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白江幸司 さんがブースト

都市設計が失敗しててどこ行っても激混みの渋谷で比較的空いてて、椅子が変なスツールじゃなくちゃんと背もたれがあって、滞在時間制限がないカフェと、無料で滞留できる椅子ありフリースペースをまとめました。シティボーイ・シティガール・シティノンバイナリーの皆さんの知恵も募集しています。

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フーコー的に言説空間の権力をガンガン掘り進めていると聞く、松浦寿輝『明治の表象空間』を先に読むか?とも思ったが、この岩波のシリーズは並行して読むのもいいかなと。

岩波が備えるエスタブ政治経済部門っぽいシリーズかな〜、こいつらの論陣を仮想敵に据えて考えればいいのか〜?とか最初思ったら、論文によってはスピヴァック使ってたりして、お?となった。エスタブ寄り/そうでもない、の度合いは論者ごとにばらばらか。

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この機に、経済学史における渋沢栄一論を読んでおくかと、島田昌和「経済立国日本の経済学 渋沢栄一とアジア」、『岩波講座 「帝国」日本の学知2 「帝国」の経済学』(杉山伸也 編、岩波書店、2006)を借りてきた。
iwanami.co.jp/book/b476350.htm

忍者と極道の近藤信輔が木多康昭のネタっぽさと同一視されてるのさすがにかわいそう。近藤にはもうちょっと自覚的な反右翼路線の社会風刺の要素あると思うが…。でも商売の仁義上、「作品で語るにとどめ、(木多や暇空などをめぐる)旗色を示さないで流す」は大いにありうるな。

これはむしろ積極的に展開させるべき摩擦だ、と捉え直すことも可能で、何らかの信徒である限り、日本的ホラーのコードは逆に「信仰に無自覚な異教的説話の産物」に映る、という反転が起きるのかもしれない。

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従前から人と話し合っていた、ホラーや怪談における欠点に「明らかなカルト差別とカルト嫌悪を面白半分に混ぜてくるのでろくでもない」というのがあるんだが、それと同様に、伝統宗教側もまた宗教関係者にとっては、日本社会の共同体VS宗教共同体の摩擦が潜在していて、あくまでも日本社会の末端でしかない心霊やホラーのふるまいが、侮辱や簒奪と地続きという話なんだろうな。
簡単にまとめると、潜在的に宗教共同体とホラーは敵対関係にあり、ホラーの中で出てくるからって仲良いわけじゃない、という。

100兆ジンバブエドルの字面と石のインパクトで相殺されて感情が行方不明になるやつ。
石なのは「1円にも満たない貨幣価値」だからなのか…。

“私が大好きな100兆ジンバブエドル紙幣は「石」ですね。石。
nozakicoin.jp/products/7195445

x.com/hi_doi/status/1808899665

(竹田恒泰の関与した令和書籍の教科書のみならず)こういう左派によるオルタナティブ教科書の線もかつてあったのかー。

“検定不合格というと歴史教科書(書家永裁判とか新しい歴史教科書運動)が思い浮かびますが、倫理にもあったとは知りませんでした。編者は久野収!

編集コンセプトや不合格の経緯がおもしろいです。

「「倫理・社会」の教科書が例外なく大学教授だけによって書かれすぎる現象を不満に感じていた」

第1版が検定を通過すれば「石牟礼道子、森崎和江、井上ひさし、永六輔、寺山修司、佐藤忠男、羽仁進、太田省吾」に執筆を依頼するつもりであったとのこと。

この幻となった教科書を読んでみたい!”

x.com/i_hug_sea/status/1809106

だがこの階級的条件はすでに崩れているため、若い世代はかつての小金持ち規範に共感性が低いだろう。ここで見ると、ウェブトゥーンやなろう、ウェブ漫画のトレンドはロウブラウが再導入される経路となっていることや、それらに見られる限界生活要素(逆位置にセレブ羨望や成り上がり羨望も見られる)やある種の安っぽさを湛えた作品が顕揚されるのは、ミドルブラウ基準へのカウンターや別のリアリティの誇示といった射程からも考えられる。

