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洗濯をしつつ、セーターを手洗いするか思案中。

 “別のところでスチュアート・ホールは東洋の代わりに「残余」(the Rest)を挙げて、「西洋と残余の言説」を問題にしましたが、「東洋」の代わりに残余をもってきた方が事情は解りやすくなるかもしれません。というのも、「西洋」の自己画定の願望は、「西洋でないもの」を隔離することによって西洋の輪郭を決定し、自分達が「残余」ではないことを確認したいとする線引きあるいは境界設定の欲求として展開し、そこで求められているのは西洋が本来的に残余とは異質であるというほとんど脅迫感と化した思い込みを確証することだからです。一五世紀末に始まった近代植民地主義は、西洋と残余に二分された近代の国際世界を生み出しましたが、西洋人にとっての西洋とは、自分達が近代国際世界の中心を占めているという保証なのです。つまり、「オリエンタリズム」とは、近代国際世界特有の歴史的産物に他なりません。”

思想の言葉:酒井直樹【『思想』2023年12月号 特集|エドワード・サイード──没後20年】tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7

リプロダクティブヘルス&ライツを否定するのは止めてほしい。

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記事の“建国記念の日制定(66年)、元号法制定(79年)”も生長の家だったというの、知らなかった。このあたりを読むと分かるのだろうか。

宗教右派とフェミニズム  seikyusha.co.jp/bd/isbn/978478

――2点目は?

◆明治憲法の復元です。当時は東西冷戦のまっただ中でした。日本社会も大学紛争の嵐が吹き荒れ、共産主義による暴力革命が現実に起こり得るような雰囲気でした。現憲法では生命を軽視する唯物的な価値観や共産主義の脅威から日本を守れない。それゆえ明治憲法に戻して共産主義と戦わなければならない、ということです。旧統一教会も反共を掲げていたから、協力関係が生まれたのでしょう。

旧統一教会と共闘も…「生長の家」総裁語る 政治活動から離れた理由mainichi.jp/articles/20231123/

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──(略)生長の家の創始者、谷口雅春氏(1893~1985年)は政治組織として生長の家政治連合(生政連、64年設立)をつくり、1960~80年代初めにかけて熱心に政治運動を展開しました。建国記念の日制定(66年)、元号法制定(79年)などの成果もあった。古参の民族派に聞くと、生長の家と旧統一教会や系列の政治団体・国際勝共連合(68年設立)は、数少ない右派運動の同志として各種の大会の運営、参加者の動員、左翼系学生団体との闘争などで共闘していたといいます。どのような関係だったのでしょう。

◆「反共」という同じ政治目標を掲げていたので協力し合っていた、ということはありました。生長の家が政治に関わるようになったのは大別して二つの理由からです。一つは優生保護法(現・母体保護法)の改正。雅春先生は経済的理由による中絶を認める同法は教団の教義である「生命尊重」に反し、改めねばならない、というお考えでした。

旧統一教会と共闘も…「生長の家」総裁語る 政治活動から離れた理由mainichi.jp/articles/20231123/

面白かった。感情の測定は決定的に確かな方法がなく、いくつかある測定方法の長所を組み合わせて行うしかない。「あちらを立てればこちらが立たず」というような二律背反を抱えている。確かに言えることは、感情の測定には限界があること。
そのため、ある行動が何らかの感情を表している、といった断言はできないし、そういう決めつけには慎重になったほうが良い、と。研究を橋を架けることに例えていたのも印象的だった。

radiko.jp/share/?t=20231124120

午後から具合が悪くなって、やっと落ち着いてきた。運転中に吐き気が酷くて心配だったけど、なんとか帰宅できて良かった。

 高齢者への、エイジズムによる言葉や認識は、障害者へのそれと重なるように思えて、苦しくなることがある。エイブリズムと言ったら良いのか。「役に立たない」「ああはなりたくない」というような、そういう気持ちが底にあるような言葉。

 “高齢者は能力が低く、判断力が乏しく、物忘れが多いと決めつけられる。本人の能力と無関係に、一定の年齢に達すると「定年」という名で解雇される。雇用が維持されても大幅に減給され、邪魔者扱いされる。いったん求人市場から追い出されると適切な仕事を与えられない。親しい人たちの間ですら、「もういい年なんだから」と年齢を理由に、恋愛やファッション、さまざまな行動を自重するよう求められる――。”

