マンツーマンで何かを伝授する場合、パワハラっぽくなるトリガーは山ほどあるから、結局のところ、数人規模ぐらいの一定の集団のなかで人は学んだ方が効果的なのもあるなー。在野だろうと大学だろうと、教える・学ぶ関係はわりと暴力の温床になる。
一対一だと、自分ー相手の二者関係のなかで、「自分に足りないもの」の把握を誤ってしまうことが増える。無いなら無いなりにしのいだり、組み立てるめどが掴めなくなったり。そのへんは集団の生態を観察しながら学ぶと、目処がつきやすい。
そういう意味で、プロとアマチュアが混ざる読書会とか勉強会とかがグラデーションが幅広く成立する(のでいろんな人が入る余地がある)場所ってことになりやすい。
これで川勝失言録を知ったが(全部森発言じゃね?とマークしたら半分外した)、川勝も世代相応のセクシストおっさんやんという感じだな。出題者の「意図」がそう知らしめることにあるんだろうけど。
こんなのが出たとな。まだ下手な新人漫画家。まあポストなろうトライアルがここまで広がってるわけだな。
https://twitter.com/imaiokazekozos/status/1777319502109380728?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
批評とかライターの人間は、リサーチによるユニット作りを一日に何個もやっておいて蓄積していくふうになってて、それが娯楽と仕事不可分になってる。
他方、普通に働いているひとは日常的に労働として同時進行マルチタスクをたくさん抱えているわけで、そういう処世と娯楽を切り分けたくなる。そこで、切り分けが「批評とかしね」と いう 形 で(娯楽エリアを脅かされないように)発動する。日々を癒やす娯楽に労苦っぽいものが混ざるのは嫌だという拒否、拒絶が初手に組み込まれる。
ファンダムの言説秩序はこの種の「労働と排他的に切り離された娯楽」側面の増大を目指すものなので、快の最大化は目指すが、不快や齟齬を持ち込むことは入念に除去されて総体が持続しているし、作品は過剰に美化・理想化される。労働の反動で美化が推進される。しかしそういう美化こそが「労働によって規定されている」と見ることも可能だろう。
ライフステージごとのアドバイスを考えていくと、たとえば30-40でなんら人文学学んだ形跡なし、作品を見ることとSNSの考察しか触れたことしかないし、没入や同一化の楽しみしか知らない、という人に、独習で何かを身につけることを勧めても、独習のやり方もわからないだろうから、なんらかの読書会などのサークルに入らせた方が良い、といった処方箋になりやすい。
結局、独習能力はよほどいろいろやってる人でないかぎり大半は持ってない。とすると、学生時代に何学部で何を学んだか、それと趣味がどう関連しているかしていないか、といった属性でほとんど知的な構えが規定されてしまう。
そして、「趣味」形態は、労働と余暇の分割と役割付与に大きく規定されていることが多い。痛ファンとか推し行為の危うさも、労働/余暇・娯楽が、俗/聖に仕立てられてしまうことが大筋を規定していそう。
ファンダム(をはじめとするコミュニティ)やロールモデルについての選択、自覚というのは、多くの人は透明なものとみなし、意識しないので、一般的な言い方をしても響かないし、個別具体的な第三者の状況を挙げて語っても他人事か悪口として聞かれるのでこれまた意味がない。
そうなると、聞き手ごとにその当人のライフステージややりたいこと、関心などを引き出したうえで話すぐらいでやっと効果が出るのだが、そうなるとプライバシーの保持のためにも表で話す言葉ではなくなり、また、コストやエナジー消費が友好関係だけを根拠にできるような範囲を軽く越えてしまいがちになる(これをうまくビジネスにすると、無認可のヒーラーや占い師、シャーマン、コーチング技術者になる)。
こうして、マンツーマンでやるか、ふわっとした抽象的な語りをするか、の二択になるんだが、後者は効果の点では乏しいので、あんまり私はやらなくなっている。前者も、普段からやりとりしてる話題の延長でちょいちょい私見を伝授する程度に留めている(ただし、こういうのが一番ちょうどいいんだろうとは思う)。
ファンダムに没入することと、作品に触れることを同一視してる人は増えたなあとは思う。そういう言説空間のなかでアイデンティティを確認するというふうにもはや環境が確立されている。
ファンダムってイデオロギー装置みたいなものいで、ファンダムの秩序維持のためにいろんな問いを不問にしているし、それこそアーミッシュみたいに一定の知は除去し排除してる自治集団だから、知的アクセスには限界づけられているんだが、一定の人文学トレーニングを経ていないと、そういうことには全く疑問を持たない人も多いな、と思う。
SNSにある言説の共有コミュニティはどこも大なり小なりファンダムっぽい秩序があるから(学知集団もしばしば単なるフェチや威信を中心にしていたりするが)、勉強していればその歪みに気づきそうなものなんだけど・・・。
まあ、こういうのは言っても得しないし、なんなら特定の集団から敵認定されるので、指摘するコメントは全然出ないよね。具体的対象を挙げて語ると多少は伝わりやすくなるが、即座に敵認定されてるし、リスクを考えると、抽象的一般的にしか語りようがない。
あまり書き物ができてない。