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改正入管法全面施行 強制送還恐れる声に耳を=白川徹(とうきょう支局)mainichi.jp/articles/20240426/

 “ビルワさんは家族で迫害から逃れ、幼少期に日本へ。家族は2回ずつ難民認定の申請を退けられ、入管施設への収容を一時的に解かれた「仮放免」の状態だ。”

 “各種法令に基づき、日常生活にはさまざまな制約がある。健康保険には加入できず、高額の治療費を払えないため病院に行けない。インフルエンザが疑われる高熱に家族で見舞われた際は、恐る恐る人からもらった薬を服用した。” 

 “昨年8月には当時の法相が、在留資格のない18歳未満の外国人の子どもとその家族に、日本での滞在を認める「在留特別許可」を与えると発表した。ただ、対象は日本で生まれ育った子どもとその家族に限られ、ビルワさんたちは外れている。”

 “入管当局は、ビルワさんらについては難民に認定していないのでこの原則(ノンルフールマンの原則)は適用されない、と言いたいのかもしれない。だが、難民受け入れのハードルが他国よりも高いとされるこの国の難民審査制度こそが問われるべきではないのか。”

環境省の職員が「話をさえぎり、マイクの音を絞る」 水俣病の患者・被害者団体が環境大臣に「苦悩を訴える」会の最中newsdig.tbs.co.jp/articles/rkk

父親を殺した犯人も誰だったか忘れている。

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昔カラマーゾフの兄弟を読んだとき魚のスープというのがよくわからなくてお吸い物みたいなイメージでいたのだけど、本当はどういう料理だったのだろう。

原爆投下を実行したポールの形容について

 “(前略)「逆立ちしたキリスト」に代表されるような、宗教的表現が用いられるのも無理はない。しかし、過剰な抽象化がほとんど神話化を誘発し、具体的な被害者たちの苦しみを置き去りにする危険性には注意せねばならない。”

 “ポールの罪も、志村と恭助が殺した老婆と同様に、生身の人間の「顔や身体つき」に結びつけて記憶されねばならないのではないだろうか。そうでなければ、残虐行為は、被害者を通り越して、ポールの苦しみや傷として領有されかねないのだ。”
─第三章 裁かれなかった残虐行為(一九六〇年代)
 1 アメリカの残虐行為を問う――堀田善衞『審判』

『文学が裁く戦争 東京裁判から現代へ』
iwanami.co.jp/book/b635086.htm

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“『審判』において、恭助と志村、そしてポールは、暴力(駆使)の経験を共有することで、男同士の連帯感を感じている。一方で、小説は、「娼婦」としての雪見子(出の長女)と「聖女」としての唐見子(出の三女)を対置させながら、ポールと恭助のトラウマを慰安する存在として描いている。”

 “さらに、男たちのトラウマが、被害者の痛みを奪取した形であることにも注意を払わなければならないだろう。恭助は、志村の暴力を糾弾しながらも、性的な暴力を受けた女性に死を強いた自分の暴力には気づかないまま、戦場での経験を自分の痛みとして語り、唐見子に「看護」を求めているのだ。
 こうしたジェンダー表象が小説の批評性を危うくしているのは、確かである。”
─第三章 裁かれなかった残虐行為(一九六〇年代)
 1 アメリカの残虐行為を問う――堀田善衞『審判』

『文学が裁く戦争 東京裁判から現代へ』
iwanami.co.jp/book/b635086.htm

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77年前に路上でもらった「もう戦争しない」 91歳男性が大切にする憲法冊子 9条は「亡くなった人の魂」tokyo-np.co.jp/article/324672?

スタグフレーション(不況下の物価高)!という気持ち。

[寄稿]日本の代わりに朝鮮半島が分断された理由japan.hani.co.kr/arti/opinion/ 

 “それは「出血作戦」と呼ばれた。目的は戦闘に勝つことではなく、敵の出血を最大限に引き出し、降伏条件を緩和することだった。「出血」はその敵と戦う日本軍とすべての民間人にも求められた。神風特攻隊も投入された。これらは日本本土を守る「防波堤」、「捨て石」と言われた。沖縄戦は残酷だった。直接戦闘を行った双方の軍人の死傷者も多かったが、46万人の住民のうち12万人が死亡した。緊急動員された1万人にのぼる朝鮮人「軍属」と「慰安婦」も犠牲となった。”

 “日本の降伏の知らせを聞いて、独立運動家の金九(キム・グ)はその時期の巧妙さを嘆いた。中国で長年にわたる国共内戦を経験し、国際政治の冷酷さを見守ってきた亡命政府の主席は「解放」を素直には喜べなかった。解放とともにやってきた分断はすでに75年、南北対立と戦争の恐怖はいまだにこの地を押さえ付けている。分断の痛みを乗り越え、我々は金九があれほど願っていた「文化の力」を築き上げた。国際情勢は再びこの地を米中超大国の衝突の最前線へと押し上げている。自主外交の知恵を集めるべき時である。”

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[寄稿]日本の代わりに朝鮮半島が分断された理由 チョン・ビョンホ|漢陽大学文化人類学科教授
japan.hani.co.kr/arti/opinion/

 “日本の分割計画はなぜそのまま実行されず、筋違いにも朝鮮が代わりに分断されたのか。その数日の間に一体何が起こったのだろうか。最後の一人まで戦うと言っていた日本はなぜ急に8月15日に降伏したのか。これまでは主に原爆投下のためだと言われてきた。しかし、在米の日本の学者、長谷川毅教授は、原爆投下よりもソ連参戦の方が決定的だったという。ソ連が参加する日本の分割を避け、天皇制を守るためだったというのだ。原爆のせいで降伏したという主張によって、米国の日本列島単独占領は支えられてきた(『終戦の設計者たち』 メディチメディア、日本語版は『暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏』中央公論新社)。”

