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『国家をもたぬよう社会は努めてきた ―― クラストルは語る』
 ピエール・クラストル[著]
 酒井隆史 [訳・解題]
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さんがブースト

 “こうした天皇をめぐる「解釈労働」を通して、知識人たちの天皇や皇室への感情は、崇敬、というかほとんど愛ともみまがうばかりの感情に転化している事態は、しばしばみられます。「解釈労働」は、支配する相手の側の心をつかもうとする努力です。相手は、じぶんのことなど眼中になくても、こちらはその主人のことをいつも考えています。これは、感情や欲望がつねに当の対象に備給しているということでもあります。ここからこの関係のうちには、支配されているにもかかわらず、しばしばそこにストレートな暴力やいじめのような要素があるとしても、支配される側から支配する側への愛情のようなものが生まれてくるひとつの源泉があります。”


09.自発的隷従論を再考する
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さんがブースト

 [前略]“ここで重要なことは「解釈労働」そのものを、知識人がやってみせることにあります。天皇制のはたらきの核心のひとつである「解釈労働」を通したヒエラルキーの構築と強化を、知識人がみずからおこなってみせることです。そしてそれを通してみなければならないのは、天皇の「お気持ち」をいつも考え、ときに熱狂するといったある種の「愚かさ」のイメージを大衆に押しつけるのはまちがっているということです。それを率先しておこなっている、しかもそれに知的正当性を与えているのは知識人なのです。”


09.自発的隷従論を再考する
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さんがブースト

 “自発的隷従を日本で考えるとき、天皇制、とりわけ戦後の象徴天皇制をぬきにして考えることはできません。”[後略]

 “天皇制への同意の調達に、いかに「解釈労働」が作用しているかはおわかりかと思います。メディアも大衆も、つねに天皇「陛下」の内心をおもんぱかっているといわれています。「お気持ち」という表現は、ここで「解釈労働」が作動しているありようをよく表現しています。[中略]「お気持ち」とは、つねに上から下々にむかっておりてくるものであり、かつ、その不可視の流出を、下々のものが想像するときにあらわれるものなのです。”

 “この天皇制の事例では、天皇への愛着をだれよりも示し、だれよりも解釈労働を遂行しているのは、なんとなく大衆というイメージをもっています。しかし、二〇一〇年代にくっきりした、そしておそらくあたらしかったのは、それを率先しておこなったのが知識人、保守あるいは右翼政権に批判的な知識人たちだということです。かれらは天皇あるいは皇室の沈黙、あるいは発言の断片のうちに込められたメッセージ、すなわち「気持ち」を解釈し、その解釈の方法を、メディアを通して大衆に提示してみせました。”


09.自発的隷従論を再考する
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 “「自発的隷従」論は、こうした恐怖感の自己抑圧にも相性がいいのです。ドゥルーズたちがそれを警戒し、クラストルがそれに誘われるのを批判したのには、こういう要素もあるように思います。”
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 “考えてみるなら、日本において天皇制は強力なタブーであり、暴力に囲まれていることは誰もが知っています。それを侮辱する者への嫌がらせはもちろん、物理的殺害もめずらしいことではありません。そして、このテロリズム(天皇制を擁護する暴力)に対しては、この社会において強い非難や排撃、取り締まりの対象にならないこともみな知っています。知識人ならなおさらそうでしょう。
天皇制はこうした字義通りのテロルに浸りきっている。だから知識人もふくめて日本における天皇への敬愛なるものは、こうした恐怖にべったりと取り憑かれていると思います。右翼ではない知識人が、天皇への愛着や信頼をなにがしかポジティヴに捉えることそれ自体に、恐怖感とその否認がある。これは暴力への恐怖を直裁に表現できない、それを抑圧してしまうマチズモとも深く関係していると思います。”
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 “自発的隷従を日本で論じるときに天皇制を避けるわけにはいきません。そこで本書の解題では、天皇制への自発的隷従と見なされているものが、はたしてそうなのか、と疑義を呈しました。「一木一草が天皇制である」という命題と、自発的隷従論は非常に相性がいいと思います。そして、こうした論じ方自体が袋小路であることは明らかです。”
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人間狩り・奴隷制・国家なき社会
──シャマユー、ミシェル、そしてクラストル
酒井隆史 × 中村隆之 × 平田周

第3回
「ピエール・クラストル/国家をもたぬよう社会は努めてきた」
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クラストルの読解は、こうした「リベラル」なものとは断絶していることは明らかです。しかし、やはりクラストルの場合もアナキストとは違い、「いつでもやめられる」というところに力点がない意味では共通している。つまり彼は、ラ・ボエシの議論に、隷従を自発的に意志しない契機を強力に読み込んでいます。そして、それが一転して人間は自発的に隷従を意志することになる、その転機を「災厄」だと見たラ・ボエシの、この「災厄」の還元不可能性を全力で強調するのです。
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 “先日の選挙(2021年衆院選)でも大阪で維新が躍進したことを受け、「愚民論」のようなものが噴出してましたよね。つまり、「大阪人は、あんな党に票を入れてなんて愚かな大衆たちなのか」と。これが2010年代の知的空気を集約的に表していたように思います。ポピュリズム批判、反知性主義批判、フェイクニュース批判、通俗道徳批判。こうした枠組みが2010年代には強力に作動していました。そこにはすべて、そこはかとなく「愚民論」が貫通しています。「自発的隷従論」の読まれ方も、そのような流れとマッチしていたように思うのです。そこでは、アナキストの力点、「いつでもやめられる」のほうがほとんど吹っ飛んでいました。”
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 “この『自発的隷従論』をどう捉えるかということがすごく重要になってくると思うのですが、私が『自発的隷従論』を何で知ったかというと、アナキストがしょっちゅう引き合いに出していたからです。この本はアナキストにすごく愛されてきたのです。なぜ愛されてきたかというと、アナキストの場合の本書への力点は「われわれの意志でいつでもこの社会をやめられる」というところにあったからです。「われわれの意志がこの社会を成り立たせているなら、われわれの意志でいつでも撤回できるんだ」と。つまり、アナキストによる自発的隷従論への愛は、「大衆は権力を欲望した」といったところには、少なくとも力点がない。”
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人間狩り・奴隷制・国家なき社会
──シャマユー、ミシェル、そしてクラストル
酒井隆史 × 中村隆之 × 平田周

第3回
「ピエール・クラストル/国家をもたぬよう社会は努めてきた」ibunsha.co.jp/contents/sakai_n

『詩の力 徐京植評論集Ⅱ 「東アジア」近代史の中で』
Ⅳ 越境者にとっての母語と読み書き
──ある在日朝鮮人一世女性の経験から
koubunken.co.jp/book/b202018.h
 
“知識という権力を持っている人間が、学べなかった人たちのことばを文字化する、あるいは言説化するとき、「解釈」という特権を行使することになる。しかも、解釈される側は、それを校正したり批判したりできないのだ。”

震える手 震える胸
震え こみあげる怒りで 板切れに
白墨で ぎこちなく
書く

息をこらし むせび泣きながら
おまえの名を そっと書く
灼けつく渇きで
灼けつく渇きで
民主主義よ 万歳
 『灼けつく渇きで』金芝河

『詩の力 徐京植評論集Ⅱ 「東アジア」近代史の中で』
koubunken.co.jp/book/b202018.h

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嫌すぎる。

“今後、党から公認されなかった無所属候補が当選した場合に執行部が追加で公認を出す可能性があります。”
www3.nhk.or.jp/news/html/20241

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「あずきには邪気を遠ざける力があるとされ」穀物、米とか確かにそうだとされるものが多い気がする。

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