年齢表記について「米国の新聞は昔、肌の色まで明記していました。あれは必要だったのかどうか。最近ガイドラインを改定して、必要がなければ年齢は出さない方針に転じた新聞もあります。ステレオタイプに陥らないことが大事なのです」

老害、ババア……年齢による差別「エイジズム」を乗り越えるために
mainichi.jp/articles/20230922/

オンラインでなにか文章を読もうとすると広告が必ず目に入ってきて文章以外のところで消耗する。文章と文章の間に置かれていたり画面をスクロールすると自動で付いてきたりして、読みたい内容への集中力が削がれていく。

そろそろ起き上がらなくては。お腹が空いた。

 “これは本書の範疇外でもあるが、こうした言説は、婉曲的に「国」というカテゴリーにも疑問符を突きつけるものである。原爆攻撃が往々にして(特にアメリカでは)「アメリカ対日本」という国の枠組みで語られることで、広島・長崎にいた多くの日本の領土、植民地から広島・長崎に来た(あるいは連行された)犠牲者が不可視にされてきた。同時に欧米の植民地支配(長崎で被ばくした「オランダ兵士」はインドネシア人を含んでいたこと)をも不問にされてしまうように。”

アメリカの被ばく者:実験と分断の核の時代book.asahi.com/jinbun/article/

黙殺された被曝者の声
アメリカ・ハンフォード 正義を求めて闘った原告たち
トリシャ・T・プリティキン著
宮本ゆき訳
akashi.co.jp/smp/book/b625657.

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 “アメリカ国内では1940年代から度重なる核実験が行われ、核施設の風下住民は慢性的に放射性物質に曝され続けていたが、こうした事実は、長年、政府によって巧みに隠ぺいされてきた。”

黙殺された被曝者の声〜翻訳者・宮本ゆきさんインタビューourplanet-tv.org/47534/

なれる、というか、ならざるを得ない、というか。それも強さを志向するようで嫌だけど。

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こうの史代「この世界の片隅に」の終盤、「立場は弱くても加害者にはなれる」と捉えている。

 “――しかし、高齢者のせいで若者が損をしているという言い方に賛成する人は少なくありません。

 ◆こうした意見が賛同を得るのは「シルバー民主主義」だからではなく、日本が没落しつつある感覚が根底にあるからでしょう。

 その中で損をしているという感覚が、資力やつながりを欠く若者により強くあり、無力感や絶望感につながっています。

 社会で没落感が強まるとスケープゴート探しが始まります。欧米では移民だったり、イスラム教徒だったりします。高齢化社会である日本では、高齢者が狙い撃ちにされています。

 こうした自分たちのルサンチマン(報復感情)を正当化する論理のことを、社会学者マンハイムは「虚偽意識」と呼びました。これが「シルバー民主主義」への賛意の背景にあります。”

高齢者は若者の敵か 「シルバー民主主義」の虚偽mainichi.jp/premier/politics/a

ジャニーズや宝塚や自衛隊の話に接すると、ハラスメントが横行している職場にいた頃を思い出す。立場が弱く、消耗している時でさえ、無力ではなかった。良くも悪くも。

 “歴史をふり返れば、一九一八年の米騒動の際には、政府は “よからぬ” 被差別部落民が米騒動の首謀者であるという宣伝を繰り返した。差別を利用して部落外の民衆と分断することによって、全国に及んだ米騒動の拡大を阻止しようとしたのである。今年一〇〇年を迎える関東大震災時の朝鮮人・中国人、社会主義者等の虐殺事件も、混乱に乗じて、民衆が持っていた差別意識を利用した権力が民衆を煽って引き起こした事件である。甘粕事件、亀戸事件は、権力が直接手を下して、社会主義者を葬り去った。それらはけっして過去にのみ起こりえた事件ではない。権力のチェックを怠れば、いつでもこうした事件は繰り返される。”

黒川みどり いま狭山事件を問うこと[『図書』2023年9月号より]tanemaki.iwanami.co.jp/posts/7

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