これは少し面白い。半世紀前に「活字中毒」と呼ばれていたものはシリアルの箱の裏面の文字すら読めないのは苦行だというものに近いはずだ。
たとえば、中島らもは、食堂のメニューでもいいから文字を読みたいとか言い放つ奇人だった。
現実逃避というよりは、自動モノローグ状態を静止させるために人は物語(のドラッグ的作用)やフロー状態を求めるんだ、という捻り方がちょいうまい
やっぱり、アンガス・フレッチャーがこの路線で新刊書いてた。
アンガス・フレッチャー『ストーリーシンキングが世界を救う(仮) -ナラティヴ・インテリジェンスの科学(仮)-』(田畑暁生訳、青土社、刊行予定)
イェール大で博士号を取り、『アレゴリー』でハロルド・ブルームから褒められたといった初期キャリアを知っていると、神経科学の学位を取得して今や、物語研究に関する世界有数の学術シンクタンク《プロジェクト・ナラティブ》の教授という肩書きには驚く。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3892
『ストーリーが世界を滅ぼす』は、ビジネスマンとマーケッター向けの書き方なので、気になる論点ほど雑になる。サイエンスと心理学がセオリーの代わりかーという感慨。もう少し英文の知を紛れ込ませてもよさそうに思うが…。
シンガー&ブルッキング『「いいね!」戦争』やラニアー『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除するべき10の理由』、バーガー『なぜ「あれ」は流行るのか』、グーバー『成功するための話術』といった他の類書のオピニオンのつぎはぎっぽくて、といっても著者のゴットシャルが半端というよりは、この枠の言説って近傍マーケットのスタイルを回してるジャンルプロダクトなのでは?と思える。著者は「仕上げ」スキルで回してそう。
『ストーリーは世界を滅ぼす』について、アメリカのジャーナリズム情勢に詳しい友人に「こういうのも現代アメリカのジャーナリズムの一つとみるべき?」とか聞いてみたら、大衆の狂気への不安を煽る新保守の現代版だと思う〜、みたいな答えだった。今のアメリカだとジャーナリズム内にいちジャンルを作ってて、認知バイアスや遺伝子論を混ぜる奴だよね?みたいな反応。さすがに『ストーリーは〜』は遺伝子説をやってないんだが、なんかサイエンスを経由して単純なことしか言ってなくね?と思う。
「日本における近似言説(橘玲とか)に比べると学的であったり、民主党に合流可能」な印象もあるが(しかしポパーを振り翳して反共言説をやる)、しかしそれもシカゴスタイルの注の付け方によるところが大きそうだ。
同姓同名か〜。しっくりこないし前歴が消えてるのはなぜ?と思ってたらひどいオチだ https://twitter.com/tritonnova/status/858118076180512768?s=61&t=GC7VSa4PcXnbn5H8qsel2w
右派陰謀論者のハリウッド支配説を援用しつつもやり過ごす手口から、「右派説得術」として本を書いてる節がある。そこでみると、ピンカーやボイド、デネットの参照もそのための布陣なのかもと推察できる。