田崎英明おもしろいから読めばいいのに、と私はこの数年ずっと言ってるけど、全然読まれてないの、まじでなんなんだろ。かなりガイドっぽく書いても読まれないとは…。
昔から読んでる人(江永泉さんとか)は田崎話に乗ってきてくれるから、だよね~、ってノリでよくしゃべる。
次はこれを読んでる。
先行文献マッピングしまくりだからリンク集のようにも使えるな。
Paul Haynes,
The Ethics and Aesthetics of Intertextual Writing: Cultural Appropriation and Minor Literature
The British Journal of Aesthetics, Volume 61, Issue 3, July 2021
https://academic.oup.com/bjaesthetics/article/61/3/291/6295385
そろそろこの記事読むかー、とブラウザの積んタブだったのをひもといた。
池邉智基「脱植民地化としての博物館構想:セネガル・ダカールの黒人文明博物館について」
https://taguchiartcollection.jp/afcolumn-dakar-senegal-mcn/
この論考みたいな視座が普通に問われてくるような話ってやつだな。
そして、リロイジョーンズ(バラカ)が批判した「ケーン・バーンズ・ジャズ」シリーズ水準のものですら、日本だとほとんど生まれない、アメリカならこれが番組になりソフトにもなる、という酷い落差(邦盤DVDはある)
https://ja.wikipedia.org/wiki/ケン・バーンズ・ジャズ
All in all, Young claims that some content and subject appropriation can be a sort of assault, the moral nature of which is highly questionable. But most cultural appropriation neither interferes with the interests of individual members of cultures nor damages cultures, if appropriate requirements regarding time and place of cultural appropriation are respected. The suggestion is to be ‘as respectful as possible’, to avoid ‘unnecessary offence’ and ‘to be sensitive to the plight of minority cultures’ (p. 141).
やっぱり所有権の問題系になるのねえ、とこの書評を一読した。
Marianna Bicskei - « Book Review,
James O. Young: Cultural appropriation and the arts
(Blackwell Publishing, 2010) »
Journal of Cultural Economics volume 35, pages233–236 (2011)
なろう作品って「ゲームおよびゲーム実況カルチャーで小説が一度壊れてハイブリッドになってる何か」なんだけど、そういう記述をしている人がかなり少ないから(この前の転生オリ主の記事は、珍しくその強調があった)、所詮エンタメ小説愛好者って、小説至上主義なんだよなー。
冨樫義博漫画がしばしば「展開予想をしている人ほど、絶妙な外し方によって魅了される」と評されるのは、この種ゲーム的読解と関係しているんだろう。
(たとえばこの記事でその評価点が強調されている https://note.com/yomooog/n/na42399ea5204 )
なろう作品で頻繁に出てくるジョブ進化やスキルツリーの発展や、スキルのアンロック展開も、「じゃあもっとこの先に何かすごいスキルが?」と喚起する面があるため、ゲームの予期をくすぐるのだと思われる。武器開発のツリーや、マイクラ的素材開発、アトリエシリーズ的道具開発もそうか。
『黄金の経験値』は、全体的に、話の進行と地の文の分量がもったりしていて退屈なのが弱点なんだけど、「描写」みたいな熱量でスキルやらジョブやらの細かい話を逐一したがるからそうなるんだわーと気づいた。
小説におけるかつての描写美学の転位が起きとるな。
あまり書き物ができてない。