し合いの結果の報告なのに、家父長制からはずれた新しい家族の形は、りゅうちぇるの人格否定という形で全否定されていた
外野から見るのでさえ、こんなに苦しかったのに、その刃を直接無数に突き立てられた本人が、活動を続けてきた事自体、私には奇跡みたいな光だった。もしあの言葉が私の身に降りかかっていたら、私なら二度と立ち上がれない。それだけの心の殺人はもうすでに無数に、無限に、行われていたと私は認識している
悔しい、悲しい。怒り。
可哀想だねで終わらせたら許さない。社会は人権意識を今すぐにアップデートするべきだ。マイノリティが受けている理不尽の数々はマジョリティの責任だ