どうしようもないな。左派への憎悪のほうが先行していることがよくわかります。
https://twitter.com/kikumaco/status/1647082172497666050?s=20
入管のクソさとか明らかにえん罪の袴田事件に対して頑なに再審無罪を出そうとしない司法といい、ふつうの善良な市民感覚からしたらあり得ない冷酷さ・不合理を糺そうとしない国の態度についてつらつら考えるんだけども、もしかするとワークニの意思決定権者の一定数、これら冷酷・不合理を問題と思っていないどころか、「国が冷酷・不合理であることこそが権威の源泉である」とさえ考えているのではないだろうか。
「一般市民などに言われてホイホイ態度を改めるようでは国家の権威が保てない」という思考様式
坂本龍一さんの原発、震災への思い。音楽の才能はもとより、このような人が早く亡くなったことを改めて残念に思う。
https://book.asahi.com/jinbun/article/14885254
今朝録画したこれを見ている。恩師の島薗進先生もご出演。
昨年収録されたものは基本的に宗教学者の先生ばかりだったが、今回は憲法学者と弁護士が加わり、法的な問題に切り込んでいる。実務的にはどうするのか、新法はどう「活用」されるのか、なども。/徹底討論 問われる宗教と“カルト” VOL.4 信教の自由と法規制(前編) - こころの時代〜宗教・人生〜 - NHK
Colaboの仁藤さんと彼女が生きる希望を与えようとしている若い女性達の記事。
仁藤さんに出会って、進学する目処と自信を手にした女性は、家族とは連絡は取っておらず、卒業式には仁藤さんに父兄として来て貰いたいと願っていた。でも、学んだ福祉関連の学校の先生に、「炎上している人でしょ?学校の敷地内に入って貰っては困る」(私の読後の記憶、言葉づかいは若干異なってます)と言われ、断念したと。
先日のアフリカ系米国人とのミックスの生徒が卒業式に参加させて貰えなかった件とも繋がってる。
米国だったら、友人やクラスメートらが式をボイコットしたりすると思う。そして、学校が、仁藤さんを出入り禁止にするどころか、堂々と卒業式に来てもらうと思う。日本では、米国みたいな乱射騒ぎになるリスクは低い。ネトウヨみたいなのに怯えず、連帯して、卑劣なことは許さない、と社会が示すことが大事。米国だと軍隊みたいに武装した白人至上主義者の集団がいて、身の危険があるけれど、日本のネトウヨなんて、今のうちに叩いておいた方が良い。
東京都もネトウヨを恐れて、仁藤さんを逆に悪者扱いにするって終わってる。小池ゆりこが都民ファーストじゃない証拠
あ、そうだ。僕も一本論考を書いた『神道の近代』(勉誠出版,、アジア遊学シリーズ)が発売になりました。リンク先で目次等を見て、興味を持たれた方はご購入、もしくは図書館にリクエストをよろしくお願いいたします。/伊藤聡・斎藤英喜編『神道の近代』
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_15&products_id=101375
国が総力を上げて普及させようとしているものとして、お粗末すぎるでしょ。システムが限界で発行できなかったならともかく、他人のが出てきたなんて、あってはならないことじゃないの。他の国でも断念したところも多いのだから(要するにその程度のもの)、とっとと止めろや。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230330/k10014024521000.html
「教員経験者が仕事の魅力や学校の様子を伝えることで、学生に仕事の具体像をイメージしてもらう。深刻化する教員のなり手不足の解消や若手の離職防止を狙う」ってマジ?まず給料上げりゃいいんだよ、バカじゃねえの。
勿論、過酷な労働条件の改善は、言わずもがな。少子化なんだから、先生の数は減らさずそのままで、少人数クラスにして、きめ細かく指導できるようにって算数できる人間ならすぐに思いつくだろうに。「現場を一番知らないのは、省庁」というオチ。
ついでに「学校の先生の給与とかの予算はどうするのか?」みたいなことを言う人がいますが、それを考えるのは僕の仕事ではないし、敢えて言えば、アメリカから買う戦闘機や兵器を数個諦めれば賄える程度の金だよ、と申し上げておきます。国内の教育に使われる「生きたお金」だしね。
https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/news/20230325-OYT1T50207/
横浜国立大学名誉教授で、美学者の室井尚さんが21日に亡くなられた。僕の従姉妹が室井さんの妻なので、僕は「姻戚」ということになる。
昨日の本葬は、僕が卒業式と謝恩会だったので欠席し(母と姉は出席)、その前日にご自宅に伺い、お顔は拝見した。
専門が違うので、学問的な議論を戦わせたようなことはないが、昔から本を送っていただいたりして、一応「読者」ではあったつもり(いわゆる「ニューアカ」も、室井さんから得た情報だった)。あとは結構「戦闘的」なブログを愛読していた。あ、思い出した。1992年の正月、祖母の家に行った時、僕は東大文学部の宗教学科に進学することが内定していて、そのことを室井さんに話したら「え、宗教学なの?」と一言何か言われたはず。多分室井さんの東大宗教学のイメージは、中沢新一先生経由でしょうけど(笑)。
