『別巻』にはこのメンバーの座談会が収録されているのだが、シミュレーションだから中立的です、米ソの言ってることはイデオロギーです、といった素朴な主張が繰り出されまくっている。(この種の発言に隙が露骨に見えるから、現在の再評価で回避する人が多いんだろうが、別の捉えかえしで包摂したほうがいいと思う)アホすぎるのでは
あと、荒巻は想定読者市場をウォーシミュレーションゲームのファンに置いているのも今や興味深い。コーエイの戦争ゲームとか大戦略の時代だなと。
除去作戦とは別解釈を推進するなら、仮想戦記こそが日本型ポストモダン小説だった?!とした方がよさそう。座談会では、新本格ミステリもシミュレーションでは?とか言われている。リンダ・ハッチオンがヒトリオグラフィー小説の展開でもってポストモダンフィクションとした手続きと並行的に思える。
そういうふうに考えていたところだったので、攻殻機動隊公式サイトの士郎正宗ロングインタビューは、荒巻義雄シミュレーション路線の漫画における継承者が士郎である、という示唆があった。
(まあそもそも猿似の部長・荒巻大輔が荒巻義雄オマージュの命名キャラだと推察されるし、これらはリアタイのファンでは常識なんだろう)
https://theghostintheshell.jp/news/shirow-masamune-interview
ライフゲームと日経サイエンスの摂取を強調している点がシミュレーション要素。と同時に、日経を媒介することで日本の財界の思惑やイデオロギーも混入するはずで、しかしそれを意識しない無邪気さもかつての荒巻に近い。言うまでもないことだけど、この界隈のミリオタ知はだいたい反左翼イデオロギーが強い。
紺碧の艦隊の表紙艦隊絵を書いた安田忠幸は1954年生まれで、30代以降は艦隊絵職人キャリアで固定されてそのままずっと歩み続けているんだが(01年頃にこんな画集が出ているし、2010年代は大石英司の小説の表紙絵・挿絵で仕事をしている。 https://www.amazon.co.jp/dp/4120031055?ref_=cm_sw_r_cp_ud_dp_40G39V59WS7V7QM4H3Q6 )、00年代ぐらいに安田忠幸の与える「こういう古めかしいコテコテジャンルあるよなあ」という印象は、現在の古い美少女絵+物々しいSF設定風景のイラストのシロマサとほとんど変わらんよな、と。
今年7月の士郎展のポスターをみてそんなことを思った。https://natalie.mu/comic/gallery/news/529892/2086790
荒巻義雄のいうシミュレーションの背景もウォーシミュレーションとゲームなんだろうなー。
https://twitter.com/utumiyayu/status/1758813841105027579?s=46&t=5mSltbi1UVoy9J3RPXDKUQ
この箇所は、「国際関係論の議論をそのまま放出できるのが仮想戦記ですよ」だな。そしてそういうジャンルフィクションは希少性があった、というのが冷戦&ポスト冷戦期なんだろう。
日米関係に関するくだりは、このジャンルが反米愛国要素と不可分になりうることを示唆しつつも、人によって判断が分かれそうだとも思わせる(たとえば東京裁判への性急な疑義はなしだが、湾岸戦争に対する疑義はあり、とか)。