さんがブースト

“こうした「語り」は結果として、強い肉体を持ち、弱い女性・子どもを守る者こそが「男性」という幻想を作り出します。それが反転することで、「普通」の男性なら「女性と子どもを守るはず」という「語り」になり(本来なら守り、守られることはジェンダーという属性にかかわらず、誰もが守り、守られるものであるべきですが)、それが「戦争」という現実を支援するレトリック、そして社会規範となる、というのです。”

“と同時に、ヤングの指摘によれば、こうした「語り」では「女性は自衛を男性に依存するもの」と、その主体性を奪われ、守られる性へと相対的に位置づけられます。その結果として、「守り手」である男性が、守られる側として依存する女性と子どもに「従順」を要求する、という不平等が再生産されていくことになります。”

“(略)戦争が日常に入り込むとき、あるいは、日常が「軍隊化」されるとき、支配する性─支配される性、という伝統的で父権的なジェンダーが正当化され、そして強化されていくということなのです。”

“(略)原爆を投下した側として男性性を担うアメリカにおいて、原爆の被害者性を代表するような被ばく被害は語られない/語りにくい状況にあります。言うなれば、被ばくの被害が「自主検閲」されてきたといえます。”
 

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さんがブースト

第5章 ジェンダー化された原子力 守られる性・無垢性・仕える性

被ばく女性の渡米、ヒロシマ・メイデンズ(原爆乙女)、親・保護者としてのアメリカ(娘を守る強い(父)親像)、オリエンタリズム
和解の非対称性、被害者性と女性性の社会的親和性

“政治学者のアイリス・マリオン・ヤングは、肉体的に不利である場合が多い女性と子どもが、いかに国防政策に利用されるかを紐解きます。特に「国家的危機」などと銘打たれる事件の際には、国防のレトリックがすぐさま発動されます。例えば九・一一の後のアメリカで、イラクとアフガニスタンへの侵攻の支持を獲得するために使われた、「女性と子どもを守るため」という「語り」は、その主語に守る側の「男性」を想起させ(実際には女性兵士もいますし、守られるべき成人男性もいるのにもかかわらず)、国防を正当化させる、と。そしてそれは、「守る」ことを美徳とする一方で、こうした物語に加担しない男性を「弱い者を守る意思・体力がない」と道徳的・肉体的に劣っているかのように扱う、と分析しています。”
 

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さんがブースト

軍に対する「恩義」と退役軍人への敬意、感謝。軍隊と教育の結びつき(GIビルやROTCなどの大学進学のための援助)。

“つまり、(正式な)軍隊を持つということは、それを維持するために、社会が軍や兵士に恩義を感じ、尊敬する仕組みが必要であるということなのです(軍隊を持たないはずの日本でも前述の「靖国」などに、こうした仕組みが見えます)。その一方で、軍隊も兵士たちのセーフティネットとして機能することで、恩義の念を強化します。そうした社会では、軍を批判することは必然的にタブーになってしまうことは、効果的な反核メッセージを伝えるためにも、意識しておく必要があります。”

第二次世界大戦後の義肢の発達と男性性の復活、という点も印象的だった。優位性と庇護感、軍隊と我々の関係。

“自立した体があるからこそ、女性に対して保護を申し出ることができ、相手に対する「保護を与える」という優位性がマチズモを支えている” 

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眠たい。気圧がどうというより睡眠時間が足りない。

一度読んでそれきりなのでまた読み返したい。

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『祖国のために死ぬこと』 (新装版)kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784

内容説明
 >「祖国」の観念はいつ生まれ、そのために戦いで死ぬことがどうして神聖な行為とみなされたのか―近代国家の成立と宗教性=超越性を二重化したこの問いは、中近世の歴史家であり、二つの世界大戦を経験した著者にとって、切実な問いであった。12、13世紀のヨーロッパ。それまでの中世の王権が古代的な祭政一致的理念をひきずっていたのに対し、この時代に俗権としての国家は、それ自体聖性を獲得するようになった。パウロの手紙以来、教会組織は、頭であるキリストに有機的に結びつく四肢、すなわち「キリストの体」として、象徴的に理解されてきたが、この身体の隠喩が、王を頭とする「神秘体」としての国家という政治理念に転用されるようになったのである。そして全体の体の健康のためには四肢も切断されうるという比喩にしたがって、祖国のための死が、国家という永久不変の神秘体を防衛する聖なる行為とみなされるようになる。本書は『王のふたつの身体』などで知られる天才歴史家カントロヴィッチの代表的6論文を集成した。わが国の王権や国家の象徴儀礼をめぐる研究にも、大いなる刺戟をあたえる書となろう。

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紹介>戦没者を「尊い犠牲」として顕彰することで、悲惨な実態を覆い隠し、国民を新たな戦争に向けて鼓舞する。これこそが、国家の本質に関わる重要な課題ではないか。近代西欧の思想書・歴史書から自衛隊のイラク派兵問題、そして靖国問題まで、様々な言説に共通する国民動員の巧妙なレトリックを分析し、"犠牲=サクリファイスの論理"を乗り越える方途をさぐる。この国の現状を批判的に検証する試みであると同時に、犀利な思考に基づいた、野心的な国家論でもある。

『国家と犠牲』hanmoto.com/bd/isbn/9784140910

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