iwanami.co.jp/book/b223928.htm

“敗戦直後、昭和天皇には戦犯論、あるいは退位論もあったが、GHQは占領政策の遂行上の利点を重視し、戦犯として追及することも、退位を求めることもしなかった。

天皇は、GHQの意向に沿い、「人間天皇」「象徴天皇」の姿を国民に印象付けるため、一九四六年二月から全国巡幸を開始する。まさに、それは「象徴天皇制へのパフォーマンス」といえる行動であった。[坂本一九八九:まえがき]。しかし、巡幸の目的はそれだけではなかった。戦後の社会運動、労働運動の高揚のなかで、労働者と親しく接するという言動を通して「労資協調ムード作りに、天皇が一役買っていた」のである[鈴木一九七五:五九、六四―六五]。これは明らかに政府やGHQの意向を受けた政治的活動であった。

天皇の巡幸先として積極的に炭鉱が選ばれたのも、石炭産業が戦後の経済復興のために重要であり、また、炭鉱の労働運動が激化していたからであった。”

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“猛暑のなか、天皇が坑内に降り、「下積み」の「一種特別な卑しい社会」の人びとと同じ地点に立つという行為が、炭鉱労働者の心を見事に掌握した。自らも炭鉱労働を経験した上野英信は、過酷な労働と圧制と搾取のなかで、炭鉱労働者自身が自らを「下罪人」「亡者」と自嘲していたことを指摘しているが(上野英信『追われゆく坑夫たち』岩波新書、一九六〇年)、天皇の行動は、炭鉱労働者のこうした被差別意識に希望と映ったのである。”

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