真実と修復
暴力被害者にとっての謝罪・補償・再発防止策https://www.msz.co.jp/book/detail/09690/?s=09
“その思想や精神は、敗戦後の日本で、数百万人の自国民とそれをはるかに上回る数の被侵略諸民族の血を吸った土壌から芽吹いた青々とした草であった。”
[寄稿]記憶の虐殺者たちhttps://japan.hani.co.kr/arti/opinion/28232.html
“加藤周一は日本の「戦後民主主義」の思想と精神をもっとも明瞭に体現する知識人であった。侵略戦争と敗戦という失敗の経験を苦く噛みしめながら、今後の日本社会をよりよいものにして行こうとする精神、そのことを通じて「人間的」な普遍的価値を社会全体で実現していこうとする理想主義。その思想や精神は、敗戦後の日本で、数百万人の自国民とそれをはるかに上回る数の被侵略諸民族の血を吸った土壌から芽吹いた青々とした草であった。”
問われているのは主流社会の異常さ。
QT: https://fedibird.com/@takako3599/112100718219211958 [参照]
https://digital.asahi.com/articles/ASS323PGSS2WULLI00F.html?ptoken=01HS0GTC1MMNQ9QPKFGJ6YRY38&s=09
【児玉】(前略)是枝さんが自分はマジョリティーだからクィアの立場で何かを代弁するのは傲慢(ごうまん)だと考えているのは分かりますが、その誠実さとしての一線を維持したまま、これは性的マイノリティーのあなたたちの物語なんだ、と言うことはできる。これまでマジョリティーを自認する作家たちはあまりにも、「あなたたちの物語」ではなく「みんなの物語」だと言い過ぎてきたように思います。
「クィア映画」を「普遍的な映画」と称することがなぜ危ういかというと、物語を彼らのもとから奪って、「普遍」とされる自分たちマジョリティーの枠組みに押しやってしまっているからです。
あとがきたちよみ
『 クィアなアメリカ史――再解釈のアメリカ史・2』
https://keisobiblio.com/2023/08/09/atogakitachiyomi_queeramerica/
“性的に異物とみなしたものを執拗に排除しようとする植民地期のピューリタン社会が根源的に内包していた不安。特定の性的道徳に基づく社会の浄化を追求しながら、その道徳規範から外れた異性装のパフォーマーたちに喝采を送る二〇世紀初頭の都市社会。豊かさと反共主義のなかで、強制的な異性愛主義が強まっていきながら、同時に異性愛者が同性愛に強迫観念的に関心を寄せ、語り、読もうとする一九五〇年代。”
“こうした叙述から浮かび上がってくるのは、セクシュアリティやジェンダーに基づく排除を追求してきた主流社会の歴史が、性に取り憑かれてきた人びとの歴史そのものであった、という現実である。本書を通じて問われているのは、LGBTQではなく主流社会のあり方の異常さなのである。”
「エドワード・サイード ある批評家の残響」中井亜佐子さんインタビュー 研究・批評通じパレスチナを発信した生涯https://book.asahi.com/article/15197337?s=09
“「理論」が学問の制度に吸収されてしまうと、それ自体が支配的なシステムと化してしまう。しかし、支配的なシステムの内部にすでに、それを批判し食い破るような「批評意識」が潜んでいるというんですね。つまり、現行のシステムが立ち行かなくなった時に、そこで革命を起こすことができる意識です。批評とは、私たち自身がもっている、システムを変えていくようなものの見方のことだと思います。”
“サイードは最晩年はすごく怒っていました。もし今生きていたとしても、ものすごく怒っているでしょう。パレスチナの事態は当時と比べてもさらに悪化している。そうなることを、オスロ合意を批判した時点から予見していたのかもしれません。”
家計簿をつけさせる意義がわからなかったのだが、生活困窮者自立支援制度に家計簿をつけさせる家計管理事業(現・家計改善事業)があるそうで、ますます驚いている。個人の動きを操作したいような(それを通じて内面に入り込みたいような)、なんだか嫌な感じ。https://open.spotify.com/episode/14fiaaKB5q7YYCCdQI1bde?si=9Jw6JnbgRGmypTRjXgjnew
https://www.iwanami.co.jp/book/b223928.html
“猛暑のなか、天皇が坑内に降り、「下積み」の「一種特別な卑しい社会」の人びとと同じ地点に立つという行為が、炭鉱労働者の心を見事に掌握した。自らも炭鉱労働を経験した上野英信は、過酷な労働と圧制と搾取のなかで、炭鉱労働者自身が自らを「下罪人」「亡者」と自嘲していたことを指摘しているが(上野英信『追われゆく坑夫たち』岩波新書、一九六〇年)、天皇の行動は、炭鉱労働者のこうした被差別意識に希望と映ったのである。”
https://www.iwanami.co.jp/book/b223928.html
“敗戦直後、昭和天皇には戦犯論、あるいは退位論もあったが、GHQは占領政策の遂行上の利点を重視し、戦犯として追及することも、退位を求めることもしなかった。
天皇は、GHQの意向に沿い、「人間天皇」「象徴天皇」の姿を国民に印象付けるため、一九四六年二月から全国巡幸を開始する。まさに、それは「象徴天皇制へのパフォーマンス」といえる行動であった。[坂本一九八九:まえがき]。しかし、巡幸の目的はそれだけではなかった。戦後の社会運動、労働運動の高揚のなかで、労働者と親しく接するという言動を通して「労資協調ムード作りに、天皇が一役買っていた」のである[鈴木一九七五:五九、六四―六五]。これは明らかに政府やGHQの意向を受けた政治的活動であった。
天皇の巡幸先として積極的に炭鉱が選ばれたのも、石炭産業が戦後の経済復興のために重要であり、また、炭鉱の労働運動が激化していたからであった。”
象徴天皇制、根源から問い直す議論を 主権者への原武史さんの訴えhttps://digital.asahi.com/articles/ASS3C6KGBS2YUPQJ012.html?ptoken=01HRXGFC41298XQW017PYF1MQW&s=09
「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です。安倍晋三元首相的な改憲派に対する防波堤的機能を、天皇や上皇に期待する声すらあります。しかし、民主主義を機能させるという、本来政治や国民が果たすべき役割を、天皇や上皇に求めるのは極めて危うい。その時々の政治の否定勢力が天皇とつながろうとするのは、昭和維新をもくろみ2・26事件を起こした青年将校が抱いた理想に近い。『リベラル』が天皇や上皇にそうした期待を抱くのは、筋違いも甚だしい」
読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています