──(略)生長の家の創始者、谷口雅春氏(1893~1985年)は政治組織として生長の家政治連合(生政連、64年設立)をつくり、1960~80年代初めにかけて熱心に政治運動を展開しました。建国記念の日制定(66年)、元号法制定(79年)などの成果もあった。古参の民族派に聞くと、生長の家と旧統一教会や系列の政治団体・国際勝共連合(68年設立)は、数少ない右派運動の同志として各種の大会の運営、参加者の動員、左翼系学生団体との闘争などで共闘していたといいます。どのような関係だったのでしょう。

◆「反共」という同じ政治目標を掲げていたので協力し合っていた、ということはありました。生長の家が政治に関わるようになったのは大別して二つの理由からです。一つは優生保護法(現・母体保護法)の改正。雅春先生は経済的理由による中絶を認める同法は教団の教義である「生命尊重」に反し、改めねばならない、というお考えでした。

旧統一教会と共闘も…「生長の家」総裁語る 政治活動から離れた理由mainichi.jp/articles/20231123/

――2点目は?

◆明治憲法の復元です。当時は東西冷戦のまっただ中でした。日本社会も大学紛争の嵐が吹き荒れ、共産主義による暴力革命が現実に起こり得るような雰囲気でした。現憲法では生命を軽視する唯物的な価値観や共産主義の脅威から日本を守れない。それゆえ明治憲法に戻して共産主義と戦わなければならない、ということです。旧統一教会も反共を掲げていたから、協力関係が生まれたのでしょう。

旧統一教会と共闘も…「生長の家」総裁語る 政治活動から離れた理由mainichi.jp/articles/20231123/

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