“自発的隷従を日本で考えるとき、天皇制、とりわけ戦後の象徴天皇制をぬきにして考えることはできません。”[後略]

 “天皇制への同意の調達に、いかに「解釈労働」が作用しているかはおわかりかと思います。メディアも大衆も、つねに天皇「陛下」の内心をおもんぱかっているといわれています。「お気持ち」という表現は、ここで「解釈労働」が作動しているありようをよく表現しています。[中略]「お気持ち」とは、つねに上から下々にむかっておりてくるものであり、かつ、その不可視の流出を、下々のものが想像するときにあらわれるものなのです。”

 “この天皇制の事例では、天皇への愛着をだれよりも示し、だれよりも解釈労働を遂行しているのは、なんとなく大衆というイメージをもっています。しかし、二〇一〇年代にくっきりした、そしておそらくあたらしかったのは、それを率先しておこなったのが知識人、保守あるいは右翼政権に批判的な知識人たちだということです。かれらは天皇あるいは皇室の沈黙、あるいは発言の断片のうちに込められたメッセージ、すなわち「気持ち」を解釈し、その解釈の方法を、メディアを通して大衆に提示してみせました。”


09.自発的隷従論を再考する
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 [前略]“ここで重要なことは「解釈労働」そのものを、知識人がやってみせることにあります。天皇制のはたらきの核心のひとつである「解釈労働」を通したヒエラルキーの構築と強化を、知識人がみずからおこなってみせることです。そしてそれを通してみなければならないのは、天皇の「お気持ち」をいつも考え、ときに熱狂するといったある種の「愚かさ」のイメージを大衆に押しつけるのはまちがっているということです。それを率先しておこなっている、しかもそれに知的正当性を与えているのは知識人なのです。”


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 “こうした天皇をめぐる「解釈労働」を通して、知識人たちの天皇や皇室への感情は、崇敬、というかほとんど愛ともみまがうばかりの感情に転化している事態は、しばしばみられます。「解釈労働」は、支配する相手の側の心をつかもうとする努力です。相手は、じぶんのことなど眼中になくても、こちらはその主人のことをいつも考えています。これは、感情や欲望がつねに当の対象に備給しているということでもあります。ここからこの関係のうちには、支配されているにもかかわらず、しばしばそこにストレートな暴力やいじめのような要素があるとしても、支配される側から支配する側への愛情のようなものが生まれてくるひとつの源泉があります。”


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