ある意味、生前最後の講演(3月12日)にお邪魔できたのは幸いだった。魂は向こうに行っても、本は残っている。改めて、これまで書かれた本から今後のさまざまな「ヒント」をもらおうと思っている。RIP。
なんか、Twitter上で少し炎上気味になっているので、こちらでちょっと呟くことにする(長くなりそうだし)。
要するにこの人は「地方国立大出身」と言いながら実は阪大出身で(阪大を卑下して「地方国立大」と言っても、誰も幸せになれない)、しかも現在は関西の某有名私大の教授。一言で言えば「なんだかんだで恵まれたあなたがそんなことを言うなんて」という反応が、アカデミシャンからも結構見られるし、僕もそれはある意味正しいと思う。しかし、下を見ればきりがないように、上を見てもきりがないわけで、例えば東大に入ろうが、その者の自尊心が満足するとは限らない。そもそもぽっと出の秀才は、三代続く良いところのお坊ちゃんの「天真爛漫さ」と「博識さ」に打ちのめされるってのが「文化資本」な訳で、そんなの、本当の坊ちゃん、嬢ちゃん以外はその手の感情を持つんだから、いい加減、自分のある種に「承認欲求」を沈める方向に行くべき、と僕も思う。
そういえば、ノムさんこと野村克也は高級腕時計収集が趣味だったが「俺は貧乏やったから、こういう下品な方法で気持ちを満たすしかない」と、そのような行為に走る自分を皮肉な目で自己分析していたな。
https://twitter.com/sakamotoharuya/status/1638142504167174146?s=20
本当に良かった。けど、杜撰な捜査と捏造すら疑われている証拠などで、一人の、いや、周りの人も含めて、多くの人生を狂わせてきたんだから、関係者は「ごめんなさい」くらい言えや。謝っても死なないから。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230320/k10014013721000.html
中野先生、とりあえずお疲れ様でした。
「世耕氏の“いきなり訴訟”は遺憾」裁判所が異例の見解 統一教会との関係投稿した教授側「ほぼ勝訴だ」 |弁護士ドットコムニュース | https://www.bengo4.com/c_18/n_15777/
国際政治学者のみなさんは少しは個人のことを見てほしいな。日韓関係なんて被害者をいつも保守政権どうしで無視するから改善しないのにそれを見ないからおかしな解説になる。
Colaboへのバッシングは在特会のヘイトと比較されやすいけど、私は七生養護学校事件(バックラッシュのなか苛烈な性教育バッシングの標的にされ、裁判で勝訴しても名誉回復しなかった。その後、性教育の現場の萎縮を招き、日本の性教育のガラパゴス化の一因となった)を想起している。
ツイッターでも書いたのだけど、素敵なカフェ、いい感じのバルやビストロというところの大半は車椅子は松葉つえでの利用が難しいデザインばかりで、自分が車椅子生活になったら今行っている店のうち何件いけるかな…とシミュレートしたら一部のファミレスと
一部の路面店以外は皆無だった。健康な人にだけ配慮した設計であふれた街で、障碍者の方の努力や交渉に「迷惑を掛けるな」というとき、その「迷惑を掛けるな」に込められた強者の権力性に私たちはあまりにも無頓着すぎるな、と
上野千鶴子先生の件、この方のツイートだけで必要な情報が分かってありがたい(まあ、大体分かってはいたけど、確認、という意味で)。話は飛ぶが、大昔、貴乃花と宮沢りえが婚約した時に、数学者の森毅先生が「力士より女優の方が長くできる職業なんやから、りえちゃんがおかみさんになるとかより、将来、貴乃花がりえちゃんのマネージャーやるとかを考えてもええんちゃうの?」というようなことを言っていた記憶がぼんやりあるのだが、それを何となく思い出した。
https://twitter.com/castleincastle/status/1635832527385686016?s=46&t=ZriP7UCYenP2FtvsY4iETQ
福島原発の炉心融解と爆発で東北、関東、北陸は「全住民避難」も検討される風まかせの状況になり、「かくなる膨大な人数の避難は不可能」という結論に陥り、その時点からこの国の政府は国が制御不能になった現実に直面したのだった。誰もそうは言わなかったが、制御不能というのはそのことを意味しているのである。その無力感を痛いほど知った当時の首相であった菅直人は毀誉褒貶あれど、脱原発派になった。普通の人間である。誰が、自分の住む場所を制御不能のまま放置しようとするか。原発を止めることは住環境の制御を住民の手に取り戻すには不可避であることはあまりに明白だからである。
10年後にパンデミックが襲った時の政府はほぼ何もしなかった。声かけ、ワクチン数回、ガーゼのマスク2枚。そのことに対する政府の無力感がほとんど感じられないのは、もはや制御不能への畏れを通り越して、制御しない、になってしまったのではないか。風まかせの国、と、ほぼ見えなくなった車道の車線に目を凝らしながら思ったりする。
川瀬貴也。大学教員。宗教学者。専門は日韓近現代宗教史。宗教学、思想史、近代文化史、社会学の周辺をぐるぐるしているつもりです。発言は個人の見解であり、所属とは無関係です。