奄美でマングース根絶宣言 環境省、希少種捕食で防除
千葉県知事に続いて、大野さんも!(先に「名乗りを上げた」のは大野さんでしたね)
これはとても良い傾向だな。小池百合子だけ出さずに、せいぜい世間の…いや、世界中から、白い目で見られれば良い。そう言う世の中にしないといけない。
大野元裕埼玉県知事が朝鮮人虐殺を巡り追悼文を初めて送付 4日さいたま市内で開く式典に 関東大震災101年:東京新聞 TOKYO Web https://www.tokyo-np.co.jp/article/351786
Hundreds of Ancient Viruses Discovered Deep Inside Tibetan Glacier https://e360.yale.edu/digest/ancient-viruses-glacier-climate-change
テレビの猛暑報道、99%が「温暖化」語らなかった―各局に報道姿勢を聞いてみると… https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/57c1dcff4a587582662c5aeb030d403399b01391
回答が答えになっていないのは期待通り。視聴者が「気象災害と気候変動の関係を報道してほしい」と繰り返し求めていけばいいと思う。
メディアには、「気候変動によって熱波や豪雨は激甚化する」といった、気象災害と気候変動の大まかなつながりを説明して、「社会として(個人の行動ではなく)気候変動対策を実行しない限り、気象災害は激しくなる一方」としつこいくらい繰り返し伝えてほしい。単発で報道しても人は忘れます。
PILOTのノック式万年筆よいですよ
https://www.pilot-capless.jp
初めて聞く言葉だ。これ川の跡でもそのまま残るのかな。現在の勾配とインブリケーションが合致しない川の跡とかあると面白いな
/川原のれきのインブリケーション (地球の部屋)/
https://www.tamarokuto.or.jp/blog/athome/2020/05/21/post-1230/
「書けること/読めること」の特権性って、「書ける/読める」集団の中にいると見えないわけで、その集団の「外」というか、周辺を認識していないんだろうなあというのを強く感じることは多い。
「これくらい読めるでしょう/書けるでしょう」の水準が大卒レベルであることとかは、実際、文字(活字)化されたコミュニケーションや発言がメインのSNSだと強く実感するし、そこに「通用する言葉」というのが、語彙力と理解力を要求してくるので…。
それらを扱わざるを得なかったひとたち、その水準に合わせなければ「聞く耳すら持ってもらえない」人たちのことを考える。
私は結構「文学の形にすればとどく」というのも傲慢だと思うし、ギリギリの場所にいる存在がわざわざ文学の形にしなければならないということを、ちゃんと考えないといけないなあと思う。ギリギリの場にいて「文学の形」でなくても、何らかの洗練の形に整えねばならないこと、整えなければ、支援や気づきに辿りつけないことなど…
二十歳くらいのころ、道すがらの見知らぬ人の困り事とかに「あらあら、まあまあ!」と言って駆け寄っていったり介入していける歳の取り方したいなと思ってた。
信号を渡れなくて困ってる人とか、買い物袋が破けて道に荷物をぶちまけちゃった人とか、自転車で転んじゃった人とか、迷子になって半泣きのキッズとか。
誰もが見て見ぬふりする街の風景に「あらあら、まあまあ!」と驚いた声を出しながら現場に駆け寄るヒューマン。街中のファーストペンギンみたいな。
昔はある程度そういう人がいて、そう人の一言から始まってその場がサーっと助け合おうというムードになる、そういうムードメーカーがいたんだよ。実際に出す声は「あらあら、まあまあ!」ではないかもだけど。後からお節介と言われてもその批判もイケシャアシャアと受け入れながらも、まずは困り事へ声をかけて介入していける街の人でいたい。
いきもの好き。まれにお絵描きします。
鳥や犬、時々虫の写真、そして掌編小説などをBTしがちです。
本や映画のタイトルを書いて伏せてある投稿は何も配慮せず感想を書いてますので、ネタバレが苦手な方はお気をつけください。