冷戦崩壊と90年代のポスト冷戦秩序の開始期における世界認識の模索、それとサラリーマンがノベルス小説を山程読む時代、日本最強感覚の翳りを見せつつある頃の産物なんだろうなといった洞察が進む。
また、ディック『高い城の男』、アトウッド『侍女の物語』を頂点とする、冷戦期~ポスト冷戦期において歴史改変SFがいかに巨大な裾野を持っていたかということについて考えさせられる。バイオレンスジャックも北斗もAKIRAもアップルシードもわりと全部歴史改変SFじゃん、と気づいてしまった。この枠は、いまでは失われたように思われるが、現実をフィクションで上書きするというプリミティブな欲望をくすぐるんだろうなーと。歴史を作品で操作できるというのが魅惑か。
『別巻』にはこのメンバーの座談会が収録されているのだが、シミュレーションだから中立的です、米ソの言ってることはイデオロギーです、といった素朴な主張が繰り出されまくっている。(この種の発言に隙が露骨に見えるから、現在の再評価で回避する人が多いんだろうが、別の捉えかえしで包摂したほうがいいと思う)アホすぎるのでは
あと、荒巻は想定読者市場をウォーシミュレーションゲームのファンに置いているのも今や興味深い。コーエイの戦争ゲームとか大戦略の時代だなと。
除去作戦とは別解釈を推進するなら、仮想戦記こそが日本型ポストモダン小説だった?!とした方がよさそう。座談会では、新本格ミステリもシミュレーションでは?とか言われている。リンダ・ハッチオンがヒトリオグラフィー小説の展開でもってポストモダンフィクションとした手続きと並行的に思える。
紺碧の艦隊の表紙艦隊絵を書いた安田忠幸は1954年生まれで、30代以降は艦隊絵職人キャリアで固定されてそのままずっと歩み続けているんだが(01年頃にこんな画集が出ているし、2010年代は大石英司の小説の表紙絵・挿絵で仕事をしている。 https://www.amazon.co.jp/dp/4120031055?ref_=cm_sw_r_cp_ud_dp_40G39V59WS7V7QM4H3Q6 )、00年代ぐらいに安田忠幸の与える「こういう古めかしいコテコテジャンルあるよなあ」という印象は、現在の古い美少女絵+物々しいSF設定風景のイラストのシロマサとほとんど変わらんよな、と。
今年7月の士郎展のポスターをみてそんなことを思った。https://natalie.mu/comic/gallery/news/529892/2086790
荒巻義雄のいうシミュレーションの背景もウォーシミュレーションとゲームなんだろうなー。
https://twitter.com/utumiyayu/status/1758813841105027579?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
仮想戦記ジャンルは孤立的に捉えると間違ってしまうもので、『無責任艦長タイラー』の吉岡平が、同時に架空戦記『北海の堕天使』なども書いている。それを考えると、ノベルスで架空戦記、ラノベでOVA準拠っぽい物語(90年代ラノベはだいたいそう)を書き分けるのは、年齢別の調整だったという話になる。