クラファンから始まる日本の圧倒的無惨さよ。https://ascii.jp/elem/000/004/168/4168424/
未確認飛行ハイパーオブジェクトの思弁?https://x.com/JayCKing78/status/1722009466764222611?s=20
「日本では“公共交通”を民間企業のビジネスとして運営している世界でも珍しい国で、高度経済成長の時代はそれで成り立っていたが、人口が減少した今は”ビジネス”として成り立たなくなっている。全国の路線バス事業者のうち黒字を出しているのは6%ほど」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b6f7a453eb779c8f080785c4201ad9002cb49972
紺碧の艦隊の表紙艦隊絵を書いた安田忠幸は1954年生まれで、30代以降は艦隊絵職人キャリアで固定されてそのままずっと歩み続けているんだが(01年頃にこんな画集が出ているし、2010年代は大石英司の小説の表紙絵・挿絵で仕事をしている。 https://www.amazon.co.jp/dp/4120031055?ref_=cm_sw_r_cp_ud_dp_40G39V59WS7V7QM4H3Q6 )、00年代ぐらいに安田忠幸の与える「こういう古めかしいコテコテジャンルあるよなあ」という印象は、現在の古い美少女絵+物々しいSF設定風景のイラストのシロマサとほとんど変わらんよな、と。
今年7月の士郎展のポスターをみてそんなことを思った。https://natalie.mu/comic/gallery/news/529892/2086790
そういうふうに考えていたところだったので、攻殻機動隊公式サイトの士郎正宗ロングインタビューは、荒巻義雄シミュレーション路線の漫画における継承者が士郎である、という示唆があった。
(まあそもそも猿似の部長・荒巻大輔が荒巻義雄オマージュの命名キャラだと推察されるし、これらはリアタイのファンでは常識なんだろう)
https://theghostintheshell.jp/news/shirow-masamune-interview
ライフゲームと日経サイエンスの摂取を強調している点がシミュレーション要素。と同時に、日経を媒介することで日本の財界の思惑やイデオロギーも混入するはずで、しかしそれを意識しない無邪気さもかつての荒巻に近い。言うまでもないことだけど、この界隈のミリオタ知はだいたい反左翼イデオロギーが強い。
『別巻』にはこのメンバーの座談会が収録されているのだが、シミュレーションだから中立的です、米ソの言ってることはイデオロギーです、といった素朴な主張が繰り出されまくっている。(この種の発言に隙が露骨に見えるから、現在の再評価で回避する人が多いんだろうが、別の捉えかえしで包摂したほうがいいと思う)アホすぎるのでは
あと、荒巻は想定読者市場をウォーシミュレーションゲームのファンに置いているのも今や興味深い。コーエイの戦争ゲームとか大戦略の時代だなと。
除去作戦とは別解釈を推進するなら、仮想戦記こそが日本型ポストモダン小説だった?!とした方がよさそう。座談会では、新本格ミステリもシミュレーションでは?とか言われている。リンダ・ハッチオンがヒトリオグラフィー小説の展開でもってポストモダンフィクションとした手続きと並行的に思える。
冷戦崩壊と90年代のポスト冷戦秩序の開始期における世界認識の模索、それとサラリーマンがノベルス小説を山程読む時代、日本最強感覚の翳りを見せつつある頃の産物なんだろうなといった洞察が進む。
また、ディック『高い城の男』、アトウッド『侍女の物語』を頂点とする、冷戦期~ポスト冷戦期において歴史改変SFがいかに巨大な裾野を持っていたかということについて考えさせられる。バイオレンスジャックも北斗もAKIRAもアップルシードもわりと全部歴史改変SFじゃん、と気づいてしまった。この枠は、いまでは失われたように思われるが、現実をフィクションで上書きするというプリミティブな欲望をくすぐるんだろうなーと。歴史を作品で操作できるというのが魅惑か。
石田圭子さん、本を出すのか。
『ナチズムの芸術と美学を考える 偶像破壊(イコノクラスム)を超えて』(三元社)
国連職員殺害て。とんでもないことが平然と起きてるな…。
https://x.com/unic_tokyo/status/1718039983997833281?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
アートフォーラム誌のオープンレターは日本語コミュニティ内でも扱われるべきとおもい、翻訳しました。
https://x.com/tenjuu99/status/1718163927912391138
あまり書き物ができてない。