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60歳代なのに、理論関心のみならず、英米圏の映画と音楽への関心が持続してて、こういうジジイはかっこいいわ。

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田崎英明おもしろいから読めばいいのに、と私はこの数年ずっと言ってるけど、全然読まれてないの、まじでなんなんだろ。かなりガイドっぽく書いても読まれないとは…。

昔から読んでる人(江永泉さんとか)は田崎話に乗ってきてくれるから、だよね~、ってノリでよくしゃべる。

次はこれを読んでる。

先行文献マッピングしまくりだからリンク集のようにも使えるな。

Paul Haynes,

The Ethics and Aesthetics of Intertextual Writing: Cultural Appropriation and Minor Literature

The British Journal of Aesthetics, Volume 61, Issue 3, July 2021

academic.oup.com/bjaesthetics/

そろそろこの記事読むかー、とブラウザの積んタブだったのをひもといた。

池邉智基「脱植民地化としての博物館構想:セネガル・ダカールの黒人文明博物館について」
taguchiartcollection.jp/afcolu

この論考みたいな視座が普通に問われてくるような話ってやつだな。

そして、リロイジョーンズ(バラカ)が批判した「ケーン・バーンズ・ジャズ」シリーズ水準のものですら、日本だとほとんど生まれない、アメリカならこれが番組になりソフトにもなる、という酷い落差(邦盤DVDはある)
ja.wikipedia.org/wiki/ケン・バーンズ・

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いくつか論文をぱらぱら読んでてわかったのは、cultural appropriation の言葉に、道徳的非難のニュアンスが日本語での使われ方よりも少ないこと。

「cultural exchangeであるのは当然であり推進されるべきだが、地位や立場の不平等性は問われるぞ」って感じ。

白人による黒人文化の利用や同化を明白に背景にしてるんだろうな。異種混交性の推進は良しとするが、支配的文化の優越に資するようであるならば問題という。

書評者は「アーティストが自分のアプロプリエーションを知的財産権で守ろうとするときに明白に非対称な状況になるだろ…そういうのをもっと掘れや」と最後に不満を出しとるな

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(全体として、ヤングは、ある種のコンテンツや主題の流用は一種の暴行であり、その道徳的性質には大いに疑問があると主張している。しかし、ほとんどの文化的流用は、文化的流用の時間と場所に関する適切な要件が尊重されるならば、文化の個々のメンバーの利益を妨げたり、文化に損害を与えたりすることはない。提案されているのは、「できるだけ敬意を払い」、「不必要な不快感」を避け、「少数文化の苦境に敏感であること」(p. 141)である。
[deepl丸投げ訳])

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All in all, Young claims that some content and subject appropriation can be a sort of assault, the moral nature of which is highly questionable. But most cultural appropriation neither interferes with the interests of individual members of cultures nor damages cultures, if appropriate requirements regarding time and place of cultural appropriation are respected. The suggestion is to be ‘as respectful as possible’, to avoid ‘unnecessary offence’ and ‘to be sensitive to the plight of minority cultures’ (p. 141).

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このへんの記述も、あくまで少数で大した力のないアーティストの行為であることを想定したものなんだろう。

Again, aiming to defend the acts of cultural appropriation by artists, Young therefore assumes that subject appropriation does not wrongfully take an audience from insiders, since public audiences do not ‘belong’ to anyone. (p.235)

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Cultural appropriationかつ暴力性と差別性が問われる場合、アウトサイダー側の発信者が特定集団インサイダーの表象を使うときの手法のみならず、発信者の規模や合意形成などの方に焦点を合わせたほうが適切になりそう。

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やっぱり所有権の問題系になるのねえ、とこの書評を一読した。

Marianna Bicskei - « Book Review,
James O. Young: Cultural appropriation and the arts
(Blackwell Publishing, 2010) »

Journal of Cultural Economics volume 35, pages233–236 (2011)

link.springer.com/article/10.1

帰宅したらあれをしようこれをしようと思っていたことを、満腹の幸福感のままに置き去りにして、転がって微睡む。これだよ。

波戸岡『映画原作派のためのアダプテーション入門』を何気なくパラっと読んでたら、ファイトクラブ原作の文体について「映画を見てから読むと、原作が映画のノベライズみたいに思える、そんな文体をしている」などとさらっと書いてあって、これいい着眼だなと思ったものだが、こういう指摘を小説愛好者はあまりやらない。

他の先行議論だと、井上明人『中心をもたない、現象としてのゲームについて』の連載の番外編なろう論ぐらいか。

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なろう作品って「ゲームおよびゲーム実況カルチャーで小説が一度壊れてハイブリッドになってる何か」なんだけど、そういう記述をしている人がかなり少ないから(この前の転生オリ主の記事は、珍しくその強調があった)、所詮エンタメ小説愛好者って、小説至上主義なんだよなー。

冨樫義博漫画がしばしば「展開予想をしている人ほど、絶妙な外し方によって魅了される」と評されるのは、この種ゲーム的読解と関係しているんだろう。
(たとえばこの記事でその評価点が強調されている note.com/yomooog/n/na42399ea52

なろう作品で頻繁に出てくるジョブ進化やスキルツリーの発展や、スキルのアンロック展開も、「じゃあもっとこの先に何かすごいスキルが?」と喚起する面があるため、ゲームの予期をくすぐるのだと思われる。武器開発のツリーや、マイクラ的素材開発、アトリエシリーズ的道具開発もそうか。

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『黄金の経験値』は、全体的に、話の進行と地の文の分量がもったりしていて退屈なのが弱点なんだけど、「描写」みたいな熱量でスキルやらジョブやらの細かい話を逐一したがるからそうなるんだわーと気づいた。

小説におけるかつての描写美学の転位が起きとるな。

kadokawabooks.jp/product/ougon

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ここでなろうが、ファンタジーや民話や神話と真逆の性質を持つ。
民話や神話好きはむしろテンプレを守ってほしい人が多数なんだろう。それに対して、擬似伝統をゲームの人工性で覆す構図をとる。

つまり、展開予期のもつ特性は物語とゲームプレイで共通するので、「ゲームスペシフィックなものの物語への翻案」として手堅い系統になる。

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