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だとすると、「自らロウブラウ化してしまうと、案外許せる」になりうる。

私の「マイクラもののフィクションと同じ認知になると怒りは湧かない」はその筋での解釈だな。 fedibird.com/@ttt_cellule/1123 [参照]

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アーティスト神話ものは「日本的ミドルブラウ適応っぽい何か」の臭みを放ってるんじゃないか?と思う

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ルックバックと細田守のうさんくささや疑義をみんな言いがちなのは「ミドルブラウのオーラを放つとそれを褒める自動性がきもい」とか「これ、ロウブラウなのにミドルブラウ扱いされてね?」とかが絶対に混ざってるんだが、そういう語彙が確立されてないから、倫理的な不備を突く言葉ばかりが跋扈してる。
すべては「文化と階級」の問題系が消去されているからだと思う。

境界のイメージを言うなら、神社と寺の立地の差を言うべきだろうな。山中や町外れの大きな敷地をもってるのが神社で、街に1個か2個、寺はより数がバラけていて町中にある。なので寺のほうが共同体に密着してるし、地域によっては月命日ごとの仏壇参りもあるだろう。

そういう習俗と共同体の一切合財を国内心霊の話法は一旦キャンセルしてる面がある。

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まず愚直に、寺も門と敷地がはっきりしてるので神社と寺でいうほどの差はないだろう、強いて言うなら地域によっては、神社のほうが敷地面積が大きい傾向があるのか?とか思った。なので境界イメージ説はかなり怪しい。

巫女とお祓いの棒とかのセットでポピュラーカルチャーおよびスピリチュアル系に受けてる、というおそれがある。

さらには、仏壇や住職のお参りなどが生活の儀礼や共同体に結びつきやすいから、日本の心霊ネタ(やスピ系)の運用ではそうした生活延長感を一旦切断させるために、神社と神道が手っ取り早かったのか?とも思った。

ただ、寺から避けがちなのは日本のインテリ文化も同じか。

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この引用ツイートの擬似的ツリーで語られている、寺と神社の使い分けは結構気になるな。お祓いの常套手段は寺なのに。
まあ現代人の右派っぽい神道フェチのせいだろで片付きそうでもある
x.com/yoshidakaityou/status/18

何かの寓話みたい

“何だこれ?
DLC用に作ったキャラ、そろそろ本編も終わらせようと大釜向かってたら、大量の血痕が。今どき大釜に間違って飛び込む人がこんなにいるのかーと思ってたら、皆空中にある謎メッセージに突撃してた。
一時期空中に乗れるバグでもあったのか?好奇心旺盛なフロム民が吸い込まれていく…”

x.com/913kousatu/status/180921

ミドルブラウへの反発ってこれがわりと似てるな。

“私ある時期ニコ動でポップソングに「ここ好き」と付けられたタイミングに傾向がないだろうかと気にしていたのだが、特に和声的な技巧に固まっているとかはなく、敢えて言うならメロディの最高音付近に集まっていることに気づいてしまい、やめた。”

x.com/rootsy/status/1808141538

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この提案はなるほど。

“BL映画やBLドラマにインティマシーコーディネーターを起用してほしい。切実に。BL映像好きの切なる願いです。
日本のBL映像作品にはヘテロセクシュアルの俳優さんが多く起用されている現状です。自分のセクシュアリティと違う役の演技をしなくちゃいけないの、正直つらいと思うんだ。”

x.com/yanagase_mai/status/1809

こういう人いるのね。山本浩貴と美術手帖ブラックアート特集の共同監修をした人。

"中村融子

アフリカ現代美術を起点に、美術の脱植民地化、脱-西洋中心化について研究しています。博士研究は、美術と工芸の境界の遷移について、陶磁・陶芸を軸に、地域の視点で美術史を複数化するという内容でした。
ベナン(コトヌ、アボメ、ポルトノボ…)フランス(パル、ラ・ボルヌやサン=タマン=ピュイゼイユなどの窯業地)日本(信楽、備前)でフィールドワークを行っています"

ottk128.notion.site/58790d175b

天原、ネウロ信者かー。「ネットでアングラとして受ける露悪はだいたいジャンプ露悪作品の派生として生まれる」説がまさに該当するなあ。

x.com/fukuikosihikari/status/1

疲れると思考もぐんにゃりするのだ

わっはっは! 疲れが溜まりきっていたが、一眠りしたので回復したのだ!

東浩紀の暇空への間接支援的言及、「保守論壇人にとっての日々の儀礼」か。ああいうことをして想像上の国体をメンテしないといけないというマインドなんだろうな

私は人がなんとなく持ち込んでしまう「作品性」の高低、大小、といった評価基準を、意識的に「外す」のをうまく言語化すべきなんだろうなー。

この評価基準では作品性が高いものが良いものとされる。そして同じ原理でエンタメはミドルブラウを上限にしがちになるのだが、私はそこを逆撫でするために、「この作品は、逆に作品性が乏しいのが際立ってる」といった評価をたまにやる。

作品性を高める評価基準の補助線そのものを人はあまりもってないから、大抵は文学愛好者の型にぐいぐい引っ張られて、「日本文学の秩序」を延々再生産しがちになるのもあるな…。

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