やっぱり、アンガス・フレッチャーがこの路線で新刊書いてた。
アンガス・フレッチャー『ストーリーシンキングが世界を救う(仮) -ナラティヴ・インテリジェンスの科学(仮)-』(田畑暁生訳、青土社、刊行予定)
イェール大で博士号を取り、『アレゴリー』でハロルド・ブルームから褒められたといった初期キャリアを知っていると、神経科学の学位を取得して今や、物語研究に関する世界有数の学術シンクタンク《プロジェクト・ナラティブ》の教授という肩書きには驚く。
http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3892
これって日本だと中国脅威論だなー。
ロシアはすでにアメリカを分裂させている!だから、プロパガンダストーリーテラーへの警戒を語るこの著者もプロパガンダライターでは?みたいな疑念がよぎる。
こういう語り口って、ある種のビジネス本から社会問題の本にまで広がってるけど、現代アメリカのジャーナリズム/ノンフィクションのスタイルなのかな。
『ストーリーは世界を滅ぼす』について、アメリカのジャーナリズム情勢に詳しい友人に「こういうのも現代アメリカのジャーナリズムの一つとみるべき?」とか聞いてみたら、大衆の狂気への不安を煽る新保守の現代版だと思う〜、みたいな答えだった。今のアメリカだとジャーナリズム内にいちジャンルを作ってて、認知バイアスや遺伝子論を混ぜる奴だよね?みたいな反応。さすがに『ストーリーは〜』は遺伝子説をやってないんだが、なんかサイエンスを経由して単純なことしか言ってなくね?と思う。
「日本における近似言説(橘玲とか)に比べると学的であったり、民主党に合流可能」な印象もあるが(しかしポパーを振り翳して反共言説をやる)、しかしそれもシカゴスタイルの注の付け方によるところが大きそうだ。
2章の「ストーリーテリングは感情生成の装置だ!」論は単純で即飽きるんだけど、要はすべてをそこで起きている感情に還元するわけね。で、作品がそのつどの感情に還元されるので、それ以外のモメントを担った複合体としての作品の総体はある意味で失われる。でもアナリストやマーケッター、視聴者のクリック行動はそれでしょってことで説得にかかる。ええ〜と思いつつ読むw 感情豊かに展開させるために視聴者や読者の「状態」をそのまま作者に投影することもありにしてそう。ここでファンダムの求める「作家」像に似てくる。
こういうのが情動論・だめなビジネス版、だと思った。