「オタクコミュニティが愛する20世紀末〜現代のミドルブラウの指標・達成」作品の系譜もあるのだが、ルックバックは貧困や安っぽさの見せ方次第でさらにズレる現代性を発揮する?余地も発見されうるかもしれない。

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ミドルブラウというのは、別文脈ではキッチュの別名(グリンバーグはエリオットやウルフらのハイブラウに立脚しミドルブラウを拒否する言説の延長でキッチュを論じていた)。また、20世紀美学は、「ミドルブラウの中途半端さをハイブラウとロウブラウの両方の達成のもとで厳しく査定する」という面があった。

他方、オタクコミュニティにはロウブラウを手中に収めつつ、ミドルブラウまでの達成で留めるべき、ハイブラウは排除すべき、とする抑圧体制もある。いまではオタクファンダムは「かつての20世紀末日本までの中産階級的なミドルブラウカルチャーの厚み」を代替する秩序となっており、暗黙にミドルブラウ規範を志向している。「国民的」文化であることをしきりに誇るのは示唆的だ。また、ミドルブラウ規範の線で考えると、オタク類型を長らく一昔前の「小金持ちの子供」を下敷きにしていたことも整合する。

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だとすると、「自らロウブラウ化してしまうと、案外許せる」になりうる。

私の「マイクラもののフィクションと同じ認知になると怒りは湧かない」はその筋での解釈だな。 fedibird.com/@ttt_cellule/1123 [参照]

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アーティスト神話ものは「日本的ミドルブラウ適応っぽい何か」の臭みを放ってるんじゃないか?と思う

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ルックバックと細田守のうさんくささや疑義をみんな言いがちなのは「ミドルブラウのオーラを放つとそれを褒める自動性がきもい」とか「これ、ロウブラウなのにミドルブラウ扱いされてね?」とかが絶対に混ざってるんだが、そういう語彙が確立されてないから、倫理的な不備を突く言葉ばかりが跋扈してる。
すべては「文化と階級」の問題系が消去されているからだと思う。

境界のイメージを言うなら、神社と寺の立地の差を言うべきだろうな。山中や町外れの大きな敷地をもってるのが神社で、街に1個か2個、寺はより数がバラけていて町中にある。なので寺のほうが共同体に密着してるし、地域によっては月命日ごとの仏壇参りもあるだろう。

そういう習俗と共同体の一切合財を国内心霊の話法は一旦キャンセルしてる面がある。

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まず愚直に、寺も門と敷地がはっきりしてるので神社と寺でいうほどの差はないだろう、強いて言うなら地域によっては、神社のほうが敷地面積が大きい傾向があるのか?とか思った。なので境界イメージ説はかなり怪しい。

巫女とお祓いの棒とかのセットでポピュラーカルチャーおよびスピリチュアル系に受けてる、というおそれがある。

さらには、仏壇や住職のお参りなどが生活の儀礼や共同体に結びつきやすいから、日本の心霊ネタ(やスピ系)の運用ではそうした生活延長感を一旦切断させるために、神社と神道が手っ取り早かったのか?とも思った。

ただ、寺から避けがちなのは日本のインテリ文化も同じか。

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この引用ツイートの擬似的ツリーで語られている、寺と神社の使い分けは結構気になるな。お祓いの常套手段は寺なのに。
まあ現代人の右派っぽい神道フェチのせいだろで片付きそうでもある
x.com/yoshidakaityou/status/18

何かの寓話みたい

“何だこれ?
DLC用に作ったキャラ、そろそろ本編も終わらせようと大釜向かってたら、大量の血痕が。今どき大釜に間違って飛び込む人がこんなにいるのかーと思ってたら、皆空中にある謎メッセージに突撃してた。
一時期空中に乗れるバグでもあったのか?好奇心旺盛なフロム民が吸い込まれていく…”

x.com/913kousatu/status/180921

ミドルブラウへの反発ってこれがわりと似てるな。

“私ある時期ニコ動でポップソングに「ここ好き」と付けられたタイミングに傾向がないだろうかと気にしていたのだが、特に和声的な技巧に固まっているとかはなく、敢えて言うならメロディの最高音付近に集まっていることに気づいてしまい、やめた。”

x.com/rootsy/status/1808